チビエド事件簿
アルフォンスは兄と別れた場所へと戻る途中だった。
腕にはしっかりと抱きしめられたクマのぬいぐるみ。少し犬と格闘したせいで汚れてはいたが、痛んだところはない。
アルフォンスはほっと安堵すると同時に、うきうきと心を弾ませた。
「これを持って帰って、兄さんに今度こそふりふりのかわいいドレスを着てもらって、ぎゅってクマ抱きしめたままおねだりしてもらうんだ!」
なにやらまた一層妄想が膨らんでいるようである。しかも、気がつかないまま声に出しているのだから始末が悪い。当然その台詞を耳にした通行人は、怪しげな目でアルフォンスを見送る。
子供が母親に手を引かれながら、「ママ、変な人がいる」と告げると、「見ちゃいけません」と母親が叱咤する。
だがアルフォンス自身は、注目を集めているのは鎧の体でぬいぐるみを抱いているからだと思い込んでいた。気がつこうよ、アルフォンス君。だが、ここにそうつっこむ者はいない。
ようやく兄と別れたあたりにたどり着くころには、周囲の人々はアルフォンスを遠巻きにしていたが、アルフォンスはやはりぬいぐるみのせいだと思い込んだままだった。
「もう、恥ずかしいなぁ。おねだりだけじゃ足りないかな。お仕置きもしたほうがいいかなぁ」
余計に怪しい方向へ走っていますアルフォンス君。
とにもかくにも、アルフォンスはあたりを見回した。果たしてエドワードはどこにいるだろうと。普段から小さいエドワードは、人ごみの中にいると必ずうもれてしまって見つけるのも一苦労になる。いつもだったら向こうが先にこっちを見つけて手を振ってくれたりもするが、今はいつもよりも更に小さい。たとえエドワードがアルフォンスの姿を見つけて手を振っていたとしても、なかなか気がつけるものでもなかっただろう。まして、アルフォンスにはエドワードが大変な状況に陥っているなど、分かるはずもない。
アルフォンスはなかなか見つからない兄に、仕方なく最終手段として禁句を使った。
「お豆ちゃーん」
反応はない。
わけの分からない周囲は、とりあえず息を呑んだ。
「ここにはいないみたいだなぁ。やっぱり大佐たちのところでも行っちゃったのかなぁ」
ひとりごちて、アルフォンスは一路大通りを公園の方向へと歩き出した。
「もう、ここまで手間かけさせるんだからやっぱり…」
以下、アルフォンスの独り言は道徳上よろしくないので割愛させて頂きます。
そんなこんなで立ち去っていくアルフォンスを民衆は見送り、ようやく一体何なんだとひそひそとささやきあったのだった。
公園の周囲には、未だ遠巻きに人々が集っていた。一定の範囲内に踏み入れなければ憲兵たちももう何も言わないのか、今はKEEP OUTと書かれたテープを公園の入り口辺りに巡らせて、見張り番をしているのが数人いるくらいだ。
だが、そのテープの中はまだどうやら騒がしい様子。現場検証と事情聴取はまだ終わっていないのだろうか。
アルフォンスはその周囲でクマのぬいぐるみを抱いたまま、うろうろと歩き回っていた。
来たはいいが、くるなと言われた手前どうやって入ったものか。そもそもここに兄さんは本当にいるのだろうか。せめて公園の中の様子が覗ければいいのだが。そう思って、こっそりと周囲を巡る生垣の間から中を覗き込もうとする。
そのときだった。
「おい、そこの鎧男! 何をしている!!」
上がった誰何にアルフォンスは飛び上がった。
見ればアルフォンスの挙動を怪しんだ憲兵たちが一直線にアルフォンスの方向へ向かってくるではないか。
「ぼ、ぼくは怪しいものじゃ…!!」
慌てて弁解いようとしたもののもはや遅い。
「昼間から鎧着てクマのぬいぐるみなんぞ持ってこそこそと嗅ぎまわってれば十分に怪しいわ!!」
ごもっとも。憲兵の言い分にアルフォンス自身納得してしまった。
いや、だが今は納得している場合ではない。
「ちょっと話を……!!」
「問答無用! ひっとらえろ!!」
聞く耳を持たない幾人もの憲兵たちが、一斉にアルフォンスに飛び掛る。
アルフォンスは慌てて逃げ出そうとしたが間に合わなかった。十数人の憲兵たちに飛び掛られ、引きずり倒されて、押しつぶされた。
ごん、と鎧とアスファルトの地面がぶつかって鈍い音をあたりに響かせる。
「やっぱり兄さんのせいだ…帰ったら3日間くらいはお仕置きして許してあげないんだから!」
幾人もの憲兵たちにがんじがらめにされて、アルフォンスはまたそんな危険思想を呟いた。
だがそれは幸いなことに、のしかかる憲兵たちには聞こえなかった。唯一一番下で他の同僚に押しつぶされた憲兵が耳にしたが、彼はその直後にアルフォンスの言動を理解できぬまま意識を手放した。
「よし! だれかマスタング大佐に報告してこい! 犯人を捕まえたとな!!」
不幸なのか幸福なのか分からない一部下の気絶を知らない隊長が、アルフォンスを押さえつける憲兵たちの山の上から命令を下した。
だが、それに従うことのできる者はいなかった。
なぜなら、彼の部下はみな彼の下敷きになって身動きが取れなかったからである。
隊長は怒った。
「ええい! 役立たずどもめ! 仕方ない、俺が行って来る!!」
隊長はそうどなって一番上からよじ降りた。だが、彼は地面に足をつけた瞬間、自分の軍服の裾を踏んで見事にすっ転んだ。
部下たちは隊長の怒りを不本意に思いながらも、言った側からすっ転んだ隊長に必死で笑いをこらえていた。
積み重なった人の山が一斉に笑いをこらえ、肩を震わせると、山全体が震えているように見える。端から見るとそれは滑稽なのか不気味なのかいまいち判断がつかない。
そのため、通りがかったその男はそれらの光景を見て、笑えばいいのか踵を返せばいいのか判断をつけかね、微妙な顔でそれを見つめていた。
「なにをしているんだ、お前たちは」
ようやく男が彼らに声をかけたのは、転んだ隊長が変な体勢でひっくり返った状態からようやく起き上がったときだった。
「こ、これはマスタング大佐!!」
慌てて憲兵隊長は敬礼した。
「怪しい者をひっとらえましたので、これからご報告に上がろうと…」
「大佐! 助けてください!!」
突如現れた男の声が彼のよく知るロイ=マスタングであると知ったアルフォンスは、山積みの憲兵たちの下から助けを求めた。
しかし、ロイのほうはよく知る声がいったいどこから聞こえてきたのか気付けなかった。アルフォンスの本来なら目立つはずの鎧姿は、今は憲兵たちの下に埋もれていたので。
しばらくロイは辺りをきょろきょろと見回したあと、やっとのことで片腕とテディベアを憲兵たちの下から引っ張り出したアルフォンスを、ロイは発見した。
「君も、いったい何をやっているのかね」
ロイは呆れた。
とにもかくにもアルフォンスの身元を保証し、彼を解放する。
ようやく肉の重みから開放されたアルフォンスは、ふうと一つため息をついた。
「で、君が私たちとの約束を破ってここにいる理由を聞かせてもらえないかね」
アルフォンスはそのロイの言葉に首をかしげた。
「じゃあ、兄さんはこっちには来てないんですね?」