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改・スタイルズ荘の怪事件

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3,0章


翌日。夢のない眠りから醒めると外の天気は薄曇りだった。大陸人からすると、朝起きるまで天候を把握していない生活というのは妙なものだ。しかし、天候にまつわる慣用句の理解は、ここ一ヶ月で格段に深まった。もう半年もここにいれば、ハイクを詠むことは夢ではないかもしれない。
朝食の頃合を見計らって、玄関ホールに下りていくと、ジョンがこちらを見つけて遊戯室に入るように手で合図をしてきた。指示されるままに部屋の中に入ると、彼はビリヤード台に腰掛けて、大きな溜息をついてみせた。
「身内の恥を晒すようですが、少し困ったことになっているんです。エヴィが母と喧嘩して、この屋敷を出て行くというんですよ。」
「ミス・ハワードがですか。」
「ええ、実のところ、エヴィとアルフレッドは犬猿の仲でして。いつかはこうなるだろうとは思っていたのですが。」
ジョンは意味ありげに私の方に視線をよこした。わたしというイレギュラーが、この騒動の遠因にあると言いたいのだろう。自分が大歓迎されているとは思っていなかったが、大陸の洗練された対人交渉技法に慣れた身には、この明け透けな態度は軽い衝撃だった。わたしは悪手と知りながら、沈黙を選ぶほか無かった。
室内に漂う重苦しい空気を打ち破ってくれたのは、扉ごしに聞こえてきたメアリの声だった。
「待って、エヴリン。まさか、あなた本当に出て行くつもりじゃないでしょう。」
階段をゆっくり降りてくるエヴリンの横で、メアリは懸命に説得を続けている。
「本気。エミリーに諫言した。アルフレッドは悪党と。しばらく距離を取る。二人のため。」
「それで母さんの反応は。」
無理もないことかもしれないが、二人の会話に入っていくジョンの姿には何とも空々しいものがある。
「”「愛し」のアルフレッド””それはボクへの明らかな侮辱だ””そこまで衰えているように見えるか”出て行く。すぐに。」
その淡々とした調子から、付き合いの長いジョン夫妻は説得が不可能なことを悟ったようだ。彼女のために一筆書くから待てと言って、夫妻は寝室の方へと消えていった。
二人っきりになると、ミス・ハワードはわたしの方をじっと見つめてきた。その瞳の中にある切実なものが、わたしに思いがけない印象を与えてきた。
「彼女を守る。私の使命。もはや不可能。悪魔がいる。見えるものは嘘をつく。忠告。」
それだけ告げると、彼女は夫妻を待つこともなく玄関から出て行ってしまった。その姿には全く迷いがなく、鞄一つの彼女を見て、長年住み慣れた屋敷を離れる人間であることを想像できる人間はまずいないだろう。
わたしは慌ててジョン夫妻の部屋に行き、ミス・ハワードの出発を告げたが、彼らは驚くというよりは諦めに近い表情を浮かべていた。エヴリンの意志を変えられるとしたら、それはエミリーしかいないのだそうだ。
何とか気を取り直すと、わたしたちは昨日の茶会の場所で少し遅めの朝食を取った。イングスソープ夫妻は部屋で二人きりで取るのが習慣で、シンシアも仕事で外に出ており、エヴリンはもちろんいない。タイミングの問題と言えばそれまでだが、わたしはこの歯が欠けたような朝食の席に、何か寒々としたものを感じずにはいられなかった。
食後の気だるげなお茶の時間を最初に切り上げたのはメアリだった。屋敷を訪ねてきた背の高いスキンヘッドの男を出迎えにいったのだ。その足取りは軽く、後ろ姿からでも相手への好意が感じられる。
「誰ですか、あれは。」
わたしは訝しげに聞いた。男のこめかみの辺りには、旧式とはいえ明らかな機械化手術の痕跡があったからだ。北アメリカ区などでよく見られる懐古未来【レトロ・フューチャー】風の施術である。
「バウアスタイン博士ですよ。」
「どういう人なんです。」
「母が主治医として村に呼んだんです。医学博士で、精神感応型の機械調律の世界的な権威だそうです。正直、私にはよく分かりませんけど。」
「わたしにもサッパリですよ。」
そう言いながら、わたしは速やかに内部機関に検索をかけた。ヒットした論文は一つだけ、タイトルは”テレパスを用いた生体ナノマシン調律の可能性について”だった。
生体ナノマシンは戦中に、その生産コストの安さから注目されながら、終戦まで安定した品質のナノマシンを生産出来ず、戦後には見捨てられた分野の一つだ。きっと博士はその決定に反発して、海を渡ったのだろう。
別の研究分野への転向を命じられた研究者の中には、そういった行動に出る人間も珍しくない。夫人というパトロンを見つけられた博士は、かなり幸運な方だと言える。普通はのたれ死ぬか、テロリストに酷使されるかの二択だからだ
博士たちは肩を寄せ合うようにして、今日の予定を楽しそうに話している。メアリたちの距離の近さは他人のわたしでも眉をひそめたくなったが、夫の方は気にならないらしい。
「少し歩きませんか。ミスター・ヘイスティングズ。」
これが夫婦の絆というものなのだろうか。そんなジョンの誘いを受けて、わたしたち二人は森の中の小道を通って町へと行くルートをゆったりと進んでいった。
「スタイルズ荘はいいところですね。」
「ええ、ですが全ては母のものです。それに不満があるというわけではありませんが、一人の男として文無しというのは忸怩たるものがありますよ。」
「まさか、そんな。」
「いいえ、母は全てを管理しないと気がすまない女なのです。ローレンスだって内心じゃ。それだって希望があれば、耐えられないこともなかったが。」
ジョンはわたしの視線を確認してから、いかにもな苦渋の表情を浮かべてみせた。本当に好感を覚えるほど分かりやすい男である。
わたしは言質を取られない程度に彼のことを励ましながら、エヴリン・ハワードの言うところの悪魔について考えをめぐらせていた。彼女が言っていたのは、案外ジョンのことだったかもしれない。わたしはそんなことを思いながら、彼ととりとめないの会話を交わし続けた。
町まで着くと所用があるというジョンと別れて、わたしはスタイルズ荘とは反対側にあるシンシアの職場に足を向けた。反対側と言っても工場と町の間は二十キロ以上離れているが、わたしにとっては軽い散歩の範疇に過ぎない。
徐々に少なくなっていく緑がついに途絶えた場所で、わたしは目的地を視界におさめて驚嘆の声をあげた。周囲をフェンスで囲まれたその大建造物はわたしが知るどんな建物とも違っていた。
排水によって近くの川を薄暗い色に染めているその建物は、工場というよりは工場群と称するのが正しいのかもしれない。断言できないのは、広大な敷地に大小合わせて五十を超える煙突が煙を出しているにも関わらず、全ての棟が一つにつながっているからだ。
本来つながるはずのない異なる大きさの棟々が、連絡通路も介さずに直接くっついている様子は、わたしの気持ちを奇妙に揺さぶった。
そんな内心の動揺が気配に出たのか、わたしは工場の近くで守衛に不審人物と間違えられ、シンシアを呼び出して身元を保証してもらう始末だった。
青いつなぎを着たシンシアは昨日よりも覇気に満ちていて、この工場こそ彼女の領域であることをうかがわせた。しかし、特筆すべきところは別に存在した。
「ゴーグルをしていないんですね。」