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改・スタイルズ荘の怪事件

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英国に二十人いる行政官は行政、警察、司法における権限の全てを掌握しているが、よほどのことが無い限り事件現場にやってきたりしない。慣習法を用いた民間による事件の処理を推奨しつつ、本人は公証人などを兼業して机仕事で蓄財に励むのが普通なのだ。噂によると、二年の任期でわたしの棒給の二十年分は堅いらしい。
ポアロはうわの空で頷いた。わたしはしばらく黙っていたが、ドアの三歩手前で流石に我慢出来ずに話しかけた。
「どうしたんです?確かに、アルゴノイタイに話すようなことではないかもしれませんが。」
「まあ、それは確かに。気が気じゃないんだよ。」
「何が?」
「シンシアがコーヒーに砂糖を入れないから。」
「冗談か何かですか?」
「いや、本気だよ。ボクの勘が正しければ──しっ、黙って。」
わたしたちが書斎に入ると、ジョンは扉を閉めた。
ミスター・ウェルズは感じのいい壮年の男性で、鋭利そうな目といかにも高級官僚らしい口元をしていた。英国行政官といえば、平和省の天下りコースの王道である。大陸にいた頃は、さぞかし高い地位に付いていたのだろう。ジョンはわたしだけを紹介し、同席する理由を手短に説明した。難色が示されることを予想したが、ウェルズは固い顔をして無言で頷くだけだった。何か知らされているのだろうか。彼のキャリアのためには大変結構なことだ。
「ウェルズ、どうか大事にならないよう取り計らってはもらえませんか。まだわたしは信じられないんですよ。」
「お気持ちはよく分かります。こちらとしても検死審問など避けたいのですが、この状況とあっては。」
ウェルズは苦々しい調子でいった。公式の記録では英国における犯罪の件数はゼロに近い。中には二年の任期中に一件の犯罪も起こさせずに終わる行政官もいるほどなのだ。ウェルズにとってみれば、自分の経歴に汚れがついた気分なのだろう。
「わたしたちは皆、証人として出廷せねばならないのでしょうか。」
「あなたとミスター・イングルソープをのぞけば、他の人たちの証言は形式的なものに過ぎませんよ。」
行政官は彼をなだめるように言った。
「そうですか。」
ジョンの顔にはわずかだが安堵の色があった。自分が問い詰められる立場にあるのに大した自信である。
「問題がなければ、審問は明日行います。」
何故かポアロは大きく目を見開いた。
「それでけっこうです。」
「言い遅れましたが、ミスター・カヴィンデッシュ、この度はお悔やみを申し上げます。」
「そんな戯言はいいとして、解決に協力していだけますか?ムッシュー・ウェーズ。」
ポアロが急に口を挟んだ。ジョンはあまりのことに言葉もない様子だったが、ウェルズの方はポアロを見ながら、慎重に態度だけで先を促した。その探るような仕草からすると、彼はポアロの正体までは知らされていないようだ。誰だか知らないが意地が悪い。
「ミスター・ウェーズ、契約の範囲で教えてもらいたいのですが、夫人が亡くなった場合の相続はどうなっていました?」
弁護士は一瞬だけためらった。名前を修正すべきか迷ったのだろう。ポアロも意地の悪さでは負けていないようだ。
「どうせ公になることですから、ミスター・カヴェンディッシュに異存がなければ。」
「かまいませんよ。」
「それなら、拒む理由はありません。昨年の八月付けに更新した遺言では、使用人などへの細々とした遺贈をのぞけば、残りはミスター・ジョン・カヴェンディッシュに遺されていました。」
「それはいささか──いや、なるほど。ですが、この地区の慣習法に従えば、夫人の再婚は遺言を無効にする重要な法律関係の変化に入るのではありませんか。」
統合政府の法制度は普遍法と地区慣習法の二つからなっていて、構成員は自分の法律行為についてどちらに準拠するか自由に選択することが出来る。普遍法は実態として政府のために存在する法なので、日常の生活は地区慣習法の上に営まれるのが通例になっている。
「その通りです。あの遺言は現在では無効になっています。」
ポアロは一つ頷くと、上耳と目を同時に閉じた。彼女が思考に集中するときの癖である。それだけのことで、残されたわたしたちは何も出来なくなってしまう。
ウェルズの顔には困惑と畏怖の色が浮かんでいる。頭が理解しなくても、身体が理解してしまうのだ。精神の巨人が身震いをすれば、周りにいる人間は逃げ惑うしかない。ポアロが真剣に考えるとは、そういうものなのだ。
「早指し【ブリッツ】か、甘く見られたものだね。」
ポアロは耳と目を開くと虚空に呟いた。まるでそこに好敵手がいるとでも言わんばかりだ。
「一つ教えてください。ミスター・ウェルズ。夫人はその前にも何度か遺言状を作っていますか?」
初めてポアロにまともに呼ばれたウェルズは、口を引きつらせながらも何とか質問に答えた。
「だいたい一年に一度は新しいものをお作りになられていました。遺産の配分をそのときの気持ち次第で変えるのを楽しんでる様子でした。」
「では、新しい遺言書が昨日書かれていても驚きにはなられないでしょう。」
「なんですって。」
ジョンと弁護士は驚いた様子でこちらを見てきた。
「正確には、あった。というべきでしょうか。」
「どういうことですか?」
ジョンは今にも喰いつかんばかりだ。
「燃えてしまったようです。」
ポアロは夫人の部屋の暖炉で見つけた燃えさしを弁護士に渡して、それを見つけた場所を説明した。
「何故、これが昨日書かれた遺言状だと分かるんです?」
「ここで働いている庭──いや、ドーカスを呼んでください。アーカイブの中の映像を復元しておきました。」
「わかりました。」
ジョンは呼び鈴を鳴らした。
しばらくするとドーカスはやってきた。いくつかの命令が与えられ、映像が空間に投影される。
わたしたちは固唾をのんだが、ポアロだけは本棚の書物の背を指でなぞったりしていた。法則性がないのが気にいらないのだろう。
映像の中で夫人は外で仕事をしていた庭師を呼び出し、なんらかの書面にサインをさせていた。それが終わると、その紙は細長い封筒に入れられた後、蝋で封をされ、机の上の紫の文章箱に納められていた。映像記録の日付は昨日の午後四時だ。後で庭師にも確認しなければならないが、まず遺言状だと考えて問題ない。
「なんという偶然だろう。母が亡くなった日に遺言を書いていたなんて。」
ジョンが思わず洩らした言葉に、ウェルズは冷ややかな声を返した。
「本当に偶然だと?」
「それはどういう意味ですか。」
ジョンの声は震え、その顔は一瞬のうちに蒼白に染まっている。本質的にこのようなことに向かない男なのだ。
「夫人は昨日の午後、激しい口論をされたそうじゃありませんか。相手が誰かは知りませんが。その口論の結果として、母上がすぐさま新しい遺言状を作ったとしても、私は驚きませんよ。しかし、遺言状は燃え尽き、亡くなった夫人は墓場で沈黙を余儀なくされ、その死にぞこないの記憶は二日もすれば電子の海に融ける。無学な庭師は自ら名乗りでることはないでしょう。わたしにはこれが偶然とは思えません。私が思うに、この事実には極めて深い意味が存在するはずです。」