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改・スタイルズ荘の怪事件

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わたしたちの乗り込んだ車はT型のフォードだった。他にもいくらかの選択肢はあったが、機構の単純性から結局これを選択することになったのだ。特注で屋根と窓ガラスなどを増設したものの、ガラスは今の英国の技術では防護性に限界がある。すでに後ろ側のガラス窓は投石による亀裂で視界を奪われていた。
「ロンドン観光は夢と消えたか。」
わたしは運転に集中する振りをしてポアロの言葉を積極的に聞き逃した。一ヶ月訓練を積んだエンジン式の車を操るのに円熟したとは言えないのも事実だったし、何より口を開けば上官に向けるべきではない言葉が出てくるのは自明だったからだ。
「腹芸は止めてくれ。この地では君とボクは運命共同体だ。信頼関係を構築するためにも、ボクに関する忌憚の無い意見を所望するよ。」
そんなわたしの心中をこれもまた増設したバックミラー越しに察したのか、ポアロはわたしに優しく命じた。自分の幾ばくかの軍歴を探しても、優しい口調を保ったまま命令の色を出せる人間は将官より下にはいなかった。どれほど可愛らしい顔をしていても、上司【アルゴノイタイ】は英雄【アルゴノイタイ】ということだろう。
「では言わせてもらいますが、あなたは自分の立場への自覚が無さ過ぎます。あなたは統合政府で最高クラスの要人なのですよ。少しは自分の安全に気を使うべきではないのですか。その格好で公衆の前に出れば、パニックが必死であるのは子供にだって分かる理屈です。」
「具体的な提案を聞こう。」
「──耳と尻尾を隠して下さい。」
「断る。」
わざとらしいぐらいに頭上の耳と尻尾をピンと張りながらポアロは答えを返してきた。バックミラー越しにそれを見て、わたしは内心で溜息をつく。
赤死病。第三次大戦の末期、アフリカ大陸を中心に流行した風土病の名前だ。信じられないほどの感染力と死亡率を誇り、三十億あったアフリカ大陸の人口を、一年も経たずに二億まで減少させた恐怖の病である。共和国【リ・パブリック】の支配地であるアフリカで発生したことから、当初は統合政府の生物兵器であると考える者も多かった。しかし、人口の減少によって共和国が事実上崩壊した後でも、世界中で猛威を振るい続けた為、今では共和国が起こしたバイオハザードであるという見方が有力になっている。
この死に神の如き赤死病にも、感染後に完治した人間がごく稀に存在する。だが、この病は生存者にも一様に大きな後遺症を残す。猫のような耳と尻尾が生えてくるのだ。これらは変形した脳と延髄の一部であり、脳移植すら含んだ外科手術による排除の試みは、全てのケースで患者の死亡という結果を招いた。彼らはクメルと呼ばれ、階級の完全排除を標榜する統合政府において、唯一の特殊な階層を形成するに至っている。
クメルはある種のコミュニティにおける救い手であり、それ以上に赤死病の運び手として忌避される存在だった。そのため一般に、クメルは手厚い保障の代価に公共の仕事につくことが出来ない。だからこそ、わたしはポアロに堂々とイギリスに入国させるという手を選んだのだ。
「理由をお聞かせ願いますか。」
「まず第一にクメルが他の者に赤死病を感染させたという事例がない。彼らの恐怖は偏見に過ぎず、統合政府の代表の一人として、そんなものに負けることは出来ない。第二に私の耳と尻尾は飾りではない。初めて来る土地では、五感の全てを張り巡らしておくのが仕事の基本だ。第三にこれらを全て蔽う様な衣服は不恰好で好きじゃない。以上。」
「変えるつもりはないんですね。」
「ヘイスティングズ、もう少し車両の振動を抑えられないのか。ボクの尻尾はそれなりにデリケートなんだよ。」
ポアロには自由に話題を打ち切るだけの権限がある。意見を言わせてもらえただけ、感謝するべきなのだろう。
「我慢していただくしかありませんね。道路の質が悪いですから。英国ではこれでもマシな方ですよ。」
「これでは今日の宿の程度も知れるな。」
わたしたちの今日の宿は、リッツカールトンのスイートだった。観光客目当てに改築されたリッツの部屋は、大陸側における平均的なサービスを提供できる英国唯一の場所だ。
一日の宿泊料は一般労働者の年収十年分に相当するが、これは十九世紀の英国の中にあって、二十三世紀で在り続ける費用を考えれば、むしろ良心的であるとすら言える。
「過度の期待はしないほうがいいでしょうね。普通の宿ですよ。パリのリッツとは比較になりません。」
そういった事情は何の斟酌もせず、わたしは辛口の評価を下した。統合政府において、過程など何の意味も持ちはしないのだ。非効率的なまでの能力主義。これこそがクメルであるポアロが英雄の一人に選ばれた理由でもある。
「こちらに本拠を構えるまでの辛抱だ。せいぜい不自由を楽しむことにしよう。」
いかにも英国に来る道楽者のような台詞を吐いて、ポアロは上耳をピクピクと動かしてみせた。
「そうだ。大切なことを忘れていた。」
車内で五分ほど経過してから、ポアロは身を乗り出すと運転席の方に右手を伸ばしてきた。
「カーステレオの類なら付いていませんが。」
「それは見れば分かるさ。さっきし損ねただろ。こういうのは疎かにすると祟るものだからね。」
その手を握ると、ポアロは口の端を少しだけ上げた。
「まるで幽霊でも掴もうとしてるみたいじゃないか。ヘイスティング。」
「別世界という意味ではそうなのかもしれません。」
「残念、ボクとしては乱暴なくらいが好みなんだがね。」
無言。
リッツまでの道のりはスムーズに過ぎていった。念のため昨日の時点で、ロンドンで見かけた全ての車両の車軸に細工をしておいたのが良かったのだろう。
わたしたちは車のまま部屋に乗り付け、予め登録しておいた生体情報でチェックインを済ませた。早速ポアロは部屋に備え付けられたAIに幾つかの命令を下している。
部屋の調度は設立当時を再現したルイ十六世様式の対称性【シンメトリー】を重視したスタイルで、ポアロはどうやら満更でもない様子である。尻尾の動きを見れば、それくらいは分かるものだ。わたしもパリのリッツの機能美にあふれた調度よりは、寄木細工などを用いたロンドンの調度の方が下調べをしたときから気にいった。
「ヘイスティングズ。セキュリティレベルのチェックを。」
クーラーから取り出したオールドエールを取り出しながら、ポアロはわたしに命令した。伸長こそあるものの、どう見ても第二次性徴を迎えている様には見えない彼女だが、実際のところはわたしと四つしか違わない。幼いころにかかった難病の故に成長全般が阻害されているのだ。
前もって配達させておいた荷物の分別を終えると、私は内部器官を起動させた。
「チェック開始します──A4です。」
Aクラスになれば情報の防御を破るのに、統合政府の直接干渉が必要になる。
「正気か?この程度のセキュリティならボク一人でも破れるぞ。」
ポアロはわたしを疑わしそうに見てきた。準公共施設への破壊行為は、明白な治安維持義務違反だ。先ほどは統合政府を代表すると言っていた人間とは思えない発言である。
「大陸側にあるホテルのセキュリティとしてはせいぜいB7が限界ですが、ここは英国です。普通の端末を持ち込むことすら、厳しく制限されている場所なんですよ。」