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改・スタイルズ荘の怪事件

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2,0章


次の日。わたしの運転するフォードはイングルソープ元中将が住むスタイルズ・セント・メアリ村への道をひた走っていた。ロンドンを出てしばらくすると、道の舗装は急激に粗雑になった。交通の便という意味では、現在の英国は19世紀の英国よりも明らかに劣っている。ここに住んでいるのは、未来への輝く希望を持った人々ではなく、押し付けられた停滞を生きる人々なのだ。活発な人の移動など期待するべくもない。
「ヘイスティングズ、君は中将と面識はあるかい。」
代わり映えのしない田園風景を興味深そうに眺めながら、ポアロはこちらに話題を振ってきた。口調が昨日よりも柔らかい。わたしには彼女の心の内の詳細など知るよしはないが、どうやらコチラでも多少は打ち解けたと考えていいのだろう。
「ないですね。古参の将官と最後の掃討戦が初陣の下士官とでは接点がありませんよ。まして相手が第三次大戦において、ロジスティクスに革新を起こした歴史上の人物ともなれば。」
わたしは畏敬の念をたっぷりと言葉に込めた。軍内部の研究家たちから、イングルソープの亡命がなければ、統合政府は赤死病の流行の前に戦争の続行が不可能になっていただろうと言われ、運命すら差配すると称された傑物【アルゴノイタイ】である。同じ軍人として、言葉を尽くして尽くしすぎることはない。
「「メディナ」とはよく言ったものだね。中将の組織運営に関する能力は、今見ても魔法の領域だよ。」
「正直、英国にいるというのは驚きました。退役したという話は聞いていなかったので。」
「それには事情があってね。」
ポアロの端正な口の先がぐいっと上がる。粗野な笑みだが、歯は一ミリたりとも露出していない。わたしはそれに近い仕草を何度か別の場面で見たことがあった。
定められたルールを遵守しながら、同時にどこまでも無礼に振舞う。特殊な動作訓練を積んだ高級士官がよくやる遊びだが、彼女も似たような訓練をどこかで積んでいるのかもしれない。
「ISメソッドの次代継承を目指す政府内の研究会が重大な問題を発見したんだ。」
上品かつ下劣な笑みを残した口からもれ出たのは、わたしの思いよらぬ言葉だった。
「士官学校で学んだ限りでは、非の打ち所のない方法論に思えましたが。」
「完璧すぎたというべきなのかな。メソッドの導入による平和維持軍の効率化は何%に及んだか覚えている?」
「わたしの記憶が確かであれば十六%のはずです。」
「それで正解だよ。けど不正解でもある。十九%が本当の答えさ。」
わたしにはその言葉の意味が分からなかった。正確に表現するなら、分かりたくなかった。
「着服ですか──」
「イングルソープが中将として兵站の全てを管理していた十七年の間に統合政府から掠め取った額を考えると、そんな言葉では生ぬるいけどね。表立った動きを起こすには「メディナ」はあまりにも偉大すぎた。英国占領を機に全てを不問に処し、蟄居で手を打ったのさ。今は広大な土地を買い取って、家族と静かに暮らしているらしいよ。」
「そんな人に今更、何の用があるっていうんです?」
内心のショックを隠しながら、わたしはポアロに問いかけた。軍の緒経費の三%分を十七年間となれば、天文学的な数字である。おそらく、英国の全てを買い取っても余裕でおつりがくる金額だ。これほどの損害を統合政府に与えた人間は、たぶん共和国側にも存在しないだろう。
「別に政府報告にも載っているから隠すことでもないんだけど、三ヶ月前の議会でアクロポリス計画が五年ぶりに動きだしてね。そのための調査なんだ。中将は生きながらに歴史に名を刻む偉人だからね。犯罪のない理想都市のための貴重なサンプルというわけさ。」
「話を聞いた限りでは、協力してくれるとは思えませんが。」
「統合政府からの事前通知では唯々諾々だったらしいよ。中将は機械化していない純正の接続式だからね。こんな端末も無い地方に追いやられては、ただの人だということだよ。統合政府に歯向かうなんて夢のまた夢さ。」
かの人を端末の無い地方においやった組織の代表は、いかにも哀れっぽい口調でイングルソープ中将の現状を嘆いてみせた。先達への敬意のようなものは微塵も感じられない。
「しかし、理想都市【アクロポリス】ですか。」
口調は抑えたつもりだが、どうしても懐疑の念が籠もってしまう。
「ヘイスティングズ君、君の言わんとすることは分かるが、私にも立場があるからね。それは君の尊敬する中将閣下だって同じことだ。」
滑稽なほどに重々しい口調で、ポアロはこちらに注意を促してきた。わたしには遅ればせながら、やっとこの会話の意味が飲み込めてきた。
アクロポリス計画は戦前に当時の大統領が公約に掲げた一大プロジェクトに端を発したものだ。計画の理念である犯罪のない理想都市の建設は、今でも統合政府の目指すべき目標の一つとされている。そのため、ある公益法人によって市民からも計画のための寄付が広く募られていたが、公表されている集計金額はいつも少しばかり異常だった。
「統合政府の七不思議の一つでしたよね。あの多額の寄付金がどこから出ているのかは。」
「不正流用【ゴルゾン・フリース】と影で噂されているのは知っているよ。実際、あの法人は「イアソン」の所有物みたいなものだしね。浪費しているつもりはないが、議会の連中には別の意見があるらしい。資金源その他諸々の公開を求められたよ。」
「中将を売り渡すんですか。」
「それだったら感心もしたけどね。寄付金の使用適格を広げる代わりに、情報開示の請求を取り止めてもいいという線で落ち着いたよ。後は名目上の寄付者であるメディナの署名さえあれば、三千人を超える人間が七不思議の一つを自分のものに出来るというわけさ。彼らの賃金はボクらより上のはずなんだが、強欲というのは度し難いね。」
「人間は目に見えるものを信じる生き物ですから。」
毎年、政府予算の一%に匹敵する額を自由に出来る権限である。私服を肥やしていないと考える方が難しいだろう。
「だからこそ統合政府は存在し続けるんだろうね。善くも悪くも。理想都市だって見えてないだけで、在るのかもしれないよ。」
そう言う間、ポアロはずっと側面の窓から空を見つめていた。
「しかし、ポアロのやるような仕事には思えませんが。」
英雄の一人とは言っても、ポアロの外見はクメルである。常識的に考えれば、人と交渉するのに適した容姿とはとても言えない。
「そうなんだけどね。ある意味で直々の指名があったということさ。ボクがボクである限り、決して逃れられない指名がね。」
わたしには言葉の意味が測りかねたが、そこからは道がさらに荒れてきたこともあり、大した言葉を交わすこともなく目的地の近くの村まで着いてしまった。イングルソープ夫人の住むスタイルズ荘のあるスタイルズ・セント・メアリ村は、近隣の中では最も栄えた村である言えた。何か特産物があるというのではなく、イングルソープ家の潤沢な資産が村に繁栄をもたらしているのだ。
イングルソープ夫人は村の半分と周囲の草原や山々の所有者であり、この村における実質上の支配者であった。それを端的に表しているのが村の大通りで、この唯一の舗装された道路は駅とスタイルズ荘の間をつなぐように敷かれている。
「じゃあ、手筈通りに。」