敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
エンジンを手でまわしても
またエンジンが咳き込んだ。古代は必死に燃料計に目をこらした。目盛りは《E》を示している。計りに出ないわずかな燃料だけで飛んでいる状態だ。
「舵が利かない……」
古代は言った。操縦桿をひねってみるが、宇宙空間機動用の姿勢制御ノズルが火を噴く気配はなかった。そこに燃料が送られてないのだ。
これでは着艦させようにも、機を〈ヤマト〉の方向に持っていくことすらできない。着艦誘導装置のスイッチを入れた。ヘッドアップディスプレイに十字のサインが出る――らしいが、よく見えない。縦と横の二本の線を中心に合わせ、〈ヤマト〉に近づくことができれば、後は船のクレーンアームが〈ゼロ〉を捕まえてくれるのだが、どうすりゃそこへ持っていける?
たとえ近づくことができても、失敗すれば〈ヤマト〉の船体に突っ込むことになるだろう。あの船の装甲は頑丈だ。こいつがちょいとぶつかったくらいじゃほとんど傷もつかないだろうが、こっちは踏んづけられたビールの空き缶みたいにペシャンコということになる。
見えた。縦と横の線。どちらも画面の隅っこになってる。ピッチスケールの水平線も傾いている。つまりこの線をまっすぐに直して、縦横の線を〈ヤマト〉に届くまでに真ん中へ持っていけばいいわけだ……って、そんなの、どうやって?
操縦桿の上に付いたトリムスイッチを動かしてみるが、進む方向を指し示すベロシティのマークは揺れもしなかった。着艦誘導システムは機体の制御が不能であるとの文を画面に表示させるだけだ。
また目眩に襲われた。まるでフライトシミュレーターを生まれて始めて経験したときに戻ったような気分だった。いいかげんフラフラの頭の中の脳ミソが溶けて、耳の穴から流れ出るんじゃないかと思える。
コンピュータが機を操ってくれないのならすべてを自分でやるしかない。こういう場合、一体どうすりゃいいんだっけ。わかんないや。忘れちゃった。たぶん、スティックをこうひねり、ペダルをこう踏みゃいいのかな。でも、これはひねり過ぎても、踏み過ぎてもいけないはずだな。どちらにしても体がもうクタクタで、動かそうにも動けないぞ。
いかん、また目がぼやけてきた。ディスプレイの線が見えない。代わりにどうやらその向こう、遠くに浮かぶ〈ヤマト〉に焦点が合ってきた。メインエンジンと補助エンジン。もうだいぶ大きく見える。そしてチカチカとまだこちらに信号を送ってきているらしい光もある。
ちくしょう、と思った。ここまで来たと言うのに……あとほんのちょっとじゃないか。
操縦桿を握る手に力を込める。が、動かない。懸垂か、重いダンベルでも持ち上げようとしてるようだった。力が出ない。入らない。
ふと頭に、船務長の森とかいうあの士官の顔が浮かんだ。なんだろう。こんなときになんだって、よりによってあんな女が。
情けない男よね、という顔してる。しっかりしなさいよ。荷物運びもできないの。あなたそのためのパイロットでしょ。
ちくしょう、とまた思った。見てろよ、あいつ、名前なんて言ったっけ。ユキか。ユキ。漢字でどう――いいや、そんなの。ユキさんよ。おれのことがさぞかし気に入らないんだろう。なんとでも思ってくれていいけどな。
ああ、おれはがんもどきだよ。荷物運びで悪かったな。今からその力見せてやる。
息を吸うんだ。吸って、吐いて、血に酸素を取り込ませろ。機を飛ばすのは結局それだ。おれの心臓が眼と脳と、そして手足に血を送る。それがこの機体を宙に浮かせるんだ。〈ゼロ〉よ、飛べ。あとほんのちょっとだろうが。
お前ならやれる。燃料が無くなったら手でエンジンをまわしてでも、翼を掴んで羽ばたかせてでもおれが飛ばし続けてやる。だから飛ぶんだ、〈ヤマト〉のあの光まで!
操縦桿を動かした。しかし機体は向きを変えない。舵がまるで利いていない。もう完全にイカレてしまったか。
いや、少しずつ、ジリジリと、機首を動かしたようだった。タイタンの大気上層部のわずかな水素とアセチレンガスの霞を動翼が掴み、斜めに傾いでいた機体をゆっくりと起こしていく。〈ゼロ〉は〈ヤマト〉に、徐々に、徐々にと機首を巡らせ始めた。
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之