敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
酒盛り
『ガミラスがなんでーえっ!』
酔っぱらいが喚(わめ)いていると聞いた途端にわかる声が、壁の向こうから伝わってきた。そのとき森は、船内服の袖に腕を通したところだった。右腕にはかつて母親に斬りつけられた古い傷跡が残っている。
タイタンで凍死しかけたのだから念のため診てもらえと指示されて、ちょうど検査を終えたところだった。まわりにいるのは女ばかり。
宇宙軍艦において女医や女性看護士は、主に女乗組員を診るためにいる。その区画にその声は、仕切りの上を通して天井から響いてくるようだった。
『今日のおれは逃げたんじゃねーぞお! 荷物が重くて傾くから戦わねーでやっただけだい! そうよ、こっちが見逃してやったのよ! そこんとこ間違わねえでほしいよな!』
と喚く若い声に、『おうっ、そうじゃ! よう言った!』と、歳を食った合いの手が入る。
『でなきゃなんでえガミラスくらい。十五機だろうと五十機だろうとチョチョイのチョイとやっつけてやるってもんよお!』
森は驚き、声のする方を見た。しかしまわりの者達は、特に気にしたようすもない。ヤレヤレとばかりに首を振るだけだ。
「また佐渡先生ね。若い子にすぐお酒を飲ますんだから」「にしてもまた、ずいぶん威勢がいいわねえ」
森はアッケにとられていた。状況にも戸惑わされるが、それ以上に聞こえる声だ。酔いどれ声でも間違いない。これはまさしく――。
「ねえ、これって、例のあれじゃない? なんとかいうパイロット」看護婦のひとりが同僚に言った。「今日、十何機から逃げ切ったって――」
「あ!」と言われた相手が言う。「そうよ! あのがんもどき!」
「タマを一発も喰らわなかったってほんとなの?」
女達がたちまち姦(かしま)しくなった。今日の件は艦内じゅうでもう噂になってるらしい。が、すぐに、森の顔を見て黙り込んだ。全員、森が今日の作戦の当事者だと知っているのだ。
『まあ見ていてくださいって。だいたいおれはね、〈がんもどき〉でガミラス三機墜とした男なんですからね。いや三機じゃねえ。何機だっけ。忘れちゃった。とにかく次という次は――』
古代の声が聞こえてくる。誰もが目をパチパチさせてそれを聞く。酔っぱらいのうわごとだ。真剣に受け取るものじゃないはずなのに、考えずにいられない。皆そういう心境になってしまったようだった。むろん、森も。
古代進は〈グーニーバード〉だ。荷物運びの間抜けな鳥だ――誰もがそう思っていた。士官とは名ばかりの、たまたま〈サーシャのカプセル〉を拾ってきただけのボンクラパイロット。そのはずだった。武装のない輸送機で一度に三機のガミラスを墜とした――そんな話はホラに決まっていると誰もが思っていた。
今でもだ。みな半信半疑の顔だ。まあ、腕は、そんなに悪くないのかもしれない。けど選(え)り抜きのタイガー乗りの上に立つほどのわけがない。
そうだ。でなけりゃ納得がいかない。あの男が〈コア〉を拾ってきたせいで沖縄基地の千人の仲間が死んだのだから。あの男がひとりで千を超える者だと言うのでもなければ納得なんてできるわけない。
この〈ヤマト〉のクルーひとりひとりが皆、千にひとりの人材だった。将校から一兵卒まで、厳しい選抜をくぐり抜け、オレが人類を救うのだという強い意思をみなぎらせて訓練に励んできたエリートなのだ。ここにいる医師や看護士もまた同じ。
それを支えた沖縄基地の人員も、決して思いも能力も負けるような者達でなかった。古代進がこの〈ヤマト〉の航空隊長と言うのなら、千掛ける千、百万人にひとりのパイロットだとでも言うのでない限り納得などできるわけない。
〈ヤマト〉の士官、それも戦闘機パイロットとなれば、地球に帰れば英雄と呼ばれる者になる。がんもどきが英雄なんて納得できるわけがない。
だいたい、あれは、地球人類を救う使命を少しはちゃんと考えてるのか? そんなふうにはとても見えないではないか。古代進はこの船にはふさわしくない。異分子だ。だから疫病神であり、災いをもたらす存在なのだ。そうでなければおかしい。だろう。違うのか。
違うはずない――はずだった。
なのに、その古代進が、酒を食らって今ゲラゲラと笑ってる。声が聞こえる。まるでこの〈ヤマト〉の航空隊長にふさわしい人間であるかのように。
まさに英雄と呼ばれて然(しか)るべき人間であるかのように。
「あの……」
と看護婦のひとりが森に聞いてきた。
「今日の話ってほんとなんですか? 十何機に追われてタマに当たらなかったって……」
「ええと」と言った。応えるしかない。「まあ……」
「じゃ、あれは? 輸送機でガミラス三機墜としたって……」
「まあ……」
「本当に? でもそんなの、どうやって?」
「さあ……よくは知らないけど……」
古代の声が聞こえてくる。『あんときゃあね、敵がこう来たんですよ。こう! だからおれがね、機をこうして、こうやったら、敵がこういうふうになって……』
「あはは」
と森は笑った。新見がコンピュータに向かってカチャカチャと古代のデータを解析していた姿を頭に思い浮かべる。
解析を要するデータがあるってことは、要するに、その話は事実なわけだ。古代進は〈がんもどき〉でガミラス三機墜としたのだ。子供が大人三人に喧嘩で勝つようなものではないか。
一体どうすりゃそんなことができると言うんだ? 事実であるなら途轍もないことのはずなのに、あのとき新見と話しながら、なぜ考えてみなかった?
笑うしかない。だが、笑って済ませることでないのもよくわかっていることだった。
今日の作戦ではふたりが死んだ。その責任は作戦を立てた自分にある。人がふたり死んだのだ。地球に帰れば親があり子もいるかもしれない者らが。戦争だから。兵士だから。人類を救う使命を負って旅立つ船に乗る者だから。途中で死ぬのも覚悟の上であるのだから死なせていい――そんなことは決してない。顔も名前もよく知らない人間だからあたしにとってどうでもいい――そんなことがあってはならない。
誰かにとってはかけがえのない人間を自分が死なせてしまったのだ、と――そう考えなければいけないのだ。これが笑っていられることか。
一度はすべてが台無しになるところだった。採掘したコスモナイトを置いてきてしまったのだ。古代が運んでいなければ、今頃笑っていられるものか。
もうあいつをがんもどきと呼べない――わたしにはその資格がない。
そう思った。なぜこうなってしまったのだろう。どうしてよく考えてみなかったのだろう。島や新見と話したときに――新見は言った、島は何か知っているみたいだと……そうだ、島は何か知ってた。それをわたしにうまく説明できないで困っているようだった。わたしは自分で質問しておきながら、話を聞こうとしなかった。
闘争心に欠けるため補給部隊にまわされた男、だがそれだけではないようだ、と新見は言った。古代を見た何人もが『死なすには惜しい男』と考えたのは確かなようだ。だから今後の戦術のために、あの男を知らなければ、と――。
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之