敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
命令違反の件について
ガミラスが来る前は、夜に近くの高台から、よく三浦の海を眺めた。相模湾を囲んで向こうに鎌倉の街。遠くに江ノ島があり、散りばめられた無数の光が海の波を照らしていた。空を見上げれば星があり、宇宙船らしき光が星座を横切る。地上からはそれらの船は星の海を旅しているかのように見えた。兄の守はいつもそれを眼で追っていた。
艦長室に上がったとき、なぜかそれを思い出した。大きな窓のせいかもしれない。艦長室は前半分がドーム状の風防窓で、星空の下に立つように外の宇宙を眺める造りになっている。照明は暗く抑えられ、床や机上を照らすものがいくつかあるだけ――それが古代を夜の公園にでも入り込んだような気分にさせたのかもしれなかった。
この部屋はまた、どことなく、野外音楽堂か何かの小ステージのようでもあった。風防窓を取り外して、その向こうに扇状に席を配置してやれば――沖田は今、室の中央に置かれた複雑な機械に向かって座り、何事か手を動かしている。その姿は、古代の目に、ピアニストがグランドピアノを弾いているか、ドラム打ちがドラムセットを叩いているかのように見えた。
〈ヤマト〉という船そのものが沖田の楽器。沖田は今、ここで宇宙の星々に捧げる曲を奏(かな)でているか、あるいはまさにこの船の砲や魚雷を楽器とし打ち鳴らせる戦いの交響曲を練り上げている――古代はそんな想いに囚われて立ち止まった。沖田の背に声をかけることができない。そもそも何を言えばいいと言うのか。
「古代進、参りました」
それだけ言って、起立している以外なかった。艦長室に呼ばれたからには、命令違反の件だろう。弁明するだけ無駄なのだろう。艦橋に上がる途中で、森から話は聞いていた。『荷を捨てろ』との命令を受けたのに、通信を切って飛び続けた。覚えているか。だからおそらくそのことで叱責を受けるに違いない。覚悟した方がいいでしょうね……。
そうですか、と言うしかなかった。そんなことが確かにあった記憶はある。しかし実のところ、そのとき故意に命令に背いたという自覚はまったくないのだが――。
あのときは、敵の攻撃を躱すのに手一杯だった。他のことなどまるで気にかけていられなかった。そこへ通信が入ってきたが、言われることを理解するため頭を使う余裕がまったくなかったのだ。何かゴチャゴチャ言われているなと思っただけで、聞いてない。これでは命令に従うも従わないもないだろう。構っていたら墜とされると思ったから通信を切った、それだけ――なのだが、軍という組織の中でその言い分は通じまい。
森が言った通りに観念するしかないのだろうとわかった。だが一体それがなんだ。大体もともと、航空隊長なんていう柄では全然ないのだから、格下げでもなんでもしてほしいところだ。あの加藤とかいうのを隊長にして、おれは山本の下でいいんじゃないのか。
そんなことを考えながら、叱られるのを待っていた。沖田は手を止め、こちらを向いた。髭を揺らして言ったのはしかし意外な言葉だった。
「すまんな」
そのひとことだった。古代は驚き、「は?」と聞き返すしかなかった。
「〈ゆきかぜ〉のことだ。あれは〈メ号作戦〉で沈んだ船だった。わしはお前の兄を連れて帰れなかった」
「は? いえ、その……」
「お前の兄は男だった。勇敢な男だった。しかし、もう帰って来ない。許してくれ」
「はあ」
と言った。そんなこと、急に言われてもどう受け取ればいいのやら。命令違反の咎(とが)めなのと違うのか。
「メ号作戦」沖田は言う。「あれは特攻作戦だった。突撃艦に乗る誰もが、命を捨てる覚悟でいた。ガミラスに核を射たずには帰れない。生きて帰る気などない。むしろ生きて帰っては、これまで死んだ仲間達に申し訳ない……皆そう言って敵の中に飛び込んでいった。古代、お前の兄もまた……」
「はあ……」
「だが本当の理由は違う。お前の兄は、地球の子供達のために行ったのだ。決して無駄に死ぬために敵に向かって行ったのではない」
「はあ」
と言った。このおっさん、何を言っているのやら。なんだか言い訳並べてるようでもあるがこっちがポイントも掴まぬうちに先回りされても困る。一体全体、何を勝手に言い訳してんだ?
「ええと……」
「あの作戦は、最後の望みのはずだったのだ。基地を見つけて核を射ち込めるかどうかに、すべてがかかっているはずだった。地球の女が二年で子を産めなくなるか、十年に伸ばすことができるか」
「メ号作戦?」古代は言った。「ええ、そう聞いていますが……」
「そうだろう。十年あれば、波動エンジンをきっと造れる。ガミラスの船を捕まえて調べられれば、五年で造れるかもしれん――あのときはそう言われていた。それができれば形勢逆転なのだとな。しかし、そんな時間はない。二年で存続不能となるのが、予測されてしまっていたのだ」
「ええ」
と言った。〈メ号作戦〉のことなんか、わざわざ説明されずとも誰でも知っていることだ。突撃艦に乗る者達は、みな地球の女と子供達のため敵の中に突っ込んで行った。それも誰でも知ってることだ。兄貴もそのひとりだったというのは驚きでもあるけれど、どうせこの戦争は今日戦場で戦って死ぬか放射能で十年後に死ぬかの違いの戦争じゃないか。兄貴がそれで死んだからって、このおっさんにすまんと言われる筋合いはない。
はずだと思った。だが違うのか? しかし、あの作戦は――。
違う。兄貴が死んだからって、誰が悪いと言うものでもない。そのはずだと古代は思った。兄貴が敵に突っ込んで行ったと言うならこの沖田の言う通り、地球の子供達のために突っ込んで行ったわけじゃないのか。
沖田は続ける。「あの作戦に敗れた後、地球の女は遂にまったく子供を産まなくなってしまった。妊娠している女は自殺し、生まれたばかりの我が子を殺すようになった。お前の兄はそうなることを知っていたのだ。だからそれを防ぐため敵に向かっていったのだ。決してくだらんヒロイズムで命を無駄にしたのではない」
「はあ……」
「ガミラスに核を射ち込むことができれば、そんな女達を救える。その思いで行ったのだ。地球の女が子を産めるため。今いる子達が生きられるため――〈ゆきかぜ〉に乗る誰もがその思いだった。だから、望みが万にひとつもなかろうとも、撤退はできなかったのだ。それでは死んだ仲間達に済まぬと言って彼らは行った」
「はい、まあ、それはわかりますが……」
古代は言った。なんだかちょっとウンザリしてきた。やっぱりこのヒゲ、ちょっと頭がおかしいんじゃねえか。
もう今どきの軍人は、みんな頭が変になってる。特に〈メ号作戦〉の話になると、関係ないのに『すまん』と誰彼構わずに、『あの作戦にワタシも行っていたならば、必ず、必ず、基地を見つけて核を射ち込んでやったものを……』なんてなことを涙ぐんで言って頭を下げるのが、火星の基地にはいくらでもいる。このおっさんもその手のイカレ軍人のひとりなのと違うのか。おれが突撃艦艦長の弟と知ってネジが飛んだのかな。
「その結果があれだ。残骸になってまで敵に利用されるとは……古代よ、地球を〈ゆきかぜ〉のようにはしたくないな」
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之