敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
干上がった海
西暦2199年。地球は赤茶けた星になっていた。大気圏突入のブラックアウトを切り抜けると、眼下にかつては海だった赤い大地が広がっている。古代には一年ぶりの地球だった。去年にはまだなんとか泥の海が残っていた。ニュース映像で知ってはいたが、自分の眼でこうして見ると、あまりの光景に慄然とする思いだった。古代はアナライザーに言った。
「遊星が落ちたからって、なんで海が干上がるんだ?」
「オ答エシマス」とアナライザー。「簡単ナ説明ト詳シイ説明ノドチラヲオ望ミニナラレマスカ?」
「いい。知りたくて聞いたんじゃない」
「ソウデスカ」
正確には『干上がってる』というよりも、『北と南に集まって氷になって固まっている』と呼ぶのが正しいくらいのことは知っている。南北それぞれ45度。北は日本の北海道、南はオーストラリアのタスマニア島――の辺りより高緯度に水が寄せ集まって、そこで分厚く凍っているのだ。極地では氷の厚みは最大三十キロメートルになっていると聞くけれど、エベレストが宇宙からとんがっては見えないように遠くからは目でわからない。空気は乾燥しきっていてごく薄い雲しか出来ず、雨や雪が降ることはない。氷は泥が凍ったもので白くもないから、今の地球は全体が赤い乾いた玉。
とまあ、それが〈簡単な説明〉だ。その氷さえ解かせられれば海は元に戻るという。そこまでは聞いてわかるにしても、その先は……〈詳しい説明〉とやらいうのは、とても普通の人間の手には負えない。なんで水が南北に寄せ集まったりするのやら、古代にはまるでチンプンカンプンだった。
生物が死に絶えたのも塩害と大地が冷えたせいという。しかし、とは言え放射能汚染だ。これをなんとかしないことには、海を戻しようもない。せめて遊星が止められたなら……。
そんなところが古代の聞いている話だった。遊星爆弾そのものは、冥王星が回る辺りの空間にいくらでもあるただの岩だ。〈爆弾〉でもなんでもない。人を滅ぼしたいのなら、大昔に恐竜を絶滅させたといわれるようなデカいのをひとつ落とせばいいわけだが、ガミラスもそこまでの力はないのだろう。直径二十か三十メートルくらいの岩を投げつけるのがせいぜいのようだ。
その代わり、やつらは的確にそれを使った。地球には、かつての原子力発電で生まれた廃棄物が大量にあった。21世紀、人口が百億を超えたあたりで石油の枯渇が始まると、脱原発などとは言っていられなくなり人はウランが尽きるまで核による発電を続けた。エネルギー問題がどうにか一応の解決を見たのは22世紀も半ば頃になってからだ。後には廃炉を必要とする一千基の原子炉が残り、膨大な放射性廃棄物が地中に埋めたままになった。そんなものは宇宙に上げて金星にでも投げ捨てられるようになってもきていたが、打ち上げの失敗で物質が空に撒き散らされるおそれがわずかでもある以上それをやるわけにいかなかった。
ガミラスの遊星はそこを狙った。二十メートルの大岩がプルトニウムの埋蔵地にクレーターを開け、十万年間地上を汚す見えない悪魔を解き放った。チェルノブイリをはるかに超えるその毒に草木は枯れて動物達は死に絶えた。
今、人類は地下に逃れてなんとか助けた犬や猫を飼いながら絶滅のときを待っている。
「滅亡まであと一年か――その数字って本当なのか?」
「アクマデモ悲観的ナ予想デスヨ」
「けどさあ、まだ十億人も生きてることは生きてるんだろ。『あと一年、あと二年』って五年前から言いながらなかなか絶滅しねえじゃん」
「滅亡シテホシイノデスカ?」
「そういうわけじゃないけどさ」
「マズ、〈滅亡ノ日〉トイウノハ、人類ノ最後ノヒトリガ死ヌ時トイウ意味デハアリマセン。女性ノスベテガ子供ヲ産メナイ体ニナルカ、産ンダトシテモスベテノ子供ガ放射能障害デ幼イウチニ死ヌコトニナル日、トイウ意味デス。最後ノ大人ガ死ヌノハ十年先ノコトデス」
「うん」
「ヤハリソロソロアト一年デハナイカト言ワレルヨウデス。存続ノ望ミガ絶タレルマデニ……」
「ふうん」と言った。まるで実感がわかない。
「古代サン、ナントカシタイト思ワナイノデスカ!」
「ここでおれとお前が話してどうにかなるってもんじゃないだろ」
「ソレハソウデスガ……」
「女が子を産まなけりゃ、か。確かにそういうもんなんだよな」
「今年ハツイニ出生率ガ0.01ニマデ落チタソウデス。奇形デ生マレルオソレモアリ、産ンデモ放射能ノ混ザッタ水ヲ飲マセルコトニナルトイウノデ、女性達ハミンナ妊娠ヲ拒ンデイルトカ」
「そうか」と言った。「そりゃそうだよな」
もう一年、子が生まれてさえいない……そういう意味なら、〈人類滅亡の日〉というのはもう来ちまってるんじゃないのか? 女が子供を産むに産めないのなら――古代は思った。考えは、すぐに荷台に置いた〈積荷〉に向かうことになる。収容したあの脱出カプセルだ。中の〈女〉は死んでいた。潜航艇から最後に脱出したものの、Gに背骨を折られたらしい。心臓が止まっていたのを蘇生を試みてはみたものの無駄だった。
あの女はなんなのだろう? 手に何やら楕円球のカプセル様のものを持っていた。楕円の脱出カプセルの中にまた小さな楕円カプセル。古代は見て、鳥のタマゴを連想した。カプセルは透明で中が覗いて見えたのだが、真ん中に丸いものが入っていたのだ。古代には、それがタマゴの黄身に思えた――色が黄色いというのではない。その中で何かがうごめいているようであったのだ。小さなヒナの心臓が脈を打っているような。
あるいは、人間の赤ん坊が――バカな、と思う。そんな考えにとらわれるのは、〈彼女〉がそのカプセルを両手で胸に抱えていたからだろう。これだけはどうしても守らねばならない。たとえ自分の命に代えても――その一心でいたかのように古代には見えた。
しかしタマゴなどではない。それは鉛のように重く、〈黄身〉の動きも心臓の鼓動というよりは何か高速で回転するモーターの唸りのようだった。あれはなんなんだ、と思う。ことによるとマイクロ・ブラックホールとか、そういうシロモノではないのか。
でなけりゃ、どうして、それを持ってそのまますぐ地球に向かえなどと言われるのか――そして地球に着いてみれば戦闘機に迎えられ、なんとモールス信号なんかで《ついて来い》と言われる始末。今も四機の〈コスモタイガー〉戦闘機が、二機ずつ分かれて古代の左右を〈がんもどき〉の遅い速度に合わせてユラユラ蛇行しながら飛んでいる。
いや、違うな。ああして糸を縫い合うようにしてるのは、何か警戒しているのだ。ガミラスが地球に直に来たなんて例は一度もないというのに。まあ、無人偵察機などはしょっちゅう飛ばしてくるらしいから、それを墜とす気なのかもしれんが、それにしても――。
〈タイガー〉か……弧を描いて空を舞う戦闘機を眺めて思った。おれだって、元は戦闘機乗り候補生だった。世が世なら――いや、考えるのは無駄か。元は候補生と言っても、あんなの、あの新鋭機に乗るトップガンとは雲泥だろう。
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之