敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
第5章 青い炎
地下都市に長く暮らしていると、昼と夜がわからなくなる。街はいつでも夜である。地熱発電システムのおかげで灯りにそう困ることはないのだが、それでも暗いものは暗い。多くの人はその暮らしにも順応してしまったが、時間の不規則な仕事に就いていたりすると、生活リズムを保つのにかなり苦労することになる。
たとえば、野球場の職員や選手だ。スタジアムを囲む照明。雨の降らない地下都市では屋根をドームにする必要はもちろんなくて、見上げれば灰色の天井がある。それを支える柱と柱の間をモノレールが行き交っているのもスタンドとフェンスの向こうに見える。昼と夜の区別はなく、やっているのがデイゲームなのかナイトゲームなのかよくわからない。
今日のはどっちだったっけ、と思いながらその日、ピッチャーの近藤勇人(こんどうゆうと)はベンチに入っていった。すると、「あれを見ろよ」と声をかけてくる者がいる。
「なんだ?」
見てみた。正面のスタンドだ。電光掲示板に《宇宙戦艦ヤマト、ワープテストに成功》という文がデカデカと表示されている。
「なんだありゃあ?」と言った。「〈ヤマト〉って、こないだの停電のあれか? 〈ワープ〉ってなんだ?」
「超光速航法だとさ。光より速く進むんだと」
「って、どのくらい?」
「知らん」
「なんとかダルってどのくらいの距離にあるんだ?」
「知らないよ。二、三十光年なんじゃないのか? ガミラスもそのくらいだろって言われてるからな」
「そうか。やつらは地球人が外宇宙へ出るのを恐れて滅ぼしに来たに違いないって話だからな。それより遠いとは考えにくい……」
「そんな話だったよな」
「有力説としては、か。光より二十倍速く進めりゃ一年で帰ってこれるのか」
「往復だから五十倍くらいでないといけないんじゃないの」
「どっちでもいいだろ、そんなのは……けど、本当にそんなことができるのか」
「できることはできんじゃないの。ガミラスだってそれで来るんだろうからな」
「そりゃそうだろうが……」
と言った。ガミラス。その正体も、どこからどうやって来るかも不明。それでも一応、有力とされるいくつかの説は立てられている。状況から見て、やつらは地球人類の外宇宙進出を恐れ、その前に根絶やしにするため来たのは疑いない。ゆえに降伏は無意味だろう。地球人の奴隷化とか、移住というのはあまりにバカげていて考えにくい。もちろん、彼らは地球人を滅ぼしに来たのは来たが、それは肉体だけであって実は魂を救済に――なんていうのも信じちゃいけない。
では、どこから来るのかだ。数十光年からせいぜい百光年というのが、大方の学者の推測らしい。地球がある太陽系から半径十光年の宇宙に別の恒星系は十ばかり。しかし半径百光年なら、十の三乗でその千倍、一万の星系がある計算だ。星が一万あるのなら、地球と同程度かそれ以上の科学を持つ文明がひとつくらいあっておかしくないし、テレビ電波か何かを拾って地球人の存在に気づくことも充分有り得る。逆に言えばそれより遠くじゃ、ここに我々がいることにそもそも気づきようがない――。
たとえば、アンドロメダ銀河。そんな遠くの百億の星のただひとつを、目の敵(かたき)にする理由があるか? そもそもそんな遠くから、ここに文明があることを一体どう知るというのだ。それとも千億とか一兆とかいう星を全部征服してるとでもいうのか。けれどもあのガミラスというのは、地球を侵略するのにも遠くから石を投げるしかできないようなやつらだぞ。
はっきり言ってあいつらは、波動エンジンがなけりゃたいしたことはない。八年かけて地球ひとつ滅ぼせないのに、銀河を丸ごと征服なんてできるわけがないではないか。
ガミラスが遠い星であるわけがない。ガミラスが何千何万光年も遠いというのは、南米人のナントカ氏が日本に住むひとりのスズキさんやタカハシさんを縁もゆかりもないのに目を付け殺しに来るに等しいのだ。そんな話は変だろう……。
といった説をよく聞くわけで、それが有力とされている。ガミラスは地球から百光年以内。もしこれが違うなら、根本的に考え方をあらためなければならなくなる、と。
〈イスカンダル〉とやらがどこにあるのか政府は発表していないが、同じ理由で百光年以内と見るべきなのだろうと近藤は思った。理屈はわからなくもない。
ワープ航法。光を超えて船を進ませる技術か。それが本当だというなら、往復二百光年だろうと旅して地球へ戻ってくることも可能であるのかもしれない。そもそもガミラスがやっていることであるのなら。しかし――。
「でもなんだって、あんなのをスクリーンに出してるんだ?」
「そりゃあ市民に希望を持たせようってことだろう。なんてったって、元々ここは……」
「ああそうか。そうだったよな」
忘れかけてた。ここで球を投げる仕事してるのというのに……この球場は、地下都市に暮らす人々に少しでも希望を持たせるためにある。そのはずだった。いつか必ず地上に戻れるときが来ます。それを信じて堪えましょう。この地下でもまだ我々は野球ができる。野球ができるうちは大丈夫なのですと。
そうしてここが出来上がって六年が経った。最初のうちはずいぶんと力強い声援を聞いた。しかし今はどうだろう。投げていても聞こえるのはヤジばかりだ。客席はどちらが勝つかの賭博場と化している。
もう人々は、絶望しきっているのかもしれない。放射能に汚染された地上にどう戻るというのだ。もはや土を掘り返してどうなるというものじゃないのに。
水だ。水が汚染されてる。それが日々進んでいる。まだ大人が飲んですぐどうこうというレベルではないらしい。だが妊婦に飲ませてはいけない域に達しつつある。半年後にはさらに高く、一年後にはさらにさらに高くなって、子が生まれてもさらにその一年後には、これから育つその体に飲ませる水の汚染度は到底あってはならないところまで高くなってしまっているのだ。それを知ってて子を産もうとする女がいるか?
無理だ。これでは希望などとても持ちようがない。
一年前の〈メ号作戦〉の惨敗後、女達は遂に子を産まなくなった。それどころか妊婦は自殺し、あるいは生まれた子を殺し、男は銃を手に入れて一家心中を図っている。生きたところで十年の苦しみがあるだけならば今のうちに――誰もがそう考える。それが今の地下都市なのだ。
《宇宙戦艦ヤマト、ワープテストに成功》――スクリーンのあの文字は、この球場の支配人か誰かが市民を絶望させまいとして映しているものだとわかった。しかしどうなんだ。〈イスカンダル〉、〈コスモクリーナー〉? それも船団で行くならともかく、〈ヤマト〉だかなんだか知らんが船のたった一隻で。
得体の知れない、つかみどころのない話だ。とても信用できるような気はしない。
それにだいたい、あんなものを映したって、今のこの球場に来る者と言えば――。
「〈ワープ〉? 一体なんだそれは。ワンタンかなんか入ったスープのことか」
酔っ払いの声がした。ハゲ頭のおっさんが、一升ビン片手にフラフラしてるのが見える。
「〈ヤマト〉だとお? んなもん逃げたに決まってんだろーっ!」
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之