敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
採石場
オレンジ色のもやを抜けるとタイタンの地表が見えてきた。いくつもの湖の間を川が流れる湖水地帯だ。青い頃の地球であれば緑に覆われるところだろうが、タイタンのそれは氷の大地。
古代の〈ゼロ〉と揚陸艇は、メタンの湖のほとりに着地した。エンジンの燃焼ガスにわずかに残っている酸素にメタンが反応して青い炎を燃やさせるが、それが周囲に燃え広がることはない。大気中に酸素がまったくないからだ。
古代は〈ゼロ〉のキャノピーを開けた。体が軽い。タイタンの重力は地球の七分の一しかない。衛星としてはこれでも大きく、直径は木星のガニメデに次いで二番目だが、コクピットの乗り降りにハシゴを使う必要はない。ヒョイと飛び降りて着地した。
アナライザーがその体を頭と胸と腰に分け、内蔵された反重力装置の力でフワフワ漂い出てくる。そうして下に降り立ってまたカチャカチャと合体し、オイッチニと体操するのだ。
「アナライザー、お前はそっちのを降ろせ」
と言いながら古代は片方の貨物ポッドを外しにかかった。ただの筒だが1G下では重さ百キロはあるだろう。しかしタイタンの重力下では、十数キロの目方(めかた)にしかならない。ひとりでも楽に取り外せる。
これにコスモナイトの鉱石を詰めれば重さ2トンになるはずだが、しかしそれもタイタンでは300キロ。採掘チームの男全員で持ち上げればまあなんとかなるはずだった。しかしその後飛び立って5Gの加速で星の重力と大気から脱出しようとするならば、片側10トン、左右合わせて20トンの重さが機体にかかることになる――貨物ポッドは航空機搭載用爆弾を改造したものだし、〈ゼロ〉の懸架装置もそれに耐えるように出来てるのだから別に問題はないはずだが。
アナライザーが自分の体をまた上下ふたつに分けた。頭と胸の上半身が宙に浮き、取り外した二本のポッドの先っぽを左右の手にブラ下げる。で、古代が後ろから尻を持って支えるのだ。太くて長い二本のポッドをぶつけないで運ぶには、そうして歩くしかなかった。
アナライザーがフワフワと、古代がヨッコラヨッコラと、岩と氷の地面の上を行く後を、アナライザーの下半身が二本の脚をトコトコさせてついてくる。知らない者が傍(はた)から見たら一体なんの珍道中かと思うだろう。
『なあにそれ』
ヘルメットの通信機に森の声が入ってきた。揚陸艇の前で採掘チームと共に立っているのが見える。手にカメラを持っていてパチリと撮られてしまった。
全員が宇宙服にヘルメット。このタイタンではそれを脱いでもすぐ死ぬことはないと言うが、しかしマイナス180度の低温と酸素を含まない大気。『すぐ死なない』ではなくて、『一分だけ生きていられる』と言うのが正しい。加えてもし吸い込めば、アンモニアの悪臭だ。
声も直接響かすことはできるのだが、やはり互いのやりとりは通信機でということになっていた。古代は言った。「山本は?」
『機内にいるわ。いつでもすぐ飛び立てるように』
頷いた。古代と山本のパイロットスーツは一応宇宙服ではあるが、タイタンの環境に耐えられるほどの性能を持っていない。生命維持の装置は簡易的であり、酸素は十五分しかもたないし温度調節もたいして利かない。この高圧の冷気の中では十五分でやはり体が凍(こご)えることになるだろう。古代もこのポッドを置いたらすぐ〈ゼロ〉に戻らねばならなかった。
「で、これがコスモナイトの鉱床?」
そびえている崖を見上げる。崖、と言うより誰かが山を切り崩した跡のようだ。それも石を四角く切って一個二個と取っていったものとわかる。まるで二百年前から続く古典ゲームの途中画面を見るようだった。古代は言った。「なんか〈テトリス〉みたいだね」
『ああ、試掘の跡なのかな』
と斉藤が言った。耐スペース・デブリ仕様の船外作業服姿はまるでパワードスーツを着込んだ機動歩兵か戦闘ロボかという感じだ。
『ガミラスが来る前にはここに採掘基地を作ろうって話もあったようだけど、危険だからやめようってことになったみたい』
「危険? どうして?」
『たとえばそこの湖だよ。そこにナミナミしているのは水じゃあなくて液体メタンなんだよね。ガスライターの中にあるのと似たような。で、あの〈水〉を踏んづけた足で基地に入ってごらんなよ。ガスが揮発したところにタバコなんか吸おうとしたら……』
『ドカーン』と別の隊員が言った。
『このタイタンで酸素ほど危険な物質はないわけさ。酸素がなけりゃメタンも燃えようがないけれど、人間には酸素が要ると。だから到底、危なっかしくていられない』
「ははあ」
アナライザーが鉱石を調べていたのが言った。「充分ナ含有量デス。スグ作業ニカカリマショウ」
「了解。アナライザー、お前は作業を手伝うんだよな」
「ソウデス」
「じゃあおれは、それが済むまであいつを飛ばせって言われてるから」
と、向こうに止めた〈ゼロ〉を指差して言った。もやの霞(かすみ)で、まるでその色のサングラスを掛けたか、常夜灯を灯(とも)した部屋にいるかのように何もかもオレンジ色だ。銀色の〈ゼロ〉の機体も今は夕暮れの中にあるように見える。
『行ってらっしゃい』森が言った。『大事な機を壊さないようにね』
「はい」と応えた。ヤな女だなと思いながら。
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之