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天狗風

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 憎らしげに吐き出すと、片手にした長大な錫杖をぶぅんと振り回す。その風の勢いだけで身体が吹っ飛んでいきそうだった。
「隊長、まだですか!」
 同じくライフルを構えていた他の隊員が、風を堪えながら発砲許可を求めて怒鳴る。烏天狗どれだけの力を持つのかまるで判らない。体中から発して来る押しつぶされそうな威力だけで、堪えようとしても心の底から恐怖が湧き上がってくる。必死で押さえ込まないと、恐怖の余りに無茶苦茶に引き金を引いてしまいそうだ。誰かが一発でも発砲すれば、釣られた全員が狂ったように撃ち出すだろう。そうなったらもう止まらない。任務でもなんでもない、ただパニックに陥った人間の集団になってしまう。
「うわ、でっけぇ」
 場違いに能天気な声が聞こえた。張り詰めていた糸がふぅ、と緩む。当の悪魔でさえ、勢いを削がれたのか錫杖を止めて少し高度を取っている。何事かと思っているらしい。
「お前空気読めや……、奥村」
 有難く思いながら、それは言わずに憎まれ口を叩く。サタンの息子は無意識に良い所でナイスプレーする。自分には出来ないことを羨む気はないが、時にそれが自分の未熟さを突きつけられるようで悔しく思ってしまう。後ろからいつものように双子の弟が追いかけて来て、小さいが鋭い声で兄さん、と窘めている。
「坊」
 聞きなれた声に振り向けば、子猫丸もいつの間にか傍に居た。ほんの数時間しか離れていないのに、思わずほっとしてしまう。彼らに頼りすぎなのではないか? 明陀宗の座主血統として、自分が立て直して行かなければならないのに。いや。一人で何とかしようとしすぎだと子猫丸に怒られたばかりではないか。
「坊と僕、神木さんの三人が別動隊として志摩さん助けに行くことになりました」
「俺がアイツの相手しとくからさ。志摩助けて来いよ」
 燐がび、と親指を立てて見せる。
「おま……。それ大声で言うたらアカンやろ」
 作戦はおおっぴらにバラすものではない。
「ヒトナラザル者ガ、ナゼヒトノ味方ヲスル?」
 大烏天狗が苛立ったように錫杖で地面を突く。ごおん、と大木が空から降ってきたような衝撃と音が辺りに響いた。
「ヒト……ザ……? あ? サル呼ばわりしてんじゃねーよ! テメェこそカッパみてーな面してるくせに、空飛びやがって、ズリーぞ!」
 降りて来い! と子供のけんかのように怒鳴る燐を、雪男が違う違う、と慌てて引き止める。緊迫した場になんとそぐわないことか。だが、祓魔師たちの強張った身体が解けたらしい。それぞれが臨戦態勢に入る。烏天狗と降魔剣を抜いた燐が睨み合う。
「ワッパガ……」
「わっぱ……? 弁当じゃねーよ」
 弁当の話じゃないよ、と突っ込む雪男も随分と暢気だ。
「ワシニ敵ウト思ウテカ」
「んじゃぁ、試してみるか?」
 額としっぽに青い炎を点した燐が、ニヤリと笑って脇構えに刀を引く。ゆらりとしっぽが挑発するように揺れた。ぐ、と腰が沈んで弾けたように走り出したと思うと、雄叫びを上げながら跳躍する。その足元を丸太がごう、と風を切って薙ぎ払った。
 二合、三合と錫杖と降魔剣がぶつかる。
「オノレ、チョコマカト……」
 どうやら周りの祓魔師たちへの意識が逸れたようだ。本格的に燐を追い掛け回している。サタンの息子は持ち前の体力で飛んだり跳ねたり、存分に烏天狗を振り回している。
 勝呂と子猫丸、そして出雲はそっとその場を移動した。子猫丸の先導で細いわき道へと入る。そこは急激に狭く天井も低くなった。人一人が通るのが精一杯だ。後ろから金属が触れ合う音や、風が唸るような音が追いかけてくる。燐と大烏天狗の立会いが本格的になったらしい。
「俺らだけか?」
「いえ、徐々に何人ずつか抜けて、それぞれ別の場所へ捜索に行くみたいです」
 子猫丸が勝呂の質問の意を汲んで答える。
「のんびりしてる時間はないわよ」
 出雲がケミカルライトの筒を二つ一度にばきりと折って、狭くなった通路の奥に投げ込む。かつん、ころん、と転がった衝撃で魍魎《コールタール》が作っていた闇の帳がふらりと揺れた。使い魔を呼んでいた出雲が『天の大御酒』を出させて下級悪魔の群れを祓うと、通路が見やすくなった。どうやら奥の右手に少し広めの空間があるようだ。
「行くで」
 勝呂は先頭に立ってライフルをあちこちに向けて警戒しながら進む。その後ろから子猫丸と出雲がライトで行く手を照らしながら続いた。
 空間の手前で一度止まると、右手の壁を背につけて念のため聖水を放り込む。遠くから射撃音が響いてきた。燐だけでは抑えきれなくなったと言うことか。それとも悪魔がもっと現れたのか。気に掛かるが、自分たちの役目を思い出す。
 出雲が再び発光塗料の筒を投げ込む。ライフルを構えながらじりじりと通路の隅まで警戒しながら進み、左手の空間に悪魔が居ないことを確かめる。すばやく移動して反対側の壁に背をつけると、そろりと今まで背にしていた右手の空間の中を覗き込んだ。
「志摩……」
 薄オレンジ色に染まった空間に、廉造が倒れていた。
「志摩さん……!」
 子猫丸が警戒しながらも、駆け寄る。出雲も使い魔と共に子猫丸が廉造の様子を見る間、辺りを警戒する。二人を見ながら、自分でも駆け寄りたいのを堪えて、空間の中をライトであちこち照らした。
 白狐が『いるぞ』と警告してきた。どこだ。
 天井に灯りを向けた途端、目の前を塞がれた。同時に顔が握りつぶされるような圧迫感と痛みを感じた。ぐあ、と思わず声を上げてしまう。
「坊!」
 廉造を抱えながら、勝呂を心配して子猫丸が立ち上がろうとする。それを押し留めた。
「修行? オ前モ修行スルカ?」
 痛みを堪えて目を開けると、隙間から顔を掴んでいるのが鳥の鉤爪だと気付く。そして小さな山伏の格好をしていること、片手に刀を持っているのが見えた。さきほどの大烏天狗よりは小さい、勝呂と同じ位の天狗だった。
「修行スルカ?」
「なんのことや……」
 痛みを堪えて、顔を掴んでいる烏天狗を下から狙い、引き金を引いた。聖銀弾が貫通した悪魔が断末魔の叫び声を上げて、勝呂の顔を一瞬強く締め上げる。
「坊!」
 ミシミシと骨がきしむ音がして、思わずうめき声を洩らした。子猫丸が心配そうに名前を呼んだ。だが、すぐに顔への圧迫が無くなる。どさり、と音がして烏天狗の身体が地面に落ちた。
『消えたな』
『消えた、消えた』
 白狐が辺りを見回す。もうこの辺りに悪魔は居ないらしい。
「子猫、志摩はどうや」
「気ィ失うとるだけですわ。あちこち怪我したはりますけど、打ち身とかすり傷です」
 正確には医師の診断を待たねばならないが、一先ずは安心しても大丈夫そうだ。力が抜けてへたり込みそうだったが、まだ全部が終わったわけではない、と自分を叱咤する。
「第一ミッションクリア、ですね」
「そうやな」
 勝呂は廉造の顔を覗き込む。暢気な寝顔ではなく、ぐったりと力の抜けた顔だった。思わず頬に触れようと手を伸ばして、子猫丸や出雲が居ることを思い出す。苦し紛れに鼻をぎゅ、と抓った。



 結局烏天狗は燐と騎士團たちに祓われた。
作品名:天狗風 作家名:せんり