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呪いと祝福、愛情と憎しみ

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 白澤とは、それから何度か顔を合わせた。それでもいつも通りの、じゃれあいのような戯れにしかならず、また、それ以上踏み込めば、今度は鬼灯の身体が持ちそうになかった。
 結局、白澤は何も気付くこともないまま、鬼灯の残りの命数ばかりが過ぎていた。次第に寝台から身を起こすことも億劫になることが増え、痣は、ついに四肢に広がりを見せ始めた。
 完全に起き上がれなくなる前に、まず仕事の方をどうにかせざるを得なくなった。閻魔大王に相談して、鬼灯の転生のことは伏せ、現世での長期に渡る視察のために、地獄を留守にすることにしてもらった。
 法廷に主な獄卒を集めて、いつも以上に溌剌と、新たなる地獄の展開のためにこれは必要なことであると説いた。これが、皆と会う最後の機会だと自分に言い聞かせて、人生で最初で最後の大芝居を打った。
 演説を終え、大幅な人事異動を敢行して、突然の発表に戸惑う獄卒たちが鬼灯に追いすがってくるのをあしらって、ひっそりと誰にも知られないように部屋に戻って、そのまま寝台に倒れこんだ。
 翌日からはもう、寝台から起き上がることすらできなくなった。痣はついに頸部にまで及び、手足は老人のように枯れ果てて行く。歩けば手足は折れてなくなってしまいそうな気がした。
 もう、白澤のことをどうにかすることは、諦めるよりほかになさそうだった。


「だから、鬼灯様はもう現世に行っちまったって、言ってるだろ?」
 柿助とルリオが顔を見合わせ、困ったようにシロにため息をついた。
「そんなことないもん! だって、鬼灯様の部屋の方から鬼灯様の匂いするもん! 確かにちょっといつもと違う匂いだけど、でもあれは鬼灯様の匂いだもん! 俺、間違うわけないよ!」
 シロは訴えた。1週間ほど前に鬼灯は、主だった獄卒を集め、現世に長期の出張に行くと告げ、姿をくらませてしまった。主だった獄卒であるから、当然下っ端のシロたちはその場に呼ばれていない。つまり、鬼灯は別れを告げることもなく出張に行ってしまったのである。
 いろいろな経緯から他の獄卒たちよりは親しくしてもらったとはいえ、一介の獄卒でしかないシロたちと、補佐官で鬼神の鬼灯とでは、立場もまるで違う。長期とはいえ、出張くらいであれば、挨拶などする必要もないだろう。
 そう、柿助やルリオは言うのだが、そんなことではシロは納得しなかった。シロにとって、鬼灯は自分たちのリーダーで、ご主人様で、とにかく暇さえあれば一緒にいたい相手だった。だからこそ、鬼灯がシロに内緒で何処かに行くなんて、考えたくもなかったかった。
 それに、最近は現世での話を年下の同僚たちから聞く機会も増えた。何も言わず主人が消える時というのは、つまり自分が捨てられた時である、ということなのだ。
「だから、鬼灯様は出張に行っただけで、お前を捨てたわけじゃないって。そもそもお前、鬼灯様の飼い犬じゃないじゃんか。それに考えてみろよシロ。鬼灯様がいるなら、なんで部屋から出てこないんだ? 地獄はこないだの人事異動のせいで今すごい混乱してるんだぜ? 鬼灯様がわからないわけないだろ?」
 柿助がやはり呆れたように重ねてため息をつく。それでもシロは柿助の主張を信じる気にはならなかった。
 これで鬼灯が本当に現世に長期の出張に行ってしまったなら、諦めようもある。けれど、シロにはわかる。鬼灯はまだこの地獄にいる。シロは相当年季の入った犬の霊獣である。その鼻で嗅ぎ分ける匂いをごまかすことはできない。
 しかしたしかに柿助が言うように、鬼灯が部屋にいるなら何で出てこないのか、それがシロにもわからなかった。
「確かめに行くくらい、いいと思わない?」
「だから、部屋の主がいないのに、勝手に入ったらだめだろう? 閻魔様だって今回はダメって言ったじゃんか」
 それを言われてしまうと、シロも耳と尻尾を下げてしょげるしかない。
 いつもは優しい閻魔大王も、今回だけはとても厳しい顔でダメだと言っていた。それだけでなく、寂しいかもしれないけれど、しょうがないことなんだよ、と、自分の方が寂しそうな顔で、シロ達を慰めた。
 閻魔大王も何かおかしいような気がする。柿助は鬼灯様がいないから仕事が大変なんだろうと言っていたけれど、それだけではない気もする。やっぱり、なぜかはわからない。
 シロはここしばらく、ひどく落ち着かなかった。鬼灯と最後に不喜処で会ってから、そうだった気がする。
 あの時も、鬼灯からした匂いは何かおかしかった。今、鬼灯の部屋からする匂いは、あの時の匂いよりずっと濃い。鬼灯が部屋から出てこれないのは、その匂いが関係しているのだろうか。そう思うのに、やはり言葉を重ねても柿助とルリオには通じない。
「だーかーらー、匂いがおかしいっていうなら、きっとお前が勘違いしてるんだって。鬼灯様に近い匂いのもとが部屋にあって、それを鬼灯様恋しさのせいで鬼灯様の匂いだなんて錯覚してるんだよ。もういい加減にしろよ、シロ! 不喜処だって、今、大変なんだぞ? 早く戻って仕事しないと、先輩たちからどやされるだろ!」
 いいかげんいらいらとしていた柿助がついに怒鳴った。怒鳴られて、シロもカチンとくる。柿助とルリオは何もわかっていない。絶対におかしいのに、なんでみんな気付かないのだろう。
「もういいよ、柿助とルリオの馬鹿!」
 シロのことを信用しなかった柿助とルリオに、シロも怒鳴って駆け出した。もう、あの二人は当てになどできないと思い知ってしまった。だったら自分だけで確かめるより他にない。
 シロは鬼灯の部屋に続く廊下に走った。本当は通っちゃダメだと言われていたけれど、ちょうどよく見張りの鬼はいない。見つからないように駆け抜けて、突き当たりの鬼灯の部屋の前に出る。
 近づけばさらに良くわかった。部屋の向こうからするのは鬼灯の匂いに間違いない。同時に何がおかしいのかもシロは気付いてしまった。いつもの鬼灯の匂いとは違って、肉が腐った匂ような匂いが、部屋の向こうから漂っていた。
 シロは恐る恐る扉を開けた。以前鬼灯の部屋を訪れた時は、鬼灯は物音にも気づかずに寝ていたから、あまり気遣う必要はないのかもしれない。けれどやはり駄目と一度言われたことを破ることで、どうしても抜き足差し足になってこそこそとしてしまう。
 一歩入ると部屋の中は明かりもなく真っ暗。それに鬼灯の部屋はもともと物が多く、足の踏み場は少ない。物音を絶てないよう細心の注意を払っていたにもかかわらず、うっかりシロは書類の束に身体をぶつけ、それを音を立てて崩してしまった。
「……誰、です、か」
 シロはびくっと思わず身体を強張らせた。闇から響く弱々しい声といえば怪談話のお約束。出てくるのは幽霊か悪鬼か、いや、まて地獄なんだからどっちも出てきておかしくない上に、そもそもどっちもごく普通にそこら中に居るじゃないか。それにここは鬼灯の部屋。と言うことは、出てくるのは当然のごとく、鬼神鬼灯のはず。
「鬼灯、様……?」
 今の声はまさか鬼灯だろうかと、シロは光の届かない闇の向こうに問いかけた。確か覚えているままであれば、寝台がある辺りだったはずである。