呪いと祝福、愛情と憎しみ
ただ、気になると言えば一つ。あの直後、縁があって吉兆の予言と加護を求められて、それを与えに行った。しかし、頭に触れ、加護を与えたはずの子供は、その次の日、白澤が触れた頭を打って、極楽満月に運び込まれた。
何故だろうと思っていたが、あれは、今思えば鬼灯の肩を抱きとめた右手ではなかっただろうか。
まさかあの極悪非道の鬼に触れたから加護の効力が落ちた、なんてことはあるまい。しかし、他に原因も考えられそうにない。あるとすれば、鬼灯が、なにがしかの病や怪我を負っていて、白澤の力を一時的に奪ってしまったという可能性。
しかし白澤ほどの存在が、鬼灯に触れた途端に吉兆と癒しの力をごっそり持って行かれるほどの病や怪我を、そうそうあの鬼灯が得るとも考えにくい。そもそも、その後鬼灯は元気に現世へ長期出張に行ったというのだから、まずないだろう。
しかしそれでも、何か引っかかりを持ってしまうのはなぜだろう。
「あれ、シロ。一人でこんな所まで来るなんて珍しいな! って、どうしたんだ?」
カタリと店の扉が開き、桃太郎がまず旧知の友人の姿を見つけて喜んだ。しかしその来客の様子がいつもとは少しばかり違ったらしい。
白澤も桃太郎の声にもう一度扉の方に視線を向ければ、確かに、桃太郎が首をかしげるのも納得だ。シロの真っ白い耳としっぽが、力無く、だらりと下に向かって垂れていた。
「ほんとだ。シロちゃん、どうしたの。元気ないね」
「え、あっ、いや、なんでもないよ! 桃太郎、白澤様、こんにちわ!」
声をかければ、シロははっとして思いきり明るく、怒鳴るような声を出し、耳としっぽを無理やりぴんと立ててみせる。しかしそれもすぐにしおれ、元通り。
白澤は桃太郎と顔を見合わせた。
「なんか変だぞシロ。悪い物でも食ったのか?」
桃太郎がシロの状態に心配そうに顔を近づける。するとシロはその桃太郎から逃げるようにあと退る。益々桃太郎は心配になったのか、おろおろとして白澤に助けを求めた。
「白澤様、シロ、何か悪い病気にでもかかったんじゃないですよね。ちょっと診てやってもらえませんか」
「ち、違うよ! 俺なんともないよ! 鬼灯様より全然元気だよ!!」
慌てて否定したシロの言葉に、今度は違う意味で桃太郎が首をかしげる。
「シロ、なんでいきなりそこで鬼灯様の名前が出てくるんだよ」
「あ、わわ……、な、なんでもないよ! ほんとになんでもないから!! 鬼灯様との約束だもん!」
シロは必死になってごまかそうとしているらしかった。しかし、そうすればそうするほど墓穴を掘っているのだと言うことには気づいていない。
さすがにここまで来ると、白澤も黙ってはいられなかった。
「シロちゃん」
白澤はシロの前にかがみこみ、にんまりと笑みをつくってシロの頭を撫でまわした。
「シロちゃんはいい子だねぇ」
頭を撫でられるのはシロも嫌いではないだろうが、今日に限っては及び腰。何か言われようものなら、すぐにでも逃げ出そうと言うが、ありありと見てとれる。
そんなシロの緊張をほぐすように、白澤はいつも鬼灯がシロにしているように真似て撫でくりまわした。そうしているうちにシロもご機嫌になって来たのか、ごろごろと白澤の前で手足を広げて転げ出す。
「シロちゃんは撫でられるの大好きだねぇ」
「うん、俺撫でられるの好き!」
「いっつも、どこを撫でてもらうの?」
「お腹もいいけどやっぱり頭だよ!」
「そうだろうね。鬼灯もいっつも撫でてるもんね」
「うん、俺鬼灯様に撫でてもらうの大好き!」
「そっかそっか。じゃあ、今日も撫でてもらったの?」
「うん! もちろん!」
「へえ、どこで?」
「鬼灯様のお部屋!」
思いきりご機嫌で返事をして、それからぱっと手を止めた白澤に、シロもはっと気付いて身を起こした。だが、予感したことに身構え、逃げ出そうとするも時すでに遅し。出入口は桃太郎がきっちり抑えて、ふさがれた。
「詳しく聞かせてもらおうか、シロちゃん。あのクソ馬鹿がどこでどんな様子、だって?」
あくまで、白澤はニコニコと笑みを崩さなかった。シロがガクブルと震えて、さすがに可哀想にすら見える。だが、白澤の腹の中は煮えくりかえっていて、シロに気づかいなど出来そうもなかった。
これまでのシロの発言と状況を解釈すればこう。鬼灯は現世に出張に行ったと見せかけて、実は部屋で寝込んでおり、それをシロに見つけられ、シロに口止めをした、ということ。
もしこれが事実なら、ただ事ではない。大規模な人事異動を敢行し、現世へ視察に行ったなどと言う偽装まで施して、あの鬼灯が寝込んでいるなど、ありえない。それに半月ほど前に白澤の力をごっそり奪い取って行ったことも併せて考えれば、よほど悪い状態だとしか言えない。そのうえで閻魔大王も白澤を呼ばないと言うことは、白澤にも手をつけられないだろう、と踏んでいると言うことだ。
これは漢方の権威と言われる白澤にとって、物すごく癪なことだった。
いかに犬猿の仲とは言え、病人だと聞けば放っておくわけにいかない。たとえそれが本当に白澤の手に負えないものだとしても、力を尽くしもせずみすみす悪化させるなんて、ばかげている。
「やっぱりぶっ飛ばさなきゃないね、これは」
いかに鬼灯が弱っていたとしても、あの鬼が白澤の一撃にやすやすと倒れるわけもないと踏んで、白澤は拳を握った。だが、それは予想外のところから、予想外の反抗にあって引きとめられた。
「やめてよ白澤様! いくら鬼灯様でもあの状態じゃ死んじゃうよ!」
シロが大慌てで白澤の拳に飛びついてくる。流石にうっとうしくて手をほどくも、何故シロがそこまで焦るのか理由がわからない。
「何馬鹿なこと言ってるの。アイツがそう簡単に死ぬわけないでしょ」
「でも、でも、腕とかすっごい干からびたみたいになってて、今にも折れちゃいそうだったんだよ? 顔も、痣とかすごくって、アレなんなの? 白澤様ならわかるの!?」
白澤を問い詰めるシロの台詞に、白澤は耳を疑った。干からびたような腕。顔にも広がる痣。弱りきった、鬼灯。まさかという思いがよぎる。
死ぬわけがない。つい今ほど言った言葉が、急に現実味を失っていく。
鬼灯は、純粋な鬼ではない。純粋ではない鬼の寿命は、定まったものではない。
白澤は、シロとは違って、ありとあらゆる鬼の最期を診てきたし、見送っても来た。他にもあらゆる鬼が患う病も診てきた。が、その中でもシロが言った症状に当てはまる物は、一つしか浮かばない。それは、鬼の死の兆候ではないのか。
「閻魔殿に行ってくる」
言うやいなや、白澤は飛び出した。桃太郎がふさいでいた扉を蹴破る勢いで外に出て、彼が止めるのも聞かずに、神獣の姿に戻り、天を駆け上がった。そして直線距離を最速で、真っ逆さまに地獄に向かって降下した。
天国と地獄の境なんて全て無視して、閻魔殿の上空に降りると言うよりも落ちて行く。表を回るのも面倒で、屋根を力を消耗するのもやむなしと透過した。
作品名:呪いと祝福、愛情と憎しみ 作家名:日々夜