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仁義なきバレンタイン

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「おまえ今月の標語見たか?あれ俺ちょっと引いた」
「だから、そんくらい本気なんだろ。しかもあっさり『よろしいんじゃないですか』なんて言われちまって、余計にプライドずたずたなんじゃねーの?」
 呆れながらもロイの奇行を受け容れているらしい二人の少尉に、エドはアルを見、アルは小首を傾げた。そして尋ねる。
「あの」
「あ?」
「えっと…どういうことなんですか?」
 さっきから彼らの会話が見えない。アルの質問は当然のものだっただろう。
「ああ、わりぃ。えーとな、おまえらは『バレンタイン』って知ってるか?」
「…バレンタイン?」
「…酒?」
 大仰なほどにエドが首を傾げた。
「そりゃバランタイン。…じゃなくて。えーとな、この辺でもそう昔からある風習ってわけじゃないんだがよ」
 訂正しつつ、ブレダは苦笑い。一端言葉を区切って、なぁ、と困ったようにハボックと頷き合う。
「…なんでもな、どっかのエラーイ人が亡くなった日らしいんだが」
「ふーん…?」
「まあそれ自体はどうってことねぇ。…んだが、ある風習があってなぁ…」
「風習?」
 そう、と両少尉は頷く。そして今度は、ハボックが口を開いた。
「愛を告げる日なんだと」
「はっ?」
「愛…?」
 アルは素っ頓狂な声を上げ、エドはカップを持ったまま目を半分にした。
「そう!普段は胸に想いを秘めたヤツでも、この日は大胆不敵に告っちゃっていい日なんだ!」
 そんな兄弟には構わず、ハボックは珍しくいささか興奮した態度で熱弁を揮った。意外にロマンチストな面をもった男なのだ。案外、それが彼の恋を妨げる一番の障害なのかもしれない。…いや、一番の障害はやはりあの、手の掛かる上司だろうか?
「…なにそれ?」
 しかし、エドはつまらなそうに感想を。途端、ハボックはがっかりした顔をして首を振る。ご丁寧に両手を上げて。いかにも小馬鹿にした態度だ。
「エドはまだまだお子ちゃまだからわかんねーかなー」
「……。少尉みたいに百戦百敗じゃないからわかんねーな」
「ウッ…!」
「兄さん」
 ハボックにからかわれむっとしたエドは、容赦なく反撃した。それに潰れるハボックに溜息をもらしたのはブレダで、アルは短くたしなめる。しかしまだ拗ねてでもいるのか、つーんとエドはそっぽを向いてしまう。
 …そして、やはりアルはエドの弟だった。たとえ表面的にどれだけ性格が違おうと。
「兄さんがほんの子供にしか見えないくらい小さいのは本当なんだから」
「ちっさい言うな!!」
「…ほら、兄さんだって本当のこと言ったら怒るじゃないか。…だから本当のことって、言っちゃいけないことあるんだよ。本当のことだから余計に」
 ぱっと聞いた限りでは諭しているように聞こえるが…、よくよく聞くと、エドの「ハボックは振られてばかり」というのを肯定している。
 アルによってさらにどん底まで突き落とされたハボックは、いまや食堂のテーブルに突っ伏してしまっている。ブレダは神妙な表情で、その気落ちした肩を叩いた。「バレンタイン」を直前にしたばっちりのタイミングで同僚が恋に破れてしまったことを知っていたので。
「あー…、その。愛とかいうのはまあ、そういう話もあるにはあるんだけどよ。もっと広い意味でな、なんか、日頃世話になってる人に感謝しよう…、みたいな日にもなったんだよ」
 そして、ブレダは説明を再開した。また変な方向に脱線したら、貴重な休憩時間を無駄にしてしまうだろうから。
「へぇー」
 じゃあいい風習じゃないですか、とアルは屈託なく言った。エドはただ怪訝そうな顔をしている。一向に、説明が先ほどのあの後見人の奇行と結びつかないからに違いない。
「で、こっからが本題だ」
 ブレダは、こほん、と咳払いをした。
「なんだか知らないが、この風習が広まる時に、製菓メーカーが便乗した」
 そして、彼の顔は渋面とでも呼ぶべきものに。兄弟は、そろって首を捻った。
「…チョコレートをだな」
「…チョコ…?」
「そう。チョコだ。なんでかよくわかんねーんだが、チョコを贈るって風習が一緒に広まったんだよ」
「いいじゃねーか、チョコ。甘くてうまくて」
 子供っぽいことを言って、エドは不思議そうな顔をする。だが、ブレダは重々しく首を振った。問題は、そんなに簡単なものではないのだ。
「普通に感謝を表してって場合には、花束とかなんかプレゼント、ってのが主流なんだけどよ。こと女が男に贈る場合、なんでかチョコなんだよ」
「…女が?男に?」
 少年の眉間に皺が寄った。気持ちはわかる、とブレダは思った。
「そう。女が、男に」
「男の人はチョコあげちゃいけないんですか?」
 黙りこんだエドに代わり、アルが尋ねた。ブレダは少しぎょっとした顔で、返答を一瞬躊躇う。
「…いや、駄目とかじゃねーだろうけど…聞かねーな」
「駄目じゃないんですか?」
「あ、ああ。…アル?」
「へぇ。駄目じゃないんだ」
 アルはにこにことした声で繰り返した。ブレダはその先を聞くのを-――やめた。アルの破壊力なら隣の同僚が身をもって知ったばかりだ。同じ徹を踏むことはない。
「…で?チョコはわかったけど…わかったっていうか、なんかよくわかんねーけど…チョコをやる人がいる、ってのはわかったよ。で、それがなんなわけ?」
 茫然としているブレダを、少しだけ苛立ったようなエドの声が促した。
「あ?ああ…えーとな、女があげるってんだから、それはまあ、それなりの男な方がいっぱいもらえるってのはわかるだろ?」
「…もてるヤツともてないヤツがいるってこと?」
「まあそういうこった。…なぁ、エド?うちだったら、誰のところにそういうのは集中しそうだと思うよ?」
 エドは言われた瞬間目を丸くした。そして、驚いているエドの隣で、弟は気負いなく口にする。
「大佐ですか?」
「三角だな、その答えだと」
 惜しい、とブレダは頭を振った。そして、轟沈していたハボックがのそりと顔だけ上げる。
「…大佐も大量に貰うけどな、去年一昨年は大佐を抜かした人がいるんだ」
「…!」
「へー」
 エドは目を瞠り、アルはほわわんと返した。
「誰だと思う?」
「…わかるわけねーだろ」
「中尉だよ」
 さらりとハボックは答えた。頬杖をつきながら。
「えっ?」
 その答えに、エドは今度こそ絶句した。
「…男じゃないじゃん」
「だよな。男じゃないんだよ。そういう意味では、男のトップはやっぱり大佐なんだけどな」
 腕組みしながら、難しい顔でブレダは言った。
「…でも、単純に数の話になったら、トップは中尉なんだ」
 ハァ、とついた溜息はやたらに重い。
 そして沈黙。
「…で?」
 しばらくの沈黙をやがて破ったのは、バームクーヘンの残りを一口で飲み込んだエドだった。
「で、…匍匐前進?」
「「は?」」
 エドのきゅっと眇めた目をまじまじと見返しながら、両少尉は揃って驚きの声を上げる。
 匍匐前進…?
「だから! …さっきの、大佐だよ。…あの妙ちきりんな格好で倉庫の暗い中で匍匐前進してんだもんよ…おまけに頭に木の枝とか差しちゃってさ。すっげこ…気色悪かった!」
 怖かった、と思わず口走りそうになったのを慌てて言い直したエドを、やはり少尉達は困ったように見つめる。
作品名:仁義なきバレンタイン 作家名:スサ