仁義なきバレンタイン
そんな仕種をすれば、余計に幼く見えた。ちくりと胸を刺すのは、良心の呵責か、それとももっと違うものか。…答えは解っていたが、自分の気持ちに気付かないふりをしなければならなかった。それくらいには、彼にも理性があった。
だから、ロイは黙ってサインをした。
「これで大丈夫か?」
「うん…うん、大丈夫。…さんきゅ、大佐」
受取ると、エドははにかんだ顔で礼を述べた。
「…どういたしまして」
ロイはだらしなく頬杖をついて、苦笑して肩を竦めた。
「………」
普段だったら、そんなだらけた姿を見せた途端、「大佐だらしねぇ」などと言われてしまいそうなものだったが、今日のエドはただじっとロイを見つめてきた。困惑したような表情で。
「…どうかしたか?」
そんな子供に、ロイは首を傾げて訊いてみた。案外素直な少年なので、回りくどく尋ねるよりもストレートに訊いた方がいい場合もある。
「…ん…、なんか…」
そして、その作戦で正解だったらしい。エドは、口ごもりながらも理由を教えてくれるようだった。
「…なんか?」
「…。大佐、そーしてっと結構普通なんだな…」
「…は?」
何のことだ、とロイは瞬きする。
「だって、さっき、オレ、大佐頭おかしくなったんじゃないかと思った」
不思議そうなロイに、不貞腐れたようにエドは言った。
…さっき、というと、あれだ、仮設倉庫での接近遭遇のことに違いない。エドは珍しくも本気で怯えていたように見えたから、…本当に嫌だったのだろう。ロイもちょっと反省していた。
エドはきもち俯いて、床を睨みつけるようにしている。
…怖かった。
いや、少し違う。
暗闇の中、何かがうごめいているのを見た時、思い出してしまっただけだ。「あの夜」を。シルエットがひどく似ていたから。
「さっきは…、その、脅かしてすまなかった」
そんなエドに、苦笑混じりの声がかけられる。それが随分とやわらかなものだったので、エドは顔を上げた。
「…ちょっと今年は切実でね…」
はぁ、とエドは溜息で報いた。
「聞いた。なんか、ホークアイ中尉に負けっぱなしなんだって?」
しゅんとした顔もどこへやら、からかう口調でそう言うエドに、内心ではロイもほっとした。あんな寂しそうな顔など見ていたくなかったから。
「失敬な。毎年僅差で争っていてだな…!」
「でも、負けっぱなしなんだろ?」
「…っ、…鋼のにはわからないかもしれないがね、男の面子というものが…!」
「へー。メンツ。へー」
鼻で笑いそうなくらいの様子で、エドはせせら笑った。まったく、可愛げがない。生意気で、意地っ張りで、はねっかえりで。ちっとも可愛くない。
…はず、なのだが。
ロイをからかいながら笑う様子は明るくて、楽しそうで、目を引くものだった。出来ればいつでも笑っていて欲しい、と思いながら、ロイはからかわれて拗ねる顔を作るのだった。
―――そんな面倒なことをするのを厭わないくらいには、ロイはエドを可愛く思っているのだ。エドがそれに気づくことはないだろうけれど。
そうこうしている間に、バレンタイン当日がやってきた。
エド達がイーストシティにやってきたのは十二日の昼過ぎのことだったから、彼らが到着してから一日と半分くらいが過ぎたことになる。
エドの用事は終わっていたが、中尉にチョコレートを渡すのだ、という弟に付き合い、まだイーストシティに滞在していたのだ。
「じゃ、兄さんのはコレね」
はい、と手渡された化粧箱を、エドは複雑な顔で見下ろした。
「…アル?」
「いい?ちゃんと大佐にあげるんだよ?」
「…。なあ、オレ、女じゃないんだけど…」
「それ、ボクがホークアイ中尉にあげようっていうのも反対ってこと?兄さん」
しょんぼりとした気配を滲ませる弟に、エドは慌てて首を振った。
「いやっ…、違う、そうじゃねーけど! …そうじゃねーけど、オレが大佐に、ってのは…、やっぱちょっと変なんじゃねーか?」
「なんで?」
「なんでって…だから…」
無邪気に反問されても困る。変なものは変だ、としか答えようがないではないか。
「いいじゃない。一昨日サインもしてもらったんでしょ?チョコくらいあげなよ。男だろ、兄さん」
「…いや、あの。アルフォンス?」
だから男だから嫌なんじゃないか、とエドは呆れた顔をする。しかし、ハー、と溜息つきつつ、アルは首を振った。
「なさけないな、兄さんは。たかがチョコくらいいいじゃない。それで感謝のしるしになるなら安いもんだと思わない?」
「……………」
…末っ子、怖い…!
エドは絶句した。
「ね、わかったら、ハイ、コレ。ちゃんと大佐にあげてくるんだからね」
じゃ、ボク先に行ってるから。
アルは、るんるんとばかりエドを置いて出て行ってしまった…。弟はたまに薄情だ。
「…だったらお兄ちゃんも中尉にあげたかったよ、アル…」
がく、と取り残されたエドは肩を落とした。
気乗りしないまま司令部へ赴けば、賑わいはさらに度合いを増していた。もうそれだけで帰りたくなる。エドは、げっそりと頭を振った。
アルはそれでも優しかったらしくて、エドに用意してくれた化粧箱は、彼のポケットにも入りきってしまうくらいの大きさだった。おかげで、ぱっと見たところ、少年の様子におかしなところはない。
「……」
壊さないように、ポケットの中で化粧箱に触れた。
これを、…渡す? …大佐に? …自分が?
エドはその様子を自分の頭の中で思い浮かべてみた。だが、どうにも背筋に悪寒が走る。やっぱり嫌だ。アルにどんなに馬鹿にされてもいい、やっぱり尻尾を巻いて逃げ出した方が…。
「あら?エドワード君?」
と、そんな(ちょっとだけ)挙動不審なエドに、声をかけた人がいた。
「…っ」
びく、と大仰に肩を揺らし、それから恐る恐るといった風に、エドは振り向いた。そこには予想に違わず、あの佳人が。
「…こ、…こんにちは、中尉」
「ええ。こんにちは」
彼女はやさしげに目を細めると、ほんの少しだけ腰を屈めた。
「…?」
そして持っていた書類ケースの内ポケットから何か小さな包みを取り出し、小首を傾げているエドの手を持ち上げると、その中に握らせる。
「…?中尉?」
「私から、エドワード君へ」
ふふ、と女性は悪戯っぽく笑う。
「甘いもの、好きでしょう?」
彼女は腰を屈めたまま、目を細め、エドワードの髪を一度だけ撫でた。
「えっ…う、うん…」
握らされた手をそうっと開くと、…それは、小さな白い箱。
「あの…開けてもいい?」
「ええ。どうぞ」
十字に掛けられた青いリボンを解き、蓋を開ければ、中身はパステルカラーした、楕円型の菓子が何粒か。
「ドラジェというの」
「ドラ…?」
「おすすめのケーキ屋さんでね、この時季売り出しているのよ。可愛いでしょう?」
微笑する女性の顔がなんだか面映くて見ていられなくて、エドは視線を箱の中に落した。
「…うん」
「甘くて美味しいのよ。休憩する時にでも食べてくれたら嬉しいわ」
「…ありがと。あの…」
何かお返しをしなくては、とエドは思った。ポケットの中には、ちょうど、アルが用意してくれたチョコがある。
―――あるのだけれど。
作品名:仁義なきバレンタイン 作家名:スサ