仁義なきバレンタイン
「気にしないでちょうだい。ああ、エドワード君はこの時季ここに来るのは初めてかもしれないけれど…今日は、そういう日なの」
うん、知ってる…、とも言えず、エドは曖昧に笑った。きっと照れているのだと映っているだろう。そうであることを祈るしかない。
「でも、ありがと。中尉。…その…嬉しい」
最後の一言は、本心だったのだが、あまりに恥ずかしくて蚊の鳴くような声になってしまった。しかしホークアイ中尉、今年のチョコレート獲得数ディフェンシングチャンピオンはやさしげに笑って、どういたしまして、と返した。もう一度だけ、エドの頭を撫でて。
中尉にもらった小箱を手に、エドワードは困ったような顔をしていた。
どうしよう。
中尉にチョコ(聞いたところによると、パステルカラーの部分はチョコレートらしい。多くの場合は砂糖らしいのだが、中尉のおすすめの店のものはチョコなのだそうだ)もらっちゃった。
「………」
エドは途方に暮れてしまう。
どうして、ポケットの中のこのチョコを、中尉にお返しできなかったのだろう。アルが用意してきてくれたから?、アルが、大佐に渡せ、と。
…たぶん、そうではなかった。
自分が、これは大佐に渡すものだから、と思ったせいだ。
いや、でも、大佐になんか、そんなもの渡したくない。渡したくないのに。むしろ、今日はもう絶対会いたくないのに。
エドは混乱していた。自分でも、なんだか気持ちの整理がつけられないでいた。
そして、最悪のタイミングで―――。
「おや?鋼の?」
ロイが現れたのである。
その頃、「本部」は大忙しだった。
何の本部か?
それは勿論、東方司令部バレンタインチョコレート獲得王選手権審査会本部である。通称「本部」。ちなみに、運営理事はハボック少尉である。
「少尉、最新の報告来ました。今のところ大佐と中尉、イーブンです」
本部にて一服していたハボック運営理事の許に、書記のフュリーが飛び込んでくる。
「そか」
「…だ、そうです、中尉」
本部にて同じく寛いでいる暫定チャンピオンに、しかつめらしい顔で言ったのは、同運営委員会執行部長、ブレダ少尉であった。
「そう」
暫定チャンピオンは、しかし、その報告には特に感銘を受けなかったらしい。どうでもいいのだろう、多分。
「…しっかし、大佐、今年は相当焦ってましたね」
「そうかしら」
「焦ってたっしょー。だって、あの標語…、そういや、なんで中尉もあんなふざけた標語許可したんスか?」
ハボックの質問に、紅茶を啜っていたホークアイ中尉は顔を上げた。
「…哀れなものだわ、と思って」
そしてにこりと笑った。
…笑顔なのに、迫力がありすぎて怖い。メデューサもかくやの笑顔だ。
「…でも、なんかやけに必死でしたけど。なんか賭けてでもいるんですか?」
固まってしまったハボックに代わり、ブレダも一応質問を試みてみた。
「…さぁ?」
女史は再びの微笑。つまり、答える気はない、ということだ。
それとも案外、本気で、ただ男の沽券に関わる問題として、大佐は打倒中尉を誓ったのかもしれない。そうだとすればなんとも…哀れだ。確かに。できれば、何かが懸かっているのだと考えたかった。部下としては。
と、それでもまあ、うららかな昼の光射す本部で寛いでいた面々のところへ、もうひとりの執行委員が飛び込んでくる。
「た、大変です!」
それは、珍しく度を失っているように見えるファルマンだった。
「なんだよ?」
鷹の目の呪縛から復活したハボック運営理事が尋ねた。すると、ファルマンはあたふたと手を動かしながら説明を始めた。
「大佐が!」
「…大佐が?」
「…エドワード君を追い掛け回しています」
「「…………………は?」」
ハボックとブレダは揃って首を傾げた。「え、それはいつもよりひどいんですか」と微妙にきついことを言ったのはフュリーだった。…彼の認識では、上司はあの少年をいつでも追い掛け回していることになっているらしい。たいへん哀れだった…上官が。
「なぜ?」
そんな中、ただひとり冷静に、暫定チャンピオンだけがその詳細を求めた。
「あ、ええ、その…どうやら彼が持っているチョコを大佐が奪おうとしているらしいのですが…」
がく。
ハボックは肩を落とし、ブレダは天を仰いだ。フュリーは絶句し、ホークアイは…。
彼女は静かに立ち上がり、そして腰から銃を引き抜いた。
「………」
静かに弾倉を確認し、おもむろに顔を上げる。
…たいへん、無表情であった。
「…ち、中尉…?」
恐る恐る呼びかけたハボックを振り返った美貌の中尉は、先ほどの非ではないほど鮮やかな笑顔をその面に浮かべると、何も言わずすたすたと歩き始めた。
…後には、氷のように固まった男たちが四人残された。
それこそ鬼の形相で追いかけてくるロイから、エドは必死で逃げていた。
「待ちなさい、鋼の!」
なんであんなに必死の形相なのかはさっぱりわからないが、とにかく、今の彼に捕まったらどうなってしまうのか怖すぎた。だから、本能のままエドは逃げるのである。
「やだ!」
歩幅を考えるなら、ロイはすぐにエドを捕獲できるはずだった。しかし、何しろ相手は豆な上に成長期の少年である。どちらかといえばおっさんに近づきつつあるロイには、なんとも捕まえ難い相手であった。いや、けして鍛錬を怠っているわけではないのだが。それにまだ男盛り、そうそう遅れを取ることもないはずなのだが。だが相手の小回りは恐ろしく良くて、挙句の果てに疲れを知らぬかのごとき見事な走りっぷり。…なかなか手ごわかったのだ。
「く…っ、そのチョコレートは誰に貰ったんだ!」
「はぁ?!」
ロイの苛立たしげな怒鳴り声に、エドは素っ頓狂な声を上げた。
「…これはオレがもらったんだから!大佐にはやんねーぞ!」
「馬鹿か君は!誰がそんなことを言ったか!」
「じゃあなんで追いかけて来るんだよ!?」
バタバタと追いかけっこを繰り広げながらのその怒鳴りあいに、忙しなくギフト整理に駆け回っている兵士達も、何事かと目を丸くしている。
…いや、そもそもギフト整理自体が「何事か」なのだが。
「〜〜〜っ!そ、そんなことはどうだっていいだろう?!とにかく、そんなものはだな…っ!」
埒があかない、とばかり、ロイは素早く例の手袋を装着した。走りながらというあたり、妙なところで器用な男だ。
しかし、その指先が弾かれることはなかった。
全力疾走するロイの足元を狙って、鋭い銃撃が一発お見舞いされたからである。
「…っ!」
ロイは、何とか避けた。
しかし、重力とか慣性の法則とかそういう物理的な問題で、その辺に転がってしまうことだけは避けられなかった。
「…そんなもの、とは」
エドとロイの間に立ちふさがるように、静かに割って入ってきた人がいた。ホークアイ中尉である。彼女は何事もなかったかのように銃をホルスターに収めると、ふ、と笑った。
「あんまりですね、大佐。私がエドワード君にあげたものを」
彼女は振り返り、へたりこんでしまったエドのために膝を折る。そして、そっとやさしく手を取った。
「大丈夫?エドワード君」
「えっ…え、あ、…うん?」
作品名:仁義なきバレンタイン 作家名:スサ