仁義なきバレンタイン
いや、それより足元を狙い撃ちされた大佐はどうなんだろうか。避けたように見えたし、そもそも当てるつもりで発砲することもありえないだろうから、そこは大丈夫だと思うのだが…。
―――思うのだが、この女性、時々ぶっ飛んだことをするから油断ならない。
「あっ、中尉!」
囚われの姫君を助け出した騎士よろしく立て膝をついている中尉と、小柄な金髪の子供、そしてその辺に転がっている―――役割を与えるなら多分悪役ということになるのだろう、大佐。
遅れてやってきた男達が目にしたのは、そんな倒錯した光景だった。
思わず、誰も二の句が告げない。
「…えっと…」
だが、ここ一番の胆力を発揮して、ハボックがようよう声を絞り出す。
「大佐、…えーと、大会規則第三条、自分からチョコレートを奪う、もしくは第三者への贈呈の強要を禁ず、に抵触した疑いで、反則負けを適用しまっす…」
「な、なに?!」
道端にひっくり返っていたロイは、ハボック運営理事の宣言に驚愕の表情を浮かべ、身を起こした。
「いや、…規則なんで…」
「誤解だ!私は…奪おうとなんかしていないぞ!」
ここで溜息をついたのは、紅一点であるホークアイ中尉だった。
「見苦しいですわよ、大佐」
「えっ…」
「ご自分の負けをお認めになられた方がよろしいのでは?大体、あれが奪おうとしていたのではなく、何だというのです」
言えるものなら言ってみろ、と彼女は暗に脅していた。多分、気付いているのだろう。どうしてロイがエドをあんなに必死に追い掛け回していたのか。
他の者は何も言わないが、フュリーの「見損ないましたよ」と言わんばかりの冷たい目など相当に堪えるものがある。ロイは、ぐっと詰まってしまった。
と、そんな妙な沈黙が支配する場に、「あ、いたいた」という明るい声が聞こえてきた。皆がそちらを何となく振り向けば、がしょんがしょん、と近寄ってくるのはアルだ。
「…アル?」
その時初めて、そういやなんでアルはエドと一緒じゃなかったんだ、という疑問がハボックの中に浮かび上がった。まあ、大したことでもないのだろうが…。
「ホークアイ中尉、探したんですよー」
彼はあたりの奇妙な空気になど微塵も気付いた気配なく、可愛らしく言った。そして、ハイ、と可愛い包装をほどこされた化粧箱を差し出す。
「…アルフォンス君?」
「今日って、日頃お世話になっている人に感謝の気持ちを形にする日だ、って聞きました。だから、中尉に」
鎧とも思えぬ愛らしい空気をにじませ、アルは小首を傾げた。さしもの豪傑中尉も、一瞬言葉を失ってまじまじと鎧の少年を見上げていたが…。
「ありがとう、アルフォンス君」
さすがは二年連続チャンピオン。そこらの男顔負けの堂々とした態度で、少年が差し出した贈り物を受取る。なんともサマになっている。
「ああ、…そうだ、私も君に渡したいものがあるのよ。一緒に着てくれるかしら」
「ありがとうございます!勿論、喜んで。…あれ?ところで皆さん、どうかしたんですか?兄さんまで座り込んで…どうしたの?」
その時になって初めて気付いた、という風に、アルはまた首を傾げた。
この問いかけに、ハボック達はさらに脱力してしまった。
…結局、反則していようがしていまいが、アルにチョコレートを貰った時点で、ホークアイ中尉の勝利が決定していた。
なので、どこか毒気を抜かれた様子ではあったが、ハボック達はその場にロイを残して本部に立ち去った。…その時、エドだけはなぜか、声をかけてもついてくる素振りを見せず、その場に残った。
「…君は行かないのかね」
「…どこに?」
「本部さ。…これから中尉の祝勝会だと思うよ」
ロイは、ゆっくりと立ち上がり、ぱんぱんと埃をはたいた。そして、まだ座り込んでいるエドのそばまで行くと、彼の前に膝をつく。ちょうど、さきほどの中尉と同じように。
エドは黙って首を振った。
「…そうか」
「…。残念だったな、大佐」
先ほどまでの様子が嘘のように穏やかなロイに、エドは俯いて小さな声で呼びかけた。なんだか調子が狂う。
「…いや…、別に」
ロイは肩を竦め、立ち上がる気配のないエドの隣、自身もまた腰を降ろす。
「どうってことないさ。お祭みたいなものだからな」
「…。嘘だ」
「…?鋼の?」
本当にどうでもよさそうなロイを、思わずエドは睨みつけていた。
「必死だったじゃんか、あんな変な標語とか作って。…ほ、匍匐前進とかして!」
ロイは一瞬黙り込んで、それからあるかなしかの笑みを刷く。
「…別に。本当に、もう、いいんだよ」
そしてもう一度繰り返して。それからゆっくりと続ける。
「願掛けのつもりだったし」
「…は?」
「今年こそ中尉に逆転できたら、うまく行くような気がして…、だから、…それだけだ」
「…何、しようと思ってたんだよ」
エドはぶすくれたまま尋ねた。すると、ロイはちらりとエドを盗み見、しかしすぐに顔をそらして、あさってな方向を向いてしまった。
「…秘密だ」
「はぁっ?なんだよそれ!」
「秘密は秘密だ。いいじゃないか、私にだって隠し事の一つや二つあるんだよ」
「じゃあ、なんでさっきオレのことあんなに追っかけまわしてたんだよ!」
「………」
「…それも言えないのかよ?」
エドは、眉間に皺を寄せ、そっとポケットの上から手で例のあの箱を押さえた。確かめた。…まだ、持っている。
「…言いたいことがあったんだ」
やがて、根負けしたのか、ロイはぼそりと口にした。
「誰に?」
「………それも言わなきゃいけないのかい?」
「当たり前だろ。今のだけじゃ意味わかんねぇもん」
さぁ言え、すぐ言え、とばかりエドは急かす。ロイは、苦虫を噛み潰すような顔をしてエドの方を向く。
「…君に」
「…?オレ?」
怪訝そうに、エドは首を傾げた。
いつも、言いたいことなどぽんぽん言っているように思うのだが。これ以上何を言いたいというのだろう。…まさか豆関連か?
「…好きだ、と」
ぽつりとロイは言った。
困ったような、苦しいような、そういう顔をして。小さく、自信なさげに。
「……………」
エドは、あまりのことに、呆気に取られて固まってしまう。大きな金の目は皿のように見開かれて、今にも零れ落ちてしまいそう。
「…、何か言ってくれないか」
そんなエドに、もう色々吹っ切れてしまったのだろう。ロイはわずかに顔を寄せ、囁くようにそう求めた。
「……っ」
エドの頬は、―――思わず、朱に染まった。
それはロイにとっても意外なことだったようで、彼もまた目を瞠っている。
「…あんたなんか…っ、ほんと、ばかだなっ…」
沈黙に耐え切れなくなったか、エドはぷいと顔をそらした。そして幾分乱暴な手つきでポケットに手を突っ込むと、むんずと「それ」を掴んでロイに突き出した。
「…?鋼の…?」
「やる」
「……?」
「やる!」
ぽかんとしているロイにその小箱を押し付けると、エドはもうたまらず立ち上がり、闇雲に駆け出してしまった。立ち去る際に見た顔は耳まで真っ赤で、ロイはそれにも茫然としてしまう。
しかも。
この、箱。
「………………」
さっき彼が握り締めていたのは、中尉からの贈り物だった。
作品名:仁義なきバレンタイン 作家名:スサ