年上の男の子
金髪のお嬢ちゃん、と野次を飛ばしたオヤジは後で抹殺しよう。エドはそう心に誓う。
「あらー、捨てられたらあたしが慰めてあげるよォ」
そういうのは最低でもあと十歳若返ってから言ってくれ、楽しそうな「おねえさま」には内心でそのように答えるしかない。女は面倒だから相手にしたくないのが本音だ。
なんというか―――かなりもって居たたまれない。
まあ、確かに、正しいばかりの人生ではないが、だからといってこんな面倒に巻き込まれなければいけないわけがあるだろうか?
と、頬を膨らませる勢いで拗ねていた酔っ払いが、やおら立ち上がった。
「―――あ?」
頭痛を感じて頭を押さえていたエドは、反応が一瞬遅れる。それが命取り。
「うゎっ…」
どこにそんな力があったものか、ロイはエドを強引に抱え上げた。己の左の二の腕に腰掛けさせるような形で、ひょいと抱き上げてしまう。暴れる隙もあらばこそ、驚いている間に、エドはそのような体勢を取らされていた。
一体全体、この酔っ払いは何がしたいのだ…。
その酔っ払いはというと、強い眼差しを外野に向けた。そうやって厳しい顔をすれば、それなりにも見える。好むと好まざるとは別にして。
「この子は私のものだから君と楽しむ時間は欠片もないし、私はこの子のものだからあなたと楽しむ時間はやっぱり欠片もない」
―――酔っ払いとは恐ろしい生き物だ。
唖然とする野次馬よりも深い衝撃を、少年は受けずにはいられなかった…。
…大体誰が貴様のものか、と突っ込むことさえ出来なかった。男が必要以上に堂々としていたせいで。
もはやぐったりして、やりたいようにやらせることにしたエドだったが、一体この男はどこへ向かっているのだろうか。いい加減降ろして欲しいのもあるが、あんまり長くこれにかまけていると、弟が心配するのでそろそろやめさせたい。
「…おい」
返事がない。
「おいこら。てめー、大佐」
頭にきたので、黒髪をぱしんと軽くひっぱたいた。
「…悪さはやめたまえ、鋼の」
「……………」
エドが言葉を失うのは、今夜これで何度目であったろうか。もはや数える気力もなく、しかし、やはり納得いかず、じろりと睨みつける。
「酔っぱらいに言われたくねー」
「だって、君が悪い」
男は強情に繰り返した。ああもう、とエドは溜息をつく。
「…。重くねぇ?そろそろ降ろした方がいいんじゃね?」
仕方なくアプローチを変えてみた。すると、ロイは歩みを止め、今は己の二の腕に抱えたエドを見上げる。しばらくの沈黙。
「…な?明日筋肉痛になっても知らねぇぞ?」
エドはやっぱり長男気質でそう問うていた。
「…はがねのはやさしいな」
すると、しばらくまじまじとエドの顔を覗き込んでいた男が、へら、と笑ってそう言った。ひどく幸せそうな顔で、こいつが一体全体本当に「あの」焔の錬金術師とか言われてそこそこ恐れられているらしいアレなのか、とか、少将とかを差し置いて仮にも「支部」ではなく「司令部」で司令官の席に座っているとは本当なのか、とか、色々疑問がこみあげてきた。やはり世の中は不条理だ、間違っている、と思った。
「うわぁっ」
苦渋の表情を浮かべて答えあぐねているエドには構わず、男はぐいと子供の腹を自分に押し付けた。エドはたまらずバランスを崩し、黒い頭にしがみつく格好になる。それでも男は構わず、ぐーりぐーりと鍛え上げられている割に柔らかさを残す腹に顔を擦りつけた。
「………。はぁ」
エドは…、もう、これは犬に懐かれているのだと思って気にしないことにした。そうだ、大型犬の中には、余裕でエドより大きいヤツがたくさんいる。これもそんなようなものだ。そして動物に人間様の言葉が通じないのは当たり前だ、エドはそう結論付けた。
そう。
この男だって、要するにそういう生き物だ。
そう思えば、別段腹も立たない。
「…。大佐?あのな?じゃあな、もう一日だったら、出発延ばすからな?今日はあんた、すげえ酔っ払ってんだから、もう帰れ。な?話は明日ゆっくり聞いてやるから」
呆れつつも、別に動物嫌いではないエドは、知らず優しい声をかけていた。男の黒い頭を軽く撫でて。
「………」
その感触に、ロイは顔を上げた。そしてじいっと瞬きもせず、エドを見つめている。
「…な?」
エドの弟はたいへんよく出来た弟だったので、彼を宥めたりあやしたりした記憶はほぼない。なので、このように素直に甘えられて、滅多に通電しないお兄ちゃん回路が刺激されてしまった。優しく前髪を掻き分けて、頬を撫でてやる。聞き分けのない幼子にするように、ただ優しく。
「…。わかった」
やがてロイは頷いた。それに、エドも満足そうに笑う。
「うん、よし。ところで大佐、あんた家はどこ?」
「…家?」
くり、と年齢に見合わぬ仕草でロイは首を傾げた。それにああもう、と苦笑を浮かべながら、少年はもう一度黒髪を撫でた。
「うん、あんたの家。送ってってやるから。住所教えて」
「…家…、私の…」
酔っぱらいは酔っぱらいらしい胡乱な口調で呟いた。そして、途方に暮れた顔をしてエドを見上げるのだった。
「…どこだ?」
「――――――――――――」
エドの笑顔にひびが入った。
結局、ゲンコツひとつでエドは自分を地面に降ろさせ、ひとまず自分の宿まで大佐を引っ張って帰った。そこで電話を借りて司令部へ事の次第をかいつまんで報告すると、ハボック少尉がほっとしたような気配を見せた。エドの宿のあるあたりをぺろりと喋ってしまったのは彼らしく、そして大佐がひとりで姿を消してしまったので、これは自分の責任問題なのか、明日何かあったら中尉になんと弁明したらいいのか、といくらか不安に思っていたらしい。大佐の癖に情けない、とエドは思ったが、そんな情けない男のことを、不思議と嫌いとは思えなかった。本当に、不思議なことに。
「…ハァ」
電話を終えて部屋に帰れば、アルが兄を振り返った。目だけで大佐は、と尋ねれば、よく寝てるよ、と返って来た。
「…暢気なヤツだな」
枕辺に歩み寄ってみれば、横向きになって枕を抱いて寝ている。ますますガキ臭いヤツだ、と思いながらも、エドの顔には不思議と穏やかな表情が見て取れた。
「兄さん」
「…ん?」
そんな兄に、控えめでよく出来た弟はそっと声をかけた。
「ほだされちゃった?」
相変わらず可愛らしく穏やかな声だったが、質問の内容はそうでもなかった。
「―――――――――」
なんと答えたらよいのか判らず見上げれば、弟の様子は至って平静。落ち着けエドワード・エルリック、かんぐりすぎだ、と彼は自己暗示に勤める。勤めたのだが。
「今まで何となく腹の底の読めない人だなぁと思ってたけど、結構一途な人なんだね。ボク、…個人的には気が進まないけど反対もしないよ?」
「……………………………………」
「兄さんの百面相って面白いよね」
鎧は小首を傾げた。昔から器用だった弟は、鎧の体を得ても器用らしい。
「いや、あの、あのな?アルフォンス君…?君、なんか恐ろしい誤解をしていないかな…?」
とりあえず深呼吸の後、ベットから離れて、エドは恐る恐る弟をうかがった。
「誤解?」