年上の男の子
なんでこの男こんなもじもじしてるんだろう、気持ち悪い、殴ってもいいかな、と頭の中で考えた。その考えが、いや、殴るべきだろう、に進化するまで三秒も要さない。
エドは、拳を固めた。…無論、右手の。
そして笑みを浮かべた。
「大佐?」
「…もう『ロイ』とは呼んでくれないのかい?」
いい年した男は、情けない顔で言い募った。エドの笑みが、深く鮮やかなものになる。
「…歯ァ食い縛れオラァ!」
唐突に身を起こすと、固めた拳で一発きついのを、その将来はげるかもしれない外見も中身も柔らかい頭にお見舞いしてやった。
―――ちなみに、エドに言わせればそれは、「教育的指導」であった。
エドに叱られ、情けないことこの上ないことに床に正座を命じられたロイは、黙ってエドのお説教を聞く羽目になる。いや、説教とも違ったのだが。
「あのな。いいか、よく聞け大佐」
「……ロイ」
「うるせぇ。あんたはガキか。…いいか、とにかく、聞け」
エドはベッドの上で、なぜかこちらも正座していた。
「だいたいだな。まず、オレはあんたの昨夜からの行動で、どうしても許せない部分がひとつだけある」
「………」
ロイは、「どうしても許せない」の言葉に、顔を引きつらせた。思い当たる節が多すぎるのも考え物である。
「…なんだか、わかるか」
「………えぇと…」
「わかったら名前で呼んでやる」
「わかった」
途端即答する男に、エドは溜息をついた。どうしてこいつはこんなに調子がいいのだ。
「…一応、聞いてやる。何だと思う?」
「ええと…私が君に迷惑をかけたから…?」
エドは―――、哀れなものを見るような目で、ロイを上から下まで数回眺めた。そして盛大な溜息をついた。
「…じゃあ聞くが、あんたはオレに面倒をかけたのは昨夜が初めてだ、と思っているわけだな…」
勿論ふたりの間には、きっちりとした上下関係がそもそも(本来は)あるわけで、だから、命令だといわれれば私的な感情を挟むことはない。ないが、たまにロイにされた「お願い」なんかは、結構面倒なことが多かった。それはそうだろう、面倒だからこそエドに「ついでに頼むよ」とばかり押し付けてきたわけだから。それでも、エドはそれに対して深い感情は抱いていない。…ただ、あげつらってやりたくなっても無理はない。
「…。違…いますね?」
ロイは悲しそうな顔をして、蚊の鳴くような声で答えた。
エドは、調子が狂って仕方がない。頭をかきむしって、はぁ、とまた溜息をついた。
「は、鋼の。あんまり溜息ばかりつくのは、良くないよ…」
エドは、今度こそベッドに突っ伏しそうになった。…こいつ、全然わかって、ない。
「…。あんた、二日酔いとかは」
エドはもう、なんだかひどく疲れ切ってしまって、本筋から外れたことを聞いた。すると、ロイも面食らった様子だったが、平気だよ、と答えた。
「…あんた、…結構昨日酔っ払ってたよな」
本当か、とエドが疑いの目を向ければ、本当だよ、と彼は再度認めた。
「私は回るのが早いんだよ。…ただ、そこからが長いらしいんだが」
この答えに、ああ、とエドは遠い目になった。なるほど…そう言われれば、そんな感じだったかもしれない、と。
「………」
「はがねの…?」
ぱたり、とエドはベッドにそのまま倒れた。そして、慌てたように腰を浮かせた男を、九十度ずれた視線で捉える。
そのまま、少年は物も言わず、男の横顔に手を伸ばした。
「……あのな…」
ロイは、捕まえられたまま、黙って次の言葉を待っている。
―――ああ、とエドは内心で嘆息した。降参だ、と。
「うん…?」
「…。あの辺な、治安、あんまよくねぇんだよ。…まあ、もっとも、オレが知る限り、東部は他のとこに比べりゃ治安のいい方だとは思うけどよ」
ロイは、エドの口許にうっすらと笑みが浮かぶのを、黙って見ていた。
「だからな。…オレは、あんたが酔いつぶれてんのを見たとき、…心臓が、止まるかと」
「…まだ潰れてはいなかっただろう」
「時間の問題だっただろうが。バカ」
エドはびしりと言ってのけた。
「…なあ」
「…?」
「あんた、オレのこと、好きなの」
ロイは、ぽかんとして目と口を大きく開けた。
「…なんだよ、その顔」
エドの眉間に皺が寄る。
「…。好きだよ。君が好きだ。大好きだ」
その顔を見て焦ったわけでもあるまいが、勢いよくロイは答えた。
「なんで?」
エドは当然のように、その答えに理由を求めた。
「なんでって…。なんで?」
「いや、オレが聞いてるんだけど…」
ロイは数度瞬きした。そして。これだ、という最高の笑顔で自信満々に答えた。
「君が好きだから」
「…。大佐」
「なんだね」
「あんた、…文章読解の成績、最高に悪かっただろう…」
「おお。よく知っているね、鋼の。愛の力か?」
エドは何も言わず、ただチョップで答えた。ロイは正直にそれを受けてうめくハメに。
「…。わからないよ。気がついたら好きだったんだ。そしたら、全部好きになった」
ロイはうめきながらも、正直に答えた。そして、頭を擦りながら繰り返す。全部だよ、と。
「…大佐」
「うん?」
「オレ、あんま、そういうのよくわかんねぇ。悪いんだけど」
ロイが正直に答えていることを覚ったエドは、自分もまた正直に答えた。
「―――でもな」
「…はがねの?」
エドは、ひどく大人びた、優しげな顔をその面に浮かべた。
「ほんと、腹立ったんだよ、昨夜はな」
「……」
ぴしり、とロイの顔が凍りつく。
「こいつアホか、ってな。ほんとに頭に着たんだよ。…でも、それってさ」
「…?」
「あんたが好きだってことなんじゃねえかな。オレが思うに」
「…………………………。………………っ?!」
ロイは瞬間恐ろしくボケた顔をして。それから、口をパクパクと開けて、エドを指差し、それから自分を指差した。エドは男のそんな我を失った様子がおかしくて、くすくすと笑う。
「はがねのっ」
「…なんだよ」
ベッドに両手をついて、身を乗り上げるようにしてロイが呼んだ。
「―――好きだ」
エドはきょと、と数度の瞬き。それからいたずらっ子の笑みを浮かべる。
「…で?」
そして、非常に冷静に問い返した。ロイは再び呆ける。
「…え?」
「だから、…で?」
ロイももう少し冷静だったのなら、エドが単に面白がっているだけだ、ということに気付いたかもしれない。だが、とにかく今の彼は冷静とは言い難かった。
「えっと…好きなんだ」
だが、それでも彼は、懲りる、という言葉を知らなかった。良くも悪くも。
「うんうん、…それで」
「だから…」
「だから?」
ごくり、とロイは唾を飲んだ。
「君と色々挑戦してみたいんだ」
「――――――挑戦」
この言葉は、エドの予想外のところを衝いてきた。
「えっと…触ったりとか」
「触るのか…」
「他にも色々。ほら、色々あるだろう?」
「へぇ。色々」
エドは興味津々、という顔でまじまじとロイを見詰めた。その、汚れる、ということを知らないようなきれいな顔。ロイは段々、顔に熱が集まってくるように感じた。だめだ、勝手が違いすぎる。例えば今までと。
「たとえば」
「た、たとえば?」