スノースマイル
まだ枝に残っていた枯葉が、何か鋭いものに叩き落され、はらりはらりとロイとエド、ふたりの頭に舞い落ちた。
「………」
「………」
あまりにも不自然に絶妙なタイミングに、ふたりは追いかけっこをやめ、そろりと顔を動かした。そしてそこに、笑顔で銃を仕舞う女性士官を目にして、悲鳴でも上げそうな顔をするのだ。
…なんとも、お馬鹿である。
『エドワード君はここの落ち葉を集めるそうですから、大佐もこちらに残られては如何でしょう』
にっこり笑って、中尉はのたもうた。それにエドが「え、オレそんなの」と反論することは出来なかった。アルが「うん、兄さんはちゃんと片付けられるもんね」とさらりと流してしまったからだ。そしてロイもまた、なんでそんなことに付き合わなくてはいけないんだ、と反論しかけて叶わなかった。「大佐は市井の様子に関心がおありではないですか」と普段のさぼりを逆手に取られ、脅されたからである。
まったく、よく出来た身内というのは、なまじな敵よりよほど手ごわい。
とりあえずその辺にあった廃材で箒をふたつ錬成し、ふたりは黙々と落ち葉をかき集め始めた。エドはそれなりに微笑ましいのだが、ロイの姿は微妙だった…。
だが、まあ、軍人、しかもトップクラスの佐官が慈善事業に精を出していると思えば、市民感情にはある程度貢献できるか?
「…あー、も、だっる!」
と、黙々と掃除をしていたはずのエドから、早々に文句が飛び出した。だが、弟が去ってから言うあたりは…せこい。
しかしロイはそれがおかしくてならず、口元に手をやって笑いを噛み殺した。
「あ、笑ったな!大佐!」
背中が震えているのでわかったのだろう、エドは目を吊り上げ、そして箒を振り上げた。
「危ないだろう、鋼の」
難なくその攻撃は避けて、ロイは片眉を器用に吊り上げる。そして小馬鹿にした調子で、ふんと鼻で笑うのだった。
「おい、まだ結構散らかっているぞ」
「〜〜〜っ!あーもー、めんどくせぇ!こうだ!」
きー、と箒を振り回していたエドだが、元来興味のないことを一秒だってやっていられない我儘な性分である。癇癪を起こしたように箒を放り投げると、パン、と高らかに掌を鳴り合わせる。
そして落ち葉に触れれば、それらはさらさらの砂状に変化した。
「…あんまり解決になっていないような気がするのだが」
ぽそりとロイは評する。
いや、むしろ道路は散らかるのではないだろうか?
…だが。
「…ちょっと目が痛いくらいで済むだろ」
びゅう、と強めに吹きつけてきた風が、あたりに落ちた砂状の枯葉をいずこかへと運んでいく。途端に、あたりはきれいになった。
―――無論、局地的な話ではあったが。
「あー、終わった終わった!」
「…強引だな…」
「なんか言ったかよ、大佐」
「いや…」
とりあえず目に付くところをきれいにした、ということで、エドの義務感は達成されたらしい。ロイはそれに呆れないでもなかったが、彼だって別に、掃除が好きとかそんな感心な性癖は持っていない。
「鋼の」
「あ?」
「司令部へ来るのだろう?」
「え?…あー、うん、アルも行ってるし…」
問い掛けると、なぜか一瞬、エドは照れくさそうな顔をして勿体をつけた。それに一瞬ロイは首を傾げたが、深く問い掛けることはしなかった。重ねて問うたのは、もっと別のことである。
「ちょうどいい頃合だから、昼を一緒に食べてから行かないかね」
「…は?」
不思議そうにぱちぱちと瞬きする幼い顔に無意識の笑みを向けながら、ロイは続ける。
「どうせ私も戻る。だが、…昼時だ。何も急いで行くことはあるまい?」
「…そりゃ…まあそうだけど…」
いつになく穏やかなロイに慣れない気持ちを覚えて、エドは困ったように顔を俯ける。
「よし。決まりだな。―――おいで、市民の生活環境に貢献してくれた国家錬金術師に、イーストを代表して私からささやかな贈り物だよ」
いささか芝居がかった台詞と態度で、ロイは、そんなエドを誘ったのだった。
当然ながら、ロイとエドとでは身長差があるため、並んで歩くのは少し難しいことだった。ロイが普段のままに歩けば、どうしてもエドを置いていくことになる。
だが、実際は、ふたりはうまい具合に並んで歩いていた。
「……」
穏やかに話を振ってくる男を、エドはちらりと見上げた。
要するに、さり気ない気遣いがすごく上手いのだと思う。こうして並んで歩いているのも、彼が自分に合わせてくれているのに違いない。そうでなければ、エドはもっと焦って歩かなければならないはずだから。
会話だってさっきから滞りなく、そして心地良い。それは多分、彼が聞き上手の話し上手だからだろう。特別そんなことを感じたことはないが、やはり自分の倍近く生きているだけのことはあるんだろう、そう思ったりもする。
「…鋼の?」
不意に、呼ばれた。
もしかしたら、じっと見ていたのがばれたのかもしれない。彼の苦笑はそういうことなのかも。
「どうした、ぼんやりして。…ははぁ、さては腹が減っているんだな」
「ちっげーよ!」
明らかにからかっている口調は、本当は彼のやさしさなのかもしれない。けれど、わかっていても、エドはそれに遠慮なく甘えて、口を尖らせそっぽを向いてしまうことしか出来ない。
「ああ、では…」
…と。
え、と思う間もなく、手を捕まえられた。
訝しく見上げる前に、素早く、奪われた生身の手は、彼の黒いコートのポケットの中へ吸い込まれていった。
「…!?」
「ああ、やはり冷えているな。だめだよ、暖かくしなければ」
「…っ!?」
ロイはのんびりと、ポケットの中で小さな手を握りこみながらそう言った。あまりのことに、エドはもう言葉もない。
「…鋼の…」
口をパクパクさせている少年を、ロイはちらりと見遣った。そして、にやり、と笑う。
「―――真っ赤だよ?」
囁かれた言葉は意地悪くも真実だった。大体、世の中に真実を告げる以上の攻撃というのは、そうそうないものである。
「…、なっ、あん、たっ、ちょ、なに、なん…っ!」
しどろもどろに手を振りほどこうとしてくるエドに、ロイは笑いかけた。今度は意地悪そうなものではなく、気安い、親しみのもてる笑い方だった。
「あれ?こっちじゃねーの?」
普段司令部へ行くのに使う道ではない道へ入りこもうとしているロイに、手を引かれているエドが小首を傾げる。
「いや、こちらからでも行けるんだよ。ただちょっと入り組んでいるから、君は知らなかったかもしれないが」
そんなエドに、ロイはただ穏やかにそう答えた。
「…途中、小さな喫茶店があってね、コーヒーとパイが美味しいんだ」
「…。デート用?」
「まさか」
疑いに満ちた目を向けてきたエドに、ロイは軽く笑って否定した。
「私にだって、ひとりで寛ぎたい時くらいある」
「…あんた、…いつでも寛いでんじゃん、贅沢言うなよな」
付け加えて肩を竦めたロイに、エドは呆れた顔をする。
「それはひどい。君が見てないところでは、真面目に仕事してるんだが」
「なんでオレの見てないところ限定なんだよ」
「企業秘密だからだ」
「なんでそんなの秘密なんだよ…ばっかじゃねーの」