スノースマイル
「鋼のはおばかさんだな。秘密がある方が魅力が増すだろう?」
しれっとして切り返され、エドは絶句した。
おばかさん、て…。
「そろそろタルト・ポワールの終わる時季だ。今を逃すとまた来年まで食べられない。いい時季に来たよ、君は」
約束通り、イーストシティの美化に貢献してくれたお礼に奢らせてくれ。ロイはそう言って、ポケットの中で小さな手を握りなおした。
「ミートパイもお勧めなんだが、あれはシーズンを問わないから」
「………」
鼻歌でも歌い出しそうな調子でロイは言う。エドは、なんだかその空気に落ち着かないものを覚える。それなのに、そのやわらいだ雰囲気が嬉しくもあった。わかんねぇ、と内心呟きながら、ま、いっか、とその微笑みが浮かびそうな暖かい気持ちをそっとしまいこんだ。
普段通ることのない細い路地は新鮮で、エドは自然ときょろきょろしてしまう。
軒先に飾られている鉢植えや、昼寝している猫、白墨で石畳に落書きしている子供、昼近いことを示す家々からの暖かな匂い、ラジオの音、人の声、めっきり寒くなったとはいえ中天に座すために眩しいほどの太陽の光、落ち葉、木枯らし…。
「…何か珍しいものでもあったかい?」
ちょうど猫が欠伸するのを興味津々に見ていたところで、頭上から声がかけられた。それこそ驚いた猫のような仕種で、エドはぴっ、とつま先まで固くなる。
手を繋がれながらきょろきょろしている姿も幼く、可愛らしいものだったが、こんな仕種まで見せられては嬉しくなる。ロイは笑いをこらえながら、ん?、と答えを促してみた。
「……べつに…」
照れ隠しだろう、そっぽを向いてぼそぼそと喋る。そんなエドに目を細めつつ、ロイは笑った。今日はよく笑う。
「さて。君もそろそろ腹が減っただろう。もう、すぐそこだからね」
「…ガキ相手みてーなこと、言うな」
あやすような口調に、エドはもう何度目になるかしれない抵抗を試みる。つまり手を振り解こうと。
だが、相手もそこはしつこくて、どうあっても離さないつもりらしい。あまり人通りがないのは不幸中の幸いだが、顔の知れているロイにしかもポケットの中に手を捕らえられて歩いているのだ。奇異の目を向けられない方がおかしい。
だがどちらかといえば、奇異な、というより、微笑ましいという印象の表情を見せられることの方が多くて、それはそれでいたたまれない思いをエドに抱かせている。
「それは失礼した」
だが、ロイは気を悪くするどころか笑みを深くして言うのだ。
「子供扱いなんてしたつもりはないんだ。許してほしい」
そして真摯に謝罪を述べる。調子が狂ってしょうがない。
「…べ…っつに…、怒ってる、わけ、じゃ、ねーし…」
結局エドが負けて、ぼそぼそと言い訳することになる。そして、握ってくる手を甘んじて受け入れるしかなくなる。
「ああ、そういえば君はシチューが好きだと聞いたよ」
「えっ」
そして唐突なロイの投げかけに、目を丸くする。
「違ったのか?」
「…違わない。…誰が言ったんだよ、そんなこと?」
「君の身近な人だよ」
「…アル?」
それには答えず、ロイは笑った。彼が口にしたのは、別のことだ。
「じゃあチャウダーも好きだろう。似たようなものだし」
「え?あ、…うん…?」
「ランチのスープがね、二種類あって選べるんだが、私は断然クラムチャウダーがお勧めなんだ。クラムもたっぷり入っているしね」
「…ふ、ふーん…」
「君を連れて行けたらいいと思っていた」
そわそわした返事をするエドに目を細め、ロイは言う。だが、その言葉は存外深い。ただその店に連れて行きたいというのより、もっと深い何かを含んでいるような、そんな―――…。
「…大佐?」
訝しく思い見上げたが、ちょうど彼の顔は逆光になってよく見えなかった。ただひとつ、笑っているのだけは確かなようだったけれど。
煉瓦と木で造られた、こじんまりとたたずむ喫茶店に入ると、昼時のせいもあり、通りから外れた立地の割には混み合っていた。それでも、経営者である温和そうな老夫婦はロイに気付き、もしよければ…、と客用のスペースではなく、恐らく家族が使うのではないかと思われるエリアへ通される。エドは驚いて恐縮したが、ロイは全く驚いた素振りがない。以前にも似たようなことがあったのかもしれない。やがて、厨房を回って、小さな庭に通される。
「…温室?」
庭と思ったのは、ガラス張りの温室だった。ハーブや野菜が植えられている中、小さなテーブルと椅子が二つ、配置されている。その周辺は小奇麗にされて、そこだけ見るとテラス風である。
呆然としていると、品の良い老婦人が背を屈めてエドの顔をのぞきこんできた。
「大佐のご親戚の子かしら?」
「へぁっ?」
「…鋼の」
素っ頓狂な声を上げたエドに、ロイは笑いながら声を掛けた。そして、今度は老婦人に向き直る。
「彼は私の友人です」
「まぁ。かわいらしいお友達ですのね」
年齢を感じさせない顔で微笑んで、老婦人は答えた。
「マダム、彼は一人前の錬金術師です。かわいらしい、はご容赦下さい」
そんな老婦人に、ロイもすました顔で注文をつける。それに彼女はくすくす笑って、まあ、錬金術師さん、と笑い皺を深くした。
「ポワールはまだありますか」
「ええ。勿論。大佐に召し上がっていただくまでは、切らしません」
「それはありがたい。彼にも是非、と思っていたので」
ふたりはにこやかに会話を続ける。エドには入り口が見つけられない。
「クラムチャウダーもいただけますか」
「ええ。他には何をお持ち致しましょう。これからお昼なのですよね?」
「はい。…鋼の、メニューを頼もうか?」
そこでようやく、ロイはエドを振り向いた。エドもはっとして顔を上げる。
「…ん…、いーや、大佐に任せる」
「そうか。…だ、そうです。…では私はいつもの通りご主人にお任せしますので…」
「かしこまりました。主人にそう伝えます。…そちらのお若いご友人は、何かお嫌いなものはあるのかしら」
「鋼の、好き嫌いは?」
「えっ?な、ない。なんもない」
「そうか。いいことだ」
慌てたようなエドの答えに、ロイは何度か頷いて返す。
「―――では、よろしく頼みます」
「はい。少々お待ち下さいませ」
エドが呆然としている間に、ふたりはなんだか会話を済ませ、老婦人は厨房へ去って行く。そして完全に見えなくなったところで、エドはロイの袖を引いた。
…ちなみに、ずっと繋いでいた手は、さすがに店に入る手前で離してもらった。
「…喫茶店、じゃなかったのか?」
「喫茶店だよ?」
「…どこがだよ」
「本来は喫茶店なんだよ。だが軽食も評判でね」
「…。それはそれでいいけど。なんだよ、この特別待遇」
「お得意様だからじゃないのか」
「職権濫用!」
「…わかった。種明かししよう。何年か前、夫人が道端で足を挫いて困っていたのを、家まで送ったんだ」
降参、と両手を上げてロイは説明したのだが、まだエドの険はゆるまない。
「…見境なし」
「…は?」
ぷい、とそっぽを向いたエドをしばらくまじまじとロイは見つめていたが、その意味に気付いて噴き出してしまう。
「…なにがおかしんだよ」