太陽と月と星(後)
だがいくらエドワードが普通より腕力があるとしても、相手はアームストロングである。そう容易く跳ね除けられるものでもない。遂に逃れられないと悟ったのか、押さえられたままぼろぼろと涙をこぼし始めた。恐らく興奮して、自分でもどうしていいかわからないのだろう。
「オレ…っ、…ちゃんと…まってたのに…」
うう、と子供のように顔を歪めて泣く少女を、困ったようにアームストロングは放してやった。すると、ぺたん、と地面に座り込んで、人目を憚ることなく泣き崩れる。
「なんで…、なんでだよぉ…」
おろおろとしゃがみこんで、アームストロングは触れようか触れまいか手をさまよわせている。半死半生のテロリスト連中の回収に当たっていた軍人達は、刺すような泣き声に顔を歪め目をそらした。こういう現場は残念ながら珍しくも無いが、かといってそう慣れられたものでもなかった。
と、そんな時だった。
「……、む?」
こちらを目指して走ってくる軍用車の存在に、アームストロングは気づいた。今から現場の整理に当たるにしては不自然なタイミングだったし、また、いやに手入れの行き届いた車に見える。
なんだろうかと思っている間に軍用車はぐんぐん近づいてきて、…そしてアームストロングは我が目を疑った。
ゆっくりと窓が開けられていき、ひとりの男が、車から顔を出す。
黒い髪と同じ色の切れ長の目。どこか愛嬌のある童顔。少し日に焼けていたが、間違いない、あれは―――
「エドワード.エルリック。顔を上げなさい」
アームストロングは片膝をついて、そっと少女に呼びかけた。顔を両手で覆っていた少女は、小さな子供のように首を振って嫌がる。
そうこうしている間に車は本当に近づいてきて、後部座席から、扉を蹴飛ばす勢いで正に飛び降りてきた男が一人。
「…エドワード?」
彼は大股にこちらに歩み寄ってくると、アームストロングに目で尋ねた後、立膝ついて呼びかけた。
「…っ?」
その深い声に、エドワードは反射的に顔を上げた。
そこには。
「…うそ…」
そこにいた男は、照れくさそうに笑って、黙ったまま少女の頬をそっと手で包み、涙を拭ってやる。
「…うそ、…なんで、…だって」
「…遅くなってすまない。…ただいま」
マスタング少将の乗った汽車がテロリストに爆破されたらしい―――
少女の頭の中で、忙しなく速報が駆け回る。
確かに崖の下には爆発した汽車の残骸があって、確かに、乗客名簿には―――、
「…今回ばかりは少将の熱愛に救われました」
ロイから遅れて車から降りた女性が、悪戯っぽく言う。
「ただいま、エドワードくん」
ロイと同じく少女の前にしゃがみこんだ女性が、にこりと笑った。
「…リザさん」
「覚えていてくれたのね?名前で呼ぶ約束」
朗らかに笑って、女性は軽く両手を広げた。すると、頬に触れるロイの手も忘れて、エドワードがリザの胸に飛び込んだ。そして、思い出したように泣き始める。
そんな少女と部下の脇で、いささか居心地悪げにロイは笑い、そうしておもむろに立ち上がると、驚きに固まっている軍人達に困ったような愛想笑いを浮かべた。
「…ご無事で何より」
そんな彼に声をかけたのは、エドワードを制止するためにやってきて、結局は一緒にテロリスト成敗をしてのけたアームストロングである。ちなみに、やはり上半身は裸だった。なんだか妙に懐かしい気持ちになったロイである。
「ああ。…心配かけたようで、すまない」
「まったく、肝が冷えましたぞ! …しかし、どうしてこの汽車に?」
「…。いや、まあ…ちょっとした野暮用があってね、ある駅で一端途中下車したんだ。だから二本後の特急に乗ったんだが、…まさかこんなことになるとはな」
何気ない調子で答え、ロイは肩を竦めた。
「野暮用?」
それはなんだ、と尋ねるアームストロングの向かい側から、軍人達が駆け寄ってきていた。彼等もまた、奇跡のような彼の生還に驚き興奮しているのであろう。
「…まあ、…それは後で詳しく話すさ」
困ったように、幾分照れたように答えたその男は、慈しみのこもった目を泣き咽ぶ少女に向けた。
いとおしい、とその眼差しは雄弁に語っていた。
結局ロイは他の軍人達と検証を始めてしまったので、落ち着いたエドワードとアームストロングに事情を説明してくれたのは、リザだった。
もしかしたら、単純にそれが照れくさくてロイは逃げてしまったのかもしれないが。
「…オルゴール…?」
「ええ。途中で、ミュージックボックスの会社がある街があって」
「ミュージックボックスって…えっと、…音楽が勝手になるやつ?」
「ええ、そう。その有名な会社がある街を通ったの。その街では、ミュージックボックスではなくて、オルゲルとかオルゴールと呼んでいたのだけど」
「…それ、買いに行ったの?」
「…どうしてもあなたに贈りたかったんですって。…それで、こっそり抜け出して。でもだからといって本当に上司一人行かせるわけにもいかないでしょう?だから私と、護衛が数人途中下車して後から追いかけることにしたのよ」
エドワードは…呆れてもう言葉も無かった。
自分の涙を、あの怒りを憤りを返せと言いたい。
…というか、もう、恥ずかしさに憤死しそうだ。
「でも、まさかそれで爆破を逃れられるとはね…あなたのおかげだわ」
「え?」
きょとん、とした顔で、エドワードは首を傾げる。大泣きしたせいで、その目元は赤くなっていた。
「だって、大変だったのよ。もうその街が経路に入っているのは最初からわかっていたから、大分前から予約していたの…書類仕事もそれくらい熱心になさってくれたらいいのだけど」
「…………」
「それで、帰りにはそれをこっそり受け取って帰ろうと思っていたようね。なんでこっそりなのかはよくわからないのだけど…」
恥ずかしがる年でもないでしょうにねぇ、とリザは容赦ない。
「…でも、あなたのために、どうしても、という気持ちが、…結局この偶然に繋がったのだから、やっぱり感謝すべきでしょう? …一つ前の駅でこの爆破のことを聞いて、本当にびっくりしたわ」
それで驚いて、至急最寄の軍支部から車を徴発して飛ばしてきたのだという。
今は事後の処理について俄かに指示をしている男を遠目に見、エドワードは信じられない、という様子で何度も瞬きを繰り返していた。
線路が破壊されてしまったこともあり、ロイ、リザ、エドワードはアームストロングの屋敷へ逗留することが決まった。そのあたりにも、彼の家の別荘があったので。残りの部下に後事を託して、…とりあえず、今夜はそうさせてもらうことにしたロイ達である。
「狭いところで申し訳ないが…」
そういって案内された別荘は、中央にあるロイの家よりよほど立派なものだった。狭いところ…ね、とロイはこっそり苦笑した。
これで狭かったら、自宅などウサギ小屋に等しい。
めいめいが客室をあてがわれ、夕飯まではそこでくつろいでほしい、とアームストロングは告げた。