太陽と月と星(後)
彼女にしても部下にしても、士官学校を出たてのような少尉に率いられた小隊をあしらうなど児戯に等しい。
あらゆる戦場へ行った。南部、西部、…中央で潜伏任務についたこともあるし、暗殺もこなしてきた。そのために作り変えられ、部隊として隠密裏に行動してきた。同じ軍人達からさえ恐れられ、忌み嫌われながら。
大総統がいなくなったことに前後する一連の騒動で、彼女達の部隊は解体された。そんな時彼女達にこの図書館での仕事を斡旋してくれたのは、アームストロングだった。
これから時代は変わっていくのだと、あの優しい目をした巨体の男は言っていた。
その時フランチェスカは、信じてみたいと思ったのだ。彼が言ったことを、…彼が信頼を寄せる、マスタングという男のことを。だから、彼のアキレス腱をこうして匿うことにした。
そしてそうやって匿っているうちに、まるで自分の娘のように思えてきて、フランチェスカはそんな自分の変化に戸惑った。非情な軍人だったはずの自分の中に、そういう感情が宿ったことに対して。
恐らく、部下達も同じなのではないかと彼女は思っている。
自分の部下達は、皆、あの金色の少女を大事に思い始めている。まるで末の妹ででもあるかのように、その幸せを祈り始めている。
「オリヴィア、まだ意識があるわ」
舞うように、しかし恐ろしく正確な打撃を次々に決めていく部下達の姿を見守りながら、フランチェスカはエドワードのことを思った。本が好きなのだと屈託なく笑った顔からは、噂に聞く鋼の錬金術師のすさまじさはあまり感じられなかった。
今はそれを残念には思わない。
今は、それを幸せにさえ思う。
「…願わくば、そのままで」
フランチェスカの呟きは、騒乱に紛れて消えた。
中央図書館が軍小隊の手荒な来訪をさらに手荒な対応で追い返していた頃、そのパトロンのひとりであるアームストロングは、やはり中央にいた。
但し、こちらは、軍司令部に。
中央司令部は騒動の後改築されていたが、未だにその工事は終わっていなかった。基礎がむき出しになっている脇を歩きながら、奇妙に感慨深い思いを味わいながらアームストロングは目を細める。
「…どなたかな」
今向かっているのは応接室なのだが、どうも、先ほどから後を付いてきている者がいるのだ。
振り向くことはせず、ただ静かに問いかければ、…現れたのは、見知った人物だった。
「―――お久しぶりです、アームストロング少佐」
「…おお!久しいの、ロス少尉」
晴れてシンから呼び戻された女性は、色々と葛藤もあっただろうが、今は軍に復帰していた。…そして、今はマスタングの陣営を形成するひとりとなっている。
「だが、少佐、はやめてほしいものだな。もう私はただのアームストロングだ」
人懐こく笑う元上司に、ロスは黒い目を和ませた。…が、すぐにその表情をきりりと引き締め、声のトーンを落として告げた。ここまでついてきて、ようやくこの場で気配を出したのはわざとではない。それは、アームストロングにもわかっていた。
「…アームストロング殿、急ぎお知らせしたいことが…」
あたりをさっと伺ってから、ロスは語りだした。
エドワードを査定を餌に呼び出そうとしている上の命令で、今、中央図書館へ小隊が派遣されていることを。
「小隊? …ふん、エドワード・エルリックを捕らえるのに小隊ひとつとは舐めたものだ」
「私もそう思います。…ですが、もしかすると、誰か人質を取って彼女をおびき寄せるつもりなのかもしれませんし…」
用心深く呟かれた言葉に、なんの、とアームストロングは笑った。
「それなら、それこそ愚かというもの。フランチェスカ・コールもその部下も、小隊ごときでどうこうできる者共ではないわ」
その名前に、ロスは二度ほど瞬きして。それから、はっとした顔で目を見開いた。
「…フランチェスカ・コール…、コール隊が、図書館にいるのですか?」
「おお、ロス少尉は知っておるのか」
フランチェスカ率いるコール隊は特殊部隊だったため、ほとんどの軍人達がその存在を知らないはずだった。アームストロングとて、任務で共に戦わなかったら今でも知らなかったかもしれない。彼女等は、どちらかといえば隠密行動を身上としていたので。
「ええ、…名前だけは…」
コール隊を率いるフランチェスカ・コールは無手の天才と聞いたことがある。誰も体術で敵う者はいないと。そして彼女が選抜したコール隊の面子は、それぞれに格闘、射撃等々の白兵に優れた才能を持つ者だと。本当に一瞬だけ、任務で行動を共にしたことがあったのだが…確かにその戦闘センスは他の追随を許さないものだったと記憶している。目にも鮮やかな強さは、群を抜いていた。…まるで、人間ではないような…。
「あそこは陥ちまい。コールは強いだけではなく、任務は必ず全うする人間だ」
アームストロングは笑い、そうしてから、司令部の上層階を見上げた。
「ロス少尉」
「はい」
「我輩は我輩に出来ることをしよう。その命を下したのは誰か、わかるかな」
「はい!」
ロスはきりりと敬礼し、今もかわらぬ彼への敬意を示した。
そして、参戦の意思を。
およそ三十人の兵士からなる小隊のうち、五人は外で図書館を包囲していたが、残りは皆館内へ投入されていた。
しかし、まったく予想外のことに、彼らは目的を果たすなく、非戦闘員であるはずの司書達に撃退されて図書館の外へと放り投げられた。
このままでは、軍に逆らった者として末路は暗いはずだが、…彼女達の顔に悲壮さはない。何となれば、どうにでも切り抜ける自信があったからだ。
今この時期に騒ぎは厳禁であるが、先に踏み込んできたのは軍である。まさか一個小隊を女ばかりの司書数人に撃退されたとあってはあまりに外聞も悪いので、そのまま公表するとも思えなかった。エドワードがここにいることがどうしてばれたのかはともかくとしても、結局いるという証拠も掴むことは出来ずに帰ったのだから、これを自己弁護に使おうとしても厳しいだろう。
そもそも、エドワードは何か罪を犯しているわけではないのだ。査定を受けないことにペナルティが課されたとしても、その罰則がイコール犯罪ではないだろう。もはや大総統の独裁が終わった以上、新たに条例を制定するのはそこまで簡単なことではない。
「…終わった…んですかね?」
静かになった館内に、シェスカが首をめぐらせながら呟く。
「…多分」
それに、エドワードは曖昧に返した。
こうやって後ろで待っていると言われるのは、本当に今までからしたら考えられないことだった。嫌だというのではないが、慣れない。これなら自分で向かって行った方が絶対に気が楽だろう。
…だが、とも思った。
フランチェスカ達は無事なのだろうかと思う気持ちが、エドワードに気付かせた。彼女を待っていた人達が、…ロイが、普段どんな気持ちで彼女達の行動を聞き、見ていたのかを。それがどれだけ辛いことか、もどかしいことか、今ようやく気付いた。
「…オレ、…ほんと駄目だぁ…」
がし、と前髪をかきあげて呟いたエドワードに、シェスカが怪訝そうな顔を向ける。
「エドワードさん?」
「…いや、なんでもない」