近いか遠いか、そんなの手を伸ばせば分かる事じゃない
「やあ、紬も食事かい?」
「ああ。……二つ、いいことを教えてやろう。
一つ、今日の豚の生姜焼きは絶品だ」
「おっ、紬も同じBセットを頼んだのか、奇遇だね」
「ふたつ、……あんた、疲れが顔に出てるぞ」
「……わかってるよ」
黄長瀬に言われた通り、美木杉はどこか疲れた様子で黄長瀬の目の前に座り、机に食事ののったプレートを置いた。食糧も資金も人員も消耗戦で、ヌーディストビーチは押される一方だ。しかも布状カバーズはともかく、人型カバーズに対抗する手段は未だ何もない。普段は周囲に疲れた様子を見せず振る舞う美木杉だったが、今回の戦いは長期にわたっていることもあって、隠しきることができないようだった。
「本当は、また自分の部屋に持って行って食べようかと思ったんだけど、たまにはこうやって、みんなの顔を見ないとね」
「ああ、食堂が一番人が集まるからな」
「それにずっと一人で部屋にこもって食べていると息が詰まる」
そういってぐん、と腕を伸ばしてのびをした美木杉が、割りばしを割って、いざ食べようとしたときに、彼に声をかける人物がいた。
「ちょーっといいかしら」
「邪魔するよ」
「失礼する」
各々の食事ののったプレートを持って、蛇崩が黄長瀬の右隣に、そして黄長瀬を挟むようにして犬牟田が彼の右隣に座る。美木杉の右隣には猿投山だ。
黄長瀬はそのしかめっつらを少し深くして、美木杉は驚いたように一瞬眉をあげた。
「おや、君たちが食事の時に僕らに声をかけるなんて珍しいね」
「まあね。単刀直入に言うわ。相談したいことがあるの」
「食事中にすまない。でもわざわざ会議をするようなことでもなくてね」
「ふむ、四人そろって四天王なのにその内の一人、風紀部委員長がいない、となると……彼に関してかな?」
「すると、議題は『風紀部委員長の極制服の異常な消耗の速さ』ってところか」
美木杉と黄長瀬の言葉に、蛇崩は一瞬虚を突かれたような顔をしてから不機嫌そうに、犬牟田は感心したように、猿投山は表情を変えずそれぞれ頷いた。
「あんの頑固風紀部委員長、あたしたちがいくらいっても前に飛び出すのを止めないのよ」
「人型カバーズに対しては特にね。僕たちが今できることは各学校の生徒たちを避難させ、布状カバーズに吸収させないようにすることぐらいしかない。このままいけばいつか極制服も消失してしまうだろうことは予測できるから仕方ないこととはいえ、彼の行動は無駄に極制服を疲弊させるだけだ。蟇郡だって馬鹿じゃないからわかってるはずなんだけどね」
「頭じゃ理解していても心が追いついてないってやつなんだろうよ。皐月様がいればまだ違ったんだろうが……。そこで敵だったこともあったあんたたちにいわれれば少しは落ち着くんじゃないかと考えたんだ」
「成程ね。けど君たちが言って聞かないなら僕たちが言っても同じだと思うけど……なぁ、紬」
美木杉の視線に着長瀬は肩をすくめて答える。それを見て蛇崩は大きくため息をついた。
「まっそうでしょうね。でもあたしも犬君も猿君も、裁縫部部長だって手は尽くしたの。でもダメね。ぜんっぜんダメ」
「いや、皐月様のことを持ち出した時は反応はあったと思うけど」
「ああ、それで消耗がおさえられたときも、余計に消耗がひどくなったときもあったけどな」
「鬼流院皐月でもだめ、か。それは深刻だな」
「理由が分かれば解決方法もわかるんじゃないか。その風紀部委員長は鬼流院皐月に随分心酔しているんだろう? あのときそいつを守ることができず、今姿を見失っているからか?」
黄長瀬の「そいつ」呼びに顔をしかめてから、蛇崩は首を振った。
「それもあるかもしれないけど、皐月様のことはあたしたち五人で話し合ったわ。それでちゃんと結論も出た。今は皐月様を探すよりも、カバーズが勢力を広げるのを止めるのが先だってね」
「むしろ皐月様よりも生徒たちを優先させないと叱咤を受けるだろうよ」
「そして僕たちはそれで納得している。蟇郡も例外なくね。責任を感じているのは確かだろうけれど」
「へえ、思ったより信頼されてるんだな、あのお嬢さんは」
「当たり前でしょ。あの鬼流院皐月よ。皐月様を信頼せずに誰を信頼しろっていうの?」
「でもあのときの君は歯ぎしりでもはじめそうだったけどね」
微笑んだ美木杉にフン、と蛇崩は自慢気に鼻を鳴らしたが、犬牟田に向けられた言葉に眼光を鋭くした。
「うっさい。あんただって不協和音噛まずに飲み込んだみたいな顔してたくせに。……皐月様は絶対に生きてる。でも、どれだけ信頼してても、だからって心配しないわけないじゃない」
小さく彼女が零した言葉に少しの間静けさがその場に広がるも、しかし、と黄長瀬が口を開いた。
「じゃあ何なんだ。お前たちの生徒会長が原因じゃないとして、他に考えられる理由は」
訊ねられた三人の反応はそれぞれだった。
猿投山は腕を組み、犬牟田は表情を変えず襟元を開閉させながら食事をつまみ、蛇崩はきょろきょろとあたりを見回してから、口元に片手を当て、小声で言った。
「苛ちゃんの好きな子がカバーズにつかまっちゃったのよ」
「ああ、好きな子、それじゃあしょうがないね、好きな子か………好きな子!?」
「わざとにしてもオーバーリアクションすぎんだろ……」
「わざとだったのか。気づかなかったな、データに入れておこう」
椅子を蹴って勢いよく立ち上がった美木杉を呆れるように見ながら黄長瀬がご飯を口に運び、その隣で犬牟田がどこからか取り出した端末でポチポチと何かを記録する。
蛇崩は真顔で座りなおした美木杉をギロリと睨みつけた。
「ちょっと。せっかく小声でいったのに、本人に聞こえてたらどうすんのよ」
「……いや、蟇郡は今は医務室にいるみたいだ。食堂からは何を言っても聞こえないだろう」
「心眼通はそんなことまでわかるのか。僕は時々君が羨ましくなるよ、猿投山」
「あたしはお猿さんが何かに悪用しないか心配だけどね……」
「昔の俺ならいざ知らず、今の俺はお前が考えてるようなことはしないぞ、蛇崩」
「つまり昔だったらしてたのね」
「医務室? そいつは何か怪我でもしたのか」
「医務室は医務室でも、纏流子のいるところだよ」
「じゃあそいつが好きなのは纏なのか? いや、しかしあいつはカバーズに捕まったわけじゃ……どうした、何か分かったのか」
黄長瀬は目の前で額に片手を置いて肘をつき、じっとまだ食べかけのご飯を目を見開いて凝視して固まっている美木杉に声をかけた。暫く美木杉は「いや、そんなまさか」「しかしそれしか考えられない」と小さな声でぶつぶつと呟いていたが、やがて覚悟を決めたかのように顔を上げて蛇崩を見た。
「もしかして、……満艦飾君、なのかい」
「彼から聞き出したわけじゃないけど、そうだろうね」
「ごめんなさいねぇ美木杉センセ、センセが担当してる生徒にうちのガマ君が惚れちゃって。あ、もう違いましたっけ?」
作品名:近いか遠いか、そんなの手を伸ばせば分かる事じゃない 作家名:草葉恭狸