Dear
そこまで見た後で、私はベッドに向かい腰かけた。
私がこの部屋に来るときは、いつもここに座っている。
そして、丁度真向いの机の椅子にレンは座る。
今日の椅子は、机に向いたままの無人だった。
なぜか、ひどく寂しい気持ちになった。
いつもの光景にひとつ、とても大事なものが足りてない光景。
合宿や遠征などで家にレンがいない時はなんどもあったけど、事前に知らせもなく家を空ける事なんて、今回が初めて。
----少しの間レンが家にいないだけで、こんなにも寂しく思うもんなんだなぁ・・・----
自分の中のレンの存在が、それほどまでに大きいものなんだと改めて思い知る。
----まあ、入院も一週間くらいって言ってたし。すぐ帰ってくるよね----
そう思いながら、しばらくベッドの上から動こうとしない私がいた。
翌日、私は学校が終わってからすぐ家に帰り病院へと向かう。
部活は顧問の先生にも事情を説明しておいたし、部員の仲間にも頭を下げつつ説明したらすぐに理解してくれていた。
カルには『あんたはまだ弟ラヴなのかねー』っと冷やかされたが、親から頼まれていると言う事も付け足してある。
レンの着替えを鞄いっぱいに詰めて、自転車で病院へ向かうが季節は夏。
病院に着く頃には汗だくで、臭いが気になってしまう。
まあ、年頃だしね。
「うーん・・・大丈夫かなぁ。まあ、今更どうしようもないんだけど・・・」
一人で呟きながら病室へと自転車を走らせる。
レンがそんな事など気にしない事はわかっているので、独りよがりでしかないわけだし。
今日はどんな話をしよう?
やっぱり学校であった事から話すのが自然かな?
いや、最初はレンの体の調子を聞かないと。
わくわくしながら、自然と自転車を漕ぐ足はスピードを増していく。
暇で仕方がない。
これだけなにもしない日々を過ごすのはいったい何時振りになるんだろう・・・
ああ、また眠くなってきたな。
これだけ体を動かさない事を不安に思う一方で、体はこの休息を堪能しようとしているのがわかる。
---まあ、今だけはいいか。どうせあんまり動けないし---
焦る気持ちを落ち着かせ、ベッドに体を沈ませる。
共働きの親は、普段あまり子供に構っていられない事を思ってかわざわざ個室の病室にしてくれた。
しかも、世話役にミクねぇ。よく親父が許したなぁ。
そこは、母さんの方が強いって事かな。
しかし、気を使う事なく休む事はできるが話相手もいないからなぁ・・・
おかげでミクねぇと二人で毎日ゆっくり話しをできる事には、すげー感謝だけど。
そのミクねぇが来るのは夕方だから、まだちょっと時間があるんだよなぁ。
「寝るしかないか」
自分ひとりしかいない病室でぽつりとつぶやく。
なんとなく付けていたテレビも消して、ゆっくりと目を瞑る。
入院する前は毎日疲れ果ててベッドに入っていたから5分も経たずに夢の中だったけど、夜もしっかり寝て、さらに昼寝をする入院中の生活に体が慣れていないのか目を閉じてもなかなか意識は遠ざかっていかない。
暗闇の中に意識があると、人間いろいろな事を考えるみたいだ。
----今日の晩御飯はなんだろうなー-----
----いつ退院だろう・・・----
----そうだ、暇なうちにちゃんと復帰してからの練習メニュー考えとかないと----
他愛もない思考が浮かんでは消えていく中で、一つ浮かんだ思考にしばらく意識をもっていかれる。
----そういえば俺は、いつからミクねぇの事が好きになったんだっけ----
これを思い浮かべた時、しばらく考えて過去を振り返る。
----小学生の4〜5年生の時にはとっくに好きだったっけ----
----低学年の時は・・・多分もう好きだった。なんとなくミクねぇを追いかけてた覚えがある----
----それより前は・・・思い出せないなぁ----
過去に遡るにつれ、記憶の詳細さがなくなっていく。
徐々にまどろみに落ちていく中で、結局この時は思い出せなかった。
そして、意識が完全に眠りに落ちる寸前に突然病室のドアが開く音が聞こえてきた。
予想通り、病院の駐輪場に着く頃にはそれなりに汗をかいてしまった。
覚悟はしていたが、気になって仕方がない。
荷物も多いので、このままトイレに駆け込んで身だしなみを整える事もできないし・・・。
「・・・はぁ。仕方ないか。」
ため息を付きながら諦め、病院の入り口へと向かう。
空調の効いた廊下を奥に歩いていき、エレベーターへ向かう。
レンが運ばれたと聞いた時には、大分手前にある階段で一気に八階まで駆け上がったが、今考えるとよくそんな事ができたなぁっと思う。
運動はほとんどしてなくて、体は見るからに細くて体力がなさそう。
それでも、人は必死になった時に自分でも信じられない力が出るものらしい。
火事場の馬鹿力ってやつですね。
今は当然そんな体力もないし、これ以上汗もかきたくないので一人エレベーターで八階を目指す。
ふっと髪が乱れていないか気になり、手鏡を取り出した。
「あー、やっぱり髪ぐしゃぐしゃ。直らないなぁこれ」
それでも、気休め程度の手櫛で最低限のセット。
少しドキドキしてきた。
「あ、まだ決めてなかったっけ。今日はなんの話をしようかなー」
突然開いたドアに、最初はミクねぇが来たかと思った。
でも、すぐに違うと気付く。ミクねぇなら、かならずノックがある。
眠りに落ちる寸前の重たい瞼をゆっくりと開くと、そこには見覚えのない金髪の男がいた。
「・・・あんた誰?病室、間違えてない?」
明らかにこっちを見据えて歩いてくる男に、恐らくは自分の客だろうと思いながらも質問
を投げかけた。
「おいおいおいおーい。ひどいなぁーレン君は」
気持ち悪く纏わりついてくるような喋り方。
笑っているように見える口や目も狂気を孕んで歪んでいる。
瞳の色は、濁りすぎてわからない。
「そう言われてもね。素直に身に覚えがないんだ。大会とかで会った事でもあるのか?」
あまり正気を保っているようにも見えなかったが、とりあえず身元を探ってみる。
「・・・大会?ああそうか。レン君は空手のスーパースタぁーだったっけ。ひゃははは。一発しか殴られてないけど、あれは痛かったもんなぁ。俺みたいな素人には手を出さないのが、ブドウのたしなみってやつじゃないのぉ〜?」
・・・殴られた?俺が殴ったのか。
俺が空手以外で人を殴る時なんて・・・
そして、この黒交じりで汚れて見える金髪・・・
顔に覚えはない。
だけど、今ある情報を繋げると、目の前にいる狂ってそうな男は・・・
「・・・お前、ミクねぇに付きまとってた奴か?少し前に、家の近くで金髪の奴を追い払った覚えはあるけどそれがお前か?」
ミクねぇの名前を出したところで、歪んでいた口と目がさらに歪む。
「そうそうそうそう。それだよー。ミクさんさぁ、ちょ〜可愛いんだよねぇ。肌は白くて、遠めから見てもすべすべなのが分かってさぁ。髪も、あんなに綺麗な水色なのにミクさんだと違和感ないんだよねー。瞳まで綺麗な水色。それでいて気取ったところがなくて、どこかいつも不安そうなんだよ。儚げというか。たまんないよねぇー。わかるだろぉ、レン君ー」
気持ちが悪かった。最初に印象よりもさらに。