Dear
俺が眉をひそめてその男をにらみつけると男はさらに続ける。
「そんでさぁー。そんなミクさんを街でたまたま見かけた僕は、一瞬でファンになっちゃったんだよー。それも無理のない事だよねぇ。ミクさんってさ、ストーカー多くない?」
独り言に近い語りの最後に急にこっちに質問を投げかけてきた。意図が見えない。
「・・・・そうだな。高校生になってから多いとは思う。お前ほどおかしい感じの奴はいなかったけどな」
軽く喧嘩を売るような台詞を投げつけたが、男はそれを気にも留めずにうれしそうに笑い出す。
「・・・はっははははひゃひゃひゃ!!だよねぇ!!一目みたらわかるんだよ!あの子はさぁ。ミクさんはさぁ。隙だらけなんだよ。なにがどうって上手くはいえないけどさぁ!無理を通せると思うんだよあの子を見てると!弱いのに抗えない!そして見た目は果てしなく可憐・清楚!たまんないじゃん!こんな子をさぁ・・・・汚したいと思っちゃうんだよねぇ!!僕みたいなのはさぁ!!」
狂ったように笑いながらうれしそうに喋る。
不快だった。果てしなく不快だった。
ミクねぇに対して、純粋な恋心とは掛け離れた性欲の塊を抱くこの男と話していたくなかった。
この時に冷静になっていれば、俺の未来は違っていたのかもしれない。
頭を冷やし、言葉を武器に対処できていれば、俺の未来はまだ続いてたのかもしれない。
だけど、冷静なんて思考はすでに吹っ飛ぶ寸前まで来ていた。
「そうか・・・。それでお前は、なにしに来たんだ?また俺に殴られに来たのか?こんな状態でも多分、お前を殴るくらいはできるぞ」
強がりではない。
手足の一本ずつが多少不便でもそれくらいはできる自信はあった。
実際、横になっていた体を起こしてベットの上に座る。すぐにでも殴れるように。
「やだなぁ。やめてくれよ。僕は痛いのは嫌いでさ。ちゃんと話し合いで解決しに来たにきまってるじゃないかぁ」
ニヤニヤしながら言う。
「へー、話し合いね。なんでそれを俺に持ち掛けるんだ?ただの弟だぞ?」
「なに言っちゃってるのレン君?君がミクさんのナイト様だってこっちじゃ有名だぜぇー?なんでも、ミクさんをストーキングしてる奴は漏れなく顔面ボコボコにされるって話でさ」
顔面ボコボコ?
そんな覚えはない。噂の尾ひれって奴だろうか。
「知らないな。精々数発殴った程度でみんな尻尾巻いて逃げてったぞ?」
「ひひひひひ!それだけ、君のパンチが痛かったってことだよ。僕も身にしみてわかったよ。もうあのパンチは貰いたくないなぁー。だからさ、ちゃんと考えたんだ。痛いのはヤダ。でも、ミクさんは手に入れたい。なんかいい方法はないかなぁーって」
おもちゃを強請る子供が考える言い訳みたいだった。
自分の姉を・・・好きな女性をおもちゃのように言われるのは思った以上に不快に思った。
言葉を発するのも嫌になり、拳を握って男をにらむ。
「おっとっと!まだ話は終わってないんだよレン君!僕は君に殴られるのは嫌だからねぇ。だから、提案をしにきたのさ」
「・・・なんだよ、提案って」
いつでも殴れるように心を決める。
「うん、話合いはいいねぇ。そうだよレン君。殴ってばかりはダメだよ。ちゃんと人の話を聞かないとダメだ。そう、提案っていうのはさぁ・・・月一回」
「・・・はぁ?」
この男がなにを言っているのか分からず間抜けな声をだしてしまった。
なんだ月一回って。意味がわからない。
「月一回でいいんだ。僕とミクさんを二人っきりにしてくれよぉ。そしたらさ、ストーカーはもう止めるから。月一回、僕とミクさんを密室で、二人っきりの密室で一日一緒に居させてくれたら・・・」
この男の言葉をこれ以上聞いていられない。
思ったと同時に体は動く。妄想でも働かせながら話でもしていたかのような男の頬をギブスのない右腕で思いっきり殴りつけた。
「・・・・」
怒りのあまり言葉も出てこない。
吹き飛んだ男に近づき、胸倉を付かんで上半身だけを起き上がらせる。
「これが返事だ。ミクねぇはお前みたいな屑が付きまとっていいような人じゃなんだよ。弱々しく見えて付きこみたくなるってんなら、俺がずっと守って・・・」
さっきの男の話を遮ったように、俺の言葉も続かなかった。
最初はただ、腹部に軽いパンチを受けたような衝撃だったが直後、信じられない痛みが襲ってくる。
少なくとも、空手をやっていて感じた事のない痛みだ。
どんな強い突きでもどんな鋭い蹴りでも、こんな感覚はありえない。
「だよねぇ。レン君なら、そう言うと思ってたよ。わざわざナイト様やってるくらいだ。普通の弟じゃないだろ?近親相姦か?いいねぇ。僕はアブノーマルなのが大好きでさぁ」
俺の突きで口の中が切れたのか、口端から血を流しながらもうれしそうに頬を持ち上げて笑う。
ただ、俺にはその言葉はほとんど聞こえていなかった。
腹部に目をやると男の拳が突きつけてある。ただ、その向きはまるで俺の腹になにかを渡そうとしているかのようにも見えた。
パンチじゃない。
拳の中には、黒茶色の木の持ち手。その先は、もう俺の腹だ。
「あれ、聞こえてる?まあいいや。それでさ、きっとレン君は僕のこのすばらしい提案を断ると思ってたんだよ。それでさ、断られたらもうこれしかないよね?君邪魔だもん。ミクさんが僕に汚されるのをさ、あの可憐で綺麗な女の子が僕に可愛がられるのをあの世から見といてよ。それでいいでしょ?」
男に馬乗りになる形のまま動けないで居る俺にそれだけ言うと、男は拳で握っていた黒茶色の木を引く。
その先には、金属の光を血で汚した鋭い刃が付いていた。
「もう邪魔だなぁ。僕は男に乗られる趣味はないんだよねー」
直後、また体に鋭い痛みが走った。
堪え切れない吐き気が込みあがると、どす黒い血の塊を吐き出す。
血の塊は男に掛かる。
「おいおいおいおいおい!!汚すなよ!!」
血を掛けられた事に腹を立てたのか、今度はナイフを抜く事はせずにそのまま蹴り飛ばされた。
飛んだ先がベットだったのは幸いだったが、もはやそんな事を気にする余裕もなかった。
腹部を見ると、さきほどより少し上だろうか。腹と胸の真ん中辺り。木の持ち手が生えている。
痛みと苦しさだけが頭の中を支配する。
状況を理解しようとする自分と、痛みで混乱する自分がぐるぐる回りより頭の中は整理できなかった。
--ピンポーン--
エレベータが八階に到着した。
いつものようにナースステーションでお見舞い者リストに名前を書き、看護師の方々に挨拶をしながらレンの病室に向かう。
結局、エレベーターの中では話題を決める事はできなかったがどうにでもなるだろう。
レンの顔をみれば、話すことなんていくらでも出てくるんだし。
病室まで後十メートルくらいの所だろうか。歩いていていると突然『ドンッ!!』っという大きな音が聞こえた。
まるで、人が倒れたような音のような気が。
どこで聞こえた音なのか正確には分からなかったが、左腕左足が不自由なレンが倒れたのではないかと心配になる。
少しだけ駆け足で病室に向かう。
--コンコンコン--
レンの部屋に入る前にいつもしている3回のノック。
起きていればすぐに返事があるはずだが、今日はなんの返事もない。
「レン君。入るよー?」