Dear
私には親の気持ちは分からないが、きっと両親が抱える喪失感は私とは違う形であっても、抱えきれない程の大きさなんだろう。それはルカやリンも同じだと思う。
それでも一ヶ月経った今はみんな日常に戻っている。私以外。
妹であるリンでさえも、すでに学校には行っているようだ。
自分の弱さを改めて感じる。私はまだ、立ち上がってすらいない。
「どうかした?」
暗い部屋でも私の変化を感じ取ったらしいルカは心配するようにそう声を掛けてきてくれた。
ついつい下落方向に行ってしまう思考を断ち切り、わざわざ話に来てくれた姉の為に一ヶ月ぶりに声帯を酷使することにした。
「・・・ううん、大丈夫。それよりルカちゃん、なんでこんな時間に?」
久しぶり過ぎて心配だったが、思ったよりも言葉は滑らかだった。
「いや、すんごい久しぶりにミクが部屋から出てきたみたいだったからさ。どんな顔してるかなって」
「・・・なんで部屋から出たのが久しぶりってわかるの?」
隣の家族の目を盗んで隣の部屋に行く事もあったかもしれないのに、なぜかルカは、それが今日久しぶりと言う事を看過しているような口調だった。
その疑問を投げかけると、ルカはなぜかとても恥ずかしそうに頬を掻く。
そんな姉の顔なんてほとんど見ることができないので、なぜそんな顔になるのか私が不思議そうに眺めていると、ゆっくりとルカはその理由を語ってくれた。
「・・・いやー・・・見てたのよ。ここ一ヶ月くらい。監視とも言うかな?」
え?
驚きと戸惑いをごちゃ混ぜにしたような一言が心の中で響く。
私の不思議そうな顔は戻ることなく、むしろその不思議をどんどん深める事になった。
「いや、ずっと?だってルカちゃん仕事あるでしょ?」
そう、姉には仕事がある。
二歳年上の姉は、高校を卒業すると大学に進学する事なく就職の道を選んだ。
本人曰く「やりたい事も特にないし、勉強めんどくさいし。お金もかかっちゃうしねー」っとの事。
両親は「本人のやりたいようにやるのが一番」と言い反対はどこからもなく、今はOLをやっているはずだが・・・
「あー、うん。仕事ね、仕事。・・・実は、辞めた。一ヶ月前に」
「・・・そう。やめちゃったんだ」
正直、あまり驚きはしなかった。
一ヶ月私を見てた(監視)していたらしいと言う事実がある以上、仕事をしているわけがない。
思い返せば、妹の「いってきまーっす!」は聞こえていたが姉の挨拶は一切聞こえなかった。仕事を辞めたのなら、それにも納得だ。
ただ、私が聞きたいのはそこじゃない。
「・・・そりゃ、仕事辞めてないと私の監視なんてできないよね。それで・・・なんで私の監視を?」
さっきまで姉の顔に向けていた視線は再び膝元に戻し問いかけた。
姉は少し困ったように「うーん・・・」と唸った後に、渋々といった様子で話始める。
「・・・心配だったんだ。」
姉はそれだけ言うと口篭る。私は特に反応を示さず、無言でその言葉の先を催促した。
そして、姉の今の思いを、ゆっくりと聞かせてくれた。
「とても心配してたんだ。いや、本当は今でも心配してる。一ヶ月前にレンが・・・あんな事になってさ。警察の人に事情聴取された時にある程度はその時の状況聞いてさ、ちょっとピンと来た事があって・・・いや、それだけじゃないかな。あなたとレン、時々お互いの部屋に行き来してたでしょ?」
っびく。
急な質問に体が硬直した。姉とこの部屋で話を始めていったい、何度目の驚きだろう。
あの日から、ずっと動かなかった感情が強制的に動かされているような感覚に、少し頭が痛くなる。
しかし、今さらそれを知られていたからと言って、特になにがあるわけでもない。もうレンがいないんだから。
中学の時、両親に問い詰められるようなことはもう、起こりようがない。
すぐに冷静になり無言を貫いたが、姉は一瞬の同様を見逃さずそれを肯定と受け取ったようで、再び話始める。
「それでさ、最初はミクが宿題でも教えてるのかなーって思ってたけど、それにしては時間がおかしいと思って。でもあんまり気にしてなかった。まあ昔から仲良かったし?今更気にすることじゃないかなーって。でも、警察の人から聞いたあの時の状況・・・おかしい所があったみたいでさ。レンの出血量と倒れていた場所。これがおかしいんだって」
いまだに姉がなにを語りたくてこんな話をしているのかわからない。
ただ、一ついえることは、あの時の事は思い出したくない。
ずっと殺していた感情がまた動き出す。
無意識に膝の上に置いていた手を握りこんでいた。そこに掛かる力で体は小刻みに震えだす。
「あの時」を思い返そうとした頭はそれを拒否し、行き場を失くした思考は、すべて握りこぶしに向かったかのように次第に力は強くなっていく。
しかし、私の体に異変が起きるとすぐ、優しい温もりが全身を包んでくれた。
その温もりを感じた瞬間に、握りこんでいた手の力は抜けて行き震えは徐々に治まっていく。
真っ白になりそうだった頭は再び色を取り戻し、虚ろいでいた瞳は一面ピンク色で埋められた。
そして、耳元から囁くように、悲しみを含んだ声が言葉を続ける。
「ごめんね・・・いきなりあの時の話なんてしたら、ダメだよね。ほんとうに・・・ごめん」
優しい姉の言葉と温もりに、私も姉の体腕を回した。
---大丈夫。ごめんね---
その思いだけを込めて、強く抱きしめた。
しばらくそのままの姿勢で部屋は静寂に包まれていたが、姉はゆっくりと囁くように語っていく。
「私がなんでミクを監視するような事をしているか、なんで仕事辞めたか・・・話そうと思ったら、ちょっとだけここを話さないといけないくて・・・それに、きっとミクが知っておかないといけないことも、あると思う」
私の反応を伺うように一旦話を切る。
さっきのような異変を起こさない私を見て、姉は少し安心したように私を包んでいた体を離し、続きを話す。
「それでね、まあつまりレンは一回死んでから起き上がってるって言ってもいいくらいの出血を最初に倒れた場所でしてたらしいの。でも、実際は起き上がって、犯人に反撃した。私はさ、それを聞いてなんでそんな事ができたのかなって不思議に思ったの。目の前のミクを守るためなんだろうけど、常識を超えてるって警察の人が言うくらいの動きなんて、よっぽど特別な関係がないと・・・つまり、親と子とか、夫婦とか・・・恋人みたいな。まあ、姉弟の絆がそれより弱いとは言わないけどさ。それで、ちょっと父さんに聞いたんだ。ミクとレンって、なんかあった?って」
「・・・お父さんは、なんって言ってた?」
中学生だった時の事を思い出す。
レンとの関係を心配していると言った父の言葉に、私は心配ないと返した。
あれ以来、表面上はレンと距離を置いていた事もあり、なにも言われてはいないが・・・実際はどう思っていたのか、ずっと気になっていた事ではあった。
「渋々って感じだったけど、教えてくれたよ。『二人は多分、惹かれ合っていた。少なくともレンはミクを好きだった』だって。驚きはしたけど、妙に納得しちゃったよ」
父にはばれていた。そうなると、母もきっと同じように思っていたんだろう。