リバース・エンド
第二章 罪は消えない 2(9話)
行方不明のルークを最初に見つけたのは彼の剣術の師であるヴァン・グランツだと聞きました。発見された場所はコーラル城。そして保護されたルークを、ガイは周りを気にする様子もなく抱きしめ、涙したと聞きます。
その言葉を私は最初信じられませんでした。ですが、ファブレの家臣が皆その場を見たというのですから、事実でしょう。そして皆は口を揃えます。使用人としての態度を崩さない子供が、初めて感情を見せたと。本当はたしなめる場面なのかもしれない、けれど、誰が止められたであろうか。幼い主従の、再会を。主人が無事で安堵の涙する幼い使用人は、健気であり、同時に微笑ましかったと。
自分達が思っていた以上に、ガイはルークを思っていたのだと。そしてそのことを、伯父様と叔母様は誰よりも喜んだと。自分の子供の無事をここまで喜ぶ使用人を、感謝すればこそたしなめることはできないと、笑いながら言ったそうです。
私が聞いた、ガイ・セシルという男は、そういう男でした。
その後、記憶を失ったルークは赤ん坊同然で、誰もが困惑した中、真っ先に立ち直ったのも彼だったと言います。記憶を失われたことは非常に残念であるが、嘆いていてもルークの記憶が戻るわけではない。ならば、もう一度彼に再教育するべきだと。五体満足で帰って来たのだから、希望がないわけではない。そう、公爵夫人を励ましたとも聞きました。
口で言うのは簡単です。ですが、何も知らない、人間というよりも獣に近いルークの世話を、誰よりも率先してしたのもまたガイだと言います。その姿を見て、伯父様はガイを記憶を失ったルークの世話係に任命したと言います。
……私が知っていることは、ここまでです。それさえも、にわかに信じられないのですが。なぜなら、彼の評価と私の感じ方はあまりにもかけ離れているのです。
ルーク様のことを思われている、とても良い少年だ。近づきがたい雰囲気だが、それは冷たいとかそっけないとかではなく、あくまで主人を護る従者として気を張り詰めたところからくるもの。それ以外では、落ち着きはあるものの笑みも見せるし、仕事も率先して行う。暇な時間にはもっぱら屋敷内の花をいじっているか、剣の稽古や勉学に励む少年であると。
私にむけられた、あの鋭い視線は勘違いなのでしょうか。いえ、勘違いなわけがない。あのような恐怖が、勘違いなわけがない。
それでも、私は日ごと屋敷に通い詰めました。彼に会うのは怖い。けれど、怖いもの見たさの好奇心か。ルークに約束を思い出してもらいたいからなのか。私は震えそうな身体を叱咤し、週に何度か屋敷に通ったのです。
ある日のこと。執事のラムダスにルークの居場所を問いただせば、庭で花を観賞していると聞きました。私は礼を言い、その場にむかったのです。
彼を見つけるのは簡単でした。今まで私が聞いたことない、幼い子供がはしゃぐような声が、庭から聞こえたからです。あのルークが、このような笑い方をするなどと、少しばかり落胆しました。
ほんの一瞬でした。ガイに支えられる形で、ルークは立っていました。そして庭の花と、その蜜につられるかのよう寄ってきた美しい蝶を見て、ルークは笑っていたのです。その姿は、子供そのものでした。そしてそれを見守るガイの眼差しはとても優しいもの。歳の離れた弟を見守る兄のよう、もしかしたら父親に近い眼差しかもしれません。私のお父様が、よく私にむけてくださる眼差しにそっくりでした。
暖かな空間でした。優しい陽だまりを、庭の近くを護る白光騎士団や通りかかったメイドが、微笑ましく見守っているのです。そこは確かに幸せに満ち溢れた世界だったのです。
皆が私の存在に気づくまで。
「ルーク様、ナタリア殿下がお目見えです。」
突如、その陽だまりは崩れました。私はガイの言葉にハッと、意識を戻しました。見とれていたのでしょう、気づかぬ間に。白光騎士団やメイド達も、己の職務にまっとうするかのごとく、気を張り詰めたものに変えました。
「がぁ?」
何もわからないと言った感じのルークだけが、不思議そうに呟きました。恐らく、ガイの名を呼びたかったのでしょう。言葉もまともに話せないルークでも、空気が変わったことは感じ取ったようです。
ルークは一生懸命、ガイに意識してもらいたいのか、手を伸ばします。ガイの顔を触れようとしているのでしょうか。
「がぁ、がぁ…」
先ほどまでの笑顔は、曇ったものに変わりました。眉は八の字に垂れ、瞳は涙が溜まっています。
「ルーク…」
「やぁっ!!」
私が近寄ろうとすれば、ルークは激しく拒絶しました。彼はわかっているのです。なぜ、このような空気になっているのか。
彼は、ガイは冷たい視線をあれ以来私にむけることはありません。ですが、使用人としての風情が、私を拒んでいるかのように思えるのです。それを口にすれば、みんな私の気にしすぎだと言うでしょう。でも、確かにガイは私を拒んでいるのです。それだけは、わかります。
「……また、日時を改めて伺いますわ。」
この言葉は、何度目でしょうか。私はルークに拒まれるたび、これしか言えないのです。