学パロ普独
それだけのこと、ルートヴィッヒにも分かっている。
けれど、生来生真面目な質がそうすることを許さなかった。
自分がこの場を看過したところで彼らはまたここに留まり通行人に迷惑を掛け続けるに違いないのだから。
ルートヴィッヒは、小さく溜息を零しつつ、口を開いた。
「言いたいことは一つだ。お前らは通行人の迷惑になっている。そこの看板にも屯の禁止を書かれているだろう。話がしたいのならそれなりの場に行くべきだ。通路を塞ぐな。以上だ」
淡々と告げたルートヴィッヒを、不良たちは一瞬あっけにとられた顔で見つめたが、我に返ったように顔を見合わせると、大きく噴出し笑い始めた。
「ははっ!こいつ真面目な顔して何いってんの!?」
「うっぜぇー!いみわかんねぇし!」
「そんなにどいて欲しけりゃ力ずくでどかしてみればいいだろうが!オラ!」
不良の一人がルートヴィッヒの胸をドンと突いた。
彼にすればそれによってルートヴィッヒが尻餅でもつくと思ったのだろうが、生憎鍛えているルートヴィッヒはたたらを踏むことすらしなかった。
「何、お前だっせ」
「ビクともしてねえじゃんコイツ」
不動のルートヴィッヒを唖然と見上げた不良の一人は、仲間にからかわれて頭に血が上ったのか、うるせぇよ!見てろ、などと声をあげながら、拳を握りルートヴィッヒに向かって突き出した。
しかしそれもまたルートヴィッヒの片手に簡単に遮られてしまう。
「あ?何こいつ、マジうぜぇな」
「ヨユーシャクシャクですってか?バカにしてんのか?」
「いいよ、三人でやっちまおうぜ」
からかい半分だった目の色を変え、三人が迫ってきたのにルートヴィッヒは小さく溜息を零した。
運動部に所属するルートヴィッヒに、喧嘩沙汰はご法度である。
それが例え向こうから絡んできた不良を撃退する、という理由であっても、手を挙げれば同罪だ。
ならば避ける、逃げるの選択肢しかないわけだが、相手が多勢であるため、いくらルートヴィッヒでも避け続けることは至難だ。
また、避け続けることで相手はより激昂し、最終的に当初の予定より過激な暴行を与えない限り満足しないだろう。
では、逃げるか?それはルートヴィッヒの選択肢にはそもそも在りえない。
敵に背を向け逃走することはルートヴィッヒの自尊心が許さなかった。
故にルートヴィッヒは溜息を零した。
そして、これから降りかかるであろう痛みに耐えるため、奥歯を硬く噛み締めた、その時。
「うぐぁ!!!」
くぐもった声をあげながら、不良の一人が地面に倒れた。
何事かと、不良の仲間とルートヴィッヒが彼を見れば、彼は顔面に分厚い雑誌をめり込ませて悶絶していた。
「…おめぇら…ルートヴィッヒに何しようとしてたワケ?」
低い声と同時にルートヴィッヒの背後からぬっと一つの人影が姿を現した。
「…兄さん!」
そう、ギルベルト・バイルシュミットである。
「あ、何なの、お前いきな…」
残された不良の一人が、ギルベルトに食って掛かろうとしたが、その言葉は無残にも途中からぐしゃりという鈍い音に変わった。
真っ直ぐ伸びたギルベルトの右拳が彼の鼻を砕いたのだ。
「兄さんっ!!」
ようやく事の展開を理解したルートヴィッヒが慌ててギルベルトを止めに入った頃には既に残された一人からも戦意は喪失し、顔面を抑えてのた打ち回る二人とギルベルトを交互に見ながらじりじりと後退していた。
「お、お前…その赤い目…近頃噂の…」
「ああ?何?お前も、一発喰らいたいのか?おい」
一歩、ルートヴィッヒの遮る手を軽くいなして、ギルベルトが震える不良に近づく。
その耳元で囁くように言った。
「それ以上はお口にチャック、な?それとも、喋れないようにして貰いてぇ?聞いてるんだろ?俺の噂…」
くっと喉で笑ってみせれば、不良は面白いくらいに肩をびくりと跳ね上げた。
「噂どおりの展開にして欲しくないんなら、何をすべきか、わかるよな?」
横目で、見据える。不良は、怯えた目を、それでも反らせず、ただその紅い瞳を見つめた。
顔を抑えていた二人も、地面に這いつくばったまま、痛みも忘れたかのようにギルベルトの言葉を聞いた。
聞かざるを得ない、三人は完全にギルベルトの放つ空気に圧倒されていた。
「アイツには、二度と近づくな。今後、一切。少しでも近づけば…」
ゴクリと三人が息を飲んだ瞬間
「バァン!!!!!!」
路地中に響くような大声でギルベルトは叫んだ。
その声に飛び上がった三人は、そのままの勢いで叫びながら走り出し、瞬く間にルートヴィッヒの視界から姿を消した。
「兄さん、あいつらに何を言ったんだ?」
腰を屈めて最初に不良に投げつけた雑誌を拾っているギルベルトの背中に、何が起きたのかよくわからないままのルートヴィッヒが声をかけると、ギルベルトは先ほどの殺気とも呼ぶべき空気など微塵も感じさせない悪戯っぽい笑顔でにっと笑って振り返った。
「はっ、ちょっと脅かしただけだよ!ああいうのは肝はちいせえからなー見たかよあの逃げっぷり!爆笑だぜー」
ははは!と高らかに笑う兄の姿に、ルートヴィッヒは脱力しつつも、ギルベルトの手から雑誌を取り上げ、空いた手を掴とまじまじと観察した。
「な、なんだよルッツ…」
ルートヴィッヒは、ギルベルトの手をじっと見つめたり、やわやわと握りこんだり、間接を一つ一つ指で辿ったりした挙句、よし、と満足げに笑った。
「どこも異常は無いようだな、良かった」
「あ、あったりまえだっつーの!!!へーきへーき!っていうか別に手に怪我くらいしても問題ねーし!」
「良くないだろう」
「え?」
ギルベルトの手に落としていた視線を、真っ直ぐギルベルトの瞳にあわせ、ルートヴィッヒは言った。
「兄さんの手は、楽器を扱う手だ。繊細な手なんだ。怪我なんて、して欲しくない…」
「ルー、ト、ヴィッヒ…」
「もう、こんなことはしないで欲しい。兄さんの手は、美しい音を奏でる手であって、人を傷つける手じゃあないんだから」
大事にしてくれ、と呟きながら、優しく己の掌を撫でるルートヴィッヒの掌の温かさを感じながら、ギルベルトは泣きたいような気持ちを抑えるので精一杯だった。
己の手なんて、砕けても構わない。二度とフルートが吹けなくなったって、構わないのに。
そんなことよりも、ルートヴィッヒの方が大事なのだ。
幼い頃生き別れ、今ようやく再会できた大事な大事な弟。お前以上に大事なものなんて無いから。
だからギルベルトは部活を辞めた。長い間続けていた、毎日練習を欠かさなかったフルートを捨てた。
ルートヴィッヒが初めて不良に絡まれて、砂に塗れ、血を流して帰ってきたその日に。
ルートヴィッヒを守るため、彼より先に帰宅し、彼が家に辿りつくまでを一望できるマンションの屋上から見守り、不良に絡まれるようなことがあればダッシュで駆けつける。
ならば部活などやっている時間は無かったし、ルートヴィッヒを守るためならば暴力を辞さないからには、部活を続けていればいずれ部に迷惑をかける。
だからギルベルトは迷わず部を辞めた。躊躇いなど微塵もなかった。
なのに。
「…ばっか、いいんだよ、そんなのより…」