愛すべき策謀家どの
やっぱりそうだったのかとシュラが視線を泳がせる一方で、雪男は説明を続ける。
「だから僕はシュラさんの直属の部下だと自己紹介して、お困りのようでしたら、僕がシュラさんを引き取りに行って家まで運びますと提案しました」
まるでシュラは荷物のようである。まあ、酔いつぶれてる状態なら荷物と変わりないかもしれない。それも運びづらい厄介な荷物だ。
「電話に出られた女性の方はその提案を受け入れられたので、僕はシュラさんたちがいるという居酒屋まで行きました」
女友達が雪男の提案を喜んで受け入れた姿が眼の裏に浮かんだ。
「居酒屋でシュラさんを引き取るとき、女性の方が申し訳なさそうにされていたので、僕は、いつものことですから慣れてますと、笑顔で言っておきましたよ」
きっとそれは、あの、さわやかな笑顔だったに違いない。
それにしても。
アタシって、とシュラが思いかけたとき、雪男が問う。
「シュラさんは本当に忍びの者なんですか?」
シュラが思っていることを読んだような台詞だ。
「その外見がまったく忍んでいないのは置いておくとして、ついさっきまで、あなたは自分の部屋に帰ってきていることも、話している相手が僕であることにも、気づいていませんでしたよね?」
ううううう、とシュラは胸のうちでうなる。
雪男の指摘したことは、そのとおりで、恥ずかしい事実だ。
「忍びの者としてどうなんですか? というか、忍びの者でも祓魔師でもない一般女性であっても問題があると思いますよ」
返す言葉がひとつも見つかりません。
シュラは雪男の視線を避けるように顔をそむけた。
「シュラさん」
雪男の声が少し重くなった。
「酔いつぶれたあと眼がさめたら、恋人ではない男性と一緒のベッドにいたということは?」
「ない!」
シュラは雪男のほうをバッと向き、即答した。
「それは一回もない」
ただし、眼がさめたら一升瓶をかかえてゴミ捨て場にいたことはある。もちろん、そんなことは今ここで言うべきではない。
雪男は無言でメガネの向こうの眼で探るようにシュラを見た。
「本当にないんだ」
なにアタシ一生懸命否定してるんだろう、とシュラは思った。
だいたい、呑みすぎて失敗したことは何回もあるが、本格的にヤバい状況になったことはない。
「合コンに行ったそうですね」
雪男がいきなり話を変えた。
なぜだかシュラはギクッとする。それを表情に出さないようにして、平静を装いつつ答える。
「ああ、行った」
それがどうした、と言外に匂わせた。
否定しようにも、さっきまで相手が雪男だと気づかずに今日の合コンについてべらべら喋っていた記憶がある。
強気な態度を見せてはいるが、内心、気まずい。
ずっとまえならこんな気分にならなかっただろうが、今は雪男の告白を聞いたあとだ。
あの告白について、雪男は取り消していない。
しかし、特に迫ってくることもない。
雪男は長期戦にすることにしたと言っていたが、それにしても、あれから今までなにもなさすぎた。
だから、気が変わったのかもしれないと期待していたし、油断していた。
その油断が命取りになったのかもしれない。
もしかすると、今、ちょっとヤバい状況なのかもしれない。
「彼氏がほしいんですか?」
「う」
ああ、と堂々と返事すれば良かったのにシュラの口から出て行ったのは気まずさ全開の妙な声だった。
なぜ気まずさを隠せない。平然として余裕のある態度でいたいのに。
酔っているとはいえ、くノ一として大丈夫なのか?
「じゃあ」
雪男が妙に気合の入った表情でシュラを見据える。
「僕をシュラさんの彼氏にしてください」
きっぱりと言ったあとに、雪男は自分の言った台詞が恥ずかしくなったように眼をそらし、視線を斜め下に落とした。その顔が少し赤く染まっているように見える。
シュラは大きな眼をさらに大きく開いた。
いつもの雪男は高校生とは思えない落ち着きで、頭が良くて策謀家、論理的にたたみかけてこられると小憎らしく感じるぐらいなのに、なんだ今のこの状態は……!
怖っ、とシュラは思った。十代の純情、怖い……!
胸の中のものをガツンと殴られたうえで、大きく揺さぶられた気分だ。
これがギャップ萌えというヤツなのか。
いやいや、自分は雪男に萌えてなんかいない!
思ったことを、シュラはあわてて取り消す。
胸のうちは、すっかり動揺している。
落ち着け、とシュラは自分に言い聞かせる。
年上の直属の上司がこれではいけない!
冷静に考えろ。
胸のうちの揺れを静めてから、シュラは口を開く。
「なんでアタシなんだ?」
良かった。落ち着いた声が出た。
「年上のお姉さんへの憧れってカンジか?」
告白されるまで自分に対する雪男の気持ちにぜんぜん気づかなかった。いつからなんだ、と思う。どれだけ思い出してみても、あれ以前に雪男がそれらしき態度を見せたことがない。
それに、それ以上に、なぜ雪男が自分を好きになったのか、理由がわからない。
からかったり、年上として理不尽な要求を押しつけたり、酔って醜態さらしたりしてきたのに。
過去の記憶の中に、雪男がシュラに対して恋心を抱く要素が見当たらない。
どこが良かったんだ?
自分でそれ言うか的なことを思う。
雪男は杜山しえみみたいな可憐な少女がタイプなのかと思っていた。しえみとシュラは真逆と言っていいぐらいタイプが違う。
だが、もし共通点があるとすれば……。
「あ! おまえ、胸のデカい女がいいのか!」
胸の大きさではシュラはしえみを上回る。判断基準が胸の大きさオンリーなら、シュラを選ぶだろう。
「違います」
雪男は強い調子で否定した。すっかり落ち着きを取りもどしているようだ。
冷静な眼がシュラの顔に向けられた。
「女性の胸の大きさにはそれほどこだわっていません。それから、あなたは憧れられる年上のお姉さんというタイプですか?」
「えっ……と、その」
問いかけられて考えて、うん、違うな、と結論を出した。
「……じゃあ、リードしてほしいから、とかか?」
雪男はすぐには返事せず、黙った。
少ししてから、その口が開かれた。
「居酒屋であなたと一緒にいたのは長い付き合いのご友人だそうですね」
「ああ」
「僕のあなたへの態度になにかを察したのでしょう。ご友人は僕に言いました。シュラは付き合った経験がそれなりにあるけど、だれとも長続きしていない。だから、年上だからって、リードすることを求めないであげてね、って」
「な、なっ……!」
なんということをバラしてくれたのだ!
シュラは動揺し、それを隠せない。なにしろ、女友達が雪男に言ったのは事実だ。数はあっても、短く終わった経験しかない。
「そうだろうと予想はしてました」
「え」
「シュラさんは僕と同年代の男女が仲良くしているのをうらやましそうに見ているときがありますね。そんなとき、懐かしむという感じではなくて、自分ができなかったことに対する憧れを感じるんです。シュラさん、学生らしい恋愛をしたことがないでしょう?」
「……アタシは普通の学生だったときがないんだよ」
「熱海サンライズビーチで僕があなたに日焼け止めを塗ることを命じられたとき、いざ僕があなたに日焼け止めを塗ろうとしたら、あなたは僕を止めましたね」