【ジンユノ】花びら一枚の記憶
「いいのよ。誰が信じなくても、貴方自身が信じていれば。だって、ジンはそれが真実起きたことで、過去に実際出逢った人なんだと、そう感じるのでしょう? だったら、その自分の感覚を信じて素直に受け止めてやれば、それでいいのよ」
伸ばした手を引いて、改めて僕の向かいに座り直しながら母が言う。
「――幻かもしれない事を鵜呑みにするなんて、おかしくない?」
「構いやしないわ。それで誰に迷惑がかかる訳でもないし。それにね、繰り返す夢に意味がないと、そう思う方が残念じゃない? 夢は潜在意識からのメッセージよ。それが前世の記憶なら、なおさら夢見ることには意味があるのじゃないのかしらね」
「――夢を見る意味……?」
「そう。ちっちゃな頃のジンくんは、夢を見た直後、何度となくその女の子に逢おうとしてたわよ。ねぇ、それが超古代の先史文明のものだろうが、宇宙の彼方のどこかのものだろうが、別宇宙の世界のものだろうが、ホントはどうでもいいのよ。今の命に生まれる以前に生きたどこかの世界で、ジンはその子と知り合いだった。普通なら全部忘れてるはずの前の人生なのに、例え一部だけでも覚えてて夢に見るなんてすごい事よ。……きっと、その女の子は前世の貴方にとってすごく特別な存在だったのね。忘れたくない、忘れられない、そんな風な、ね」
(忘れられない、特別な存在……?)
母にくしゃくしゃにされた髪を手櫛で元通り撫でつけるふりをしながら、僕はその言葉を反芻する。
特別な存在。そうかもしれない。だから、こんなに気になるのかもしれない。だけど、どうして特別なのか、忘れられないでいるのか、記憶はあの一場面のみで肝心の理由は判らないのに、消えてしまっているのに、それでも意味があるんだろうか。
「ジンは、その子に逢うために生まれてきたのかもしれないわね」
「逢う、為に……?」
いや。実際に逢おうと思ったのだ。何も判っていない子供の頃は。あの女の子が実在すると信じて、だからこそ会えるのだと疑いもせず。でも今は。
「――無理でしょ。だって、それが過去でも宇宙の彼方でも、結局あの女の子が今僕がいるこの現代世界にいる訳じゃない。彼女も生まれ変わって、現代で生きてる……なら……とも、かく……」
いや。自分で言いながら気付いた。僕が本当に記憶の誰かの生まれ変わりなら。
あの女の子だって、ひょっとして。
「生まれ変わって、この世界のどこかにいるかもしれないじゃない」
僕の代わりに母が肯定する。
「……あの子も生まれ変わって……? いや、けど、だとしても、どうやって探せばいい? 手掛かりなんか全然ないんだ、生まれ変わりなら、容姿だって変わってるかもだし、判りっこない。せめてもっと記憶があれば――それとも、あの子も僕を覚えててくれたりするのなら……」
――でも、そんな都合よく行く訳ない。例えば僕があの女の子を忘れたくなくて覚えていたのだとして、だからってあの子も同じ気持ちでいたとか、それこそ手前勝手な幻想だ。
「それは残念ながら判らないわね。言い出しておいてなんだけど、生まれ変わってるかどうかも、探す術も、その子かどうか確かめる術さえも、本当には判らないわ。それでも、ジン、きっと貴方はその女の子のために、生まれる前の記憶の欠片を持っているんだと思うわ」
「逢えるかどうかも判らない子のために?」
「自分の中に眠る想いを信じなさい。その女の子にもしも逢えたなら、貴方にはきっとそうだと判るわ。母さんが、お兄ちゃんたちを身籠ったときみたいに、きっと。――いえ、例えそうと判らなくてもね、貴方はいずれきっと出逢う。貴方にとっての特別な存在に。その時に、貴方のその夢の記憶は意味を為す筈よ」
「判らないよ。こんな前後も判らない中途半端な記憶なのに、どうして……どうしてそんな事が言えるのさ!」
逢おうとしてその術もなく立ちすくんだ小さな頃のように、焦燥感と苛立ちが渦を巻く。特別な存在、忘れたくない存在、その言葉に煽られるように、僕の中で何かが必死に暴れ狂う。あの子に逢うために生まれたと、そういうのなら、どうして僕にはそれを知る術さえない――?
「ホントにそうなら、もっと色々思い出せてもいいじゃないか。もっと明確にたくさんの記憶があれば手掛かりも得られるかもしれないのに、どうあがいてもなにも出てこないんだ。もし仮に、あの子が転生してるとして、彼女の方にも何か少しでも前世の記憶があったとすれば、その記憶と照合すればそうかどうか確認できるかもしれない。覚えてくれてなくても、彼女の癖とか性格とか、何でもいい、あの子に関する記憶がありさえずれば、逢った時にこの子がそうだと判るかもしれない。だのに手掛かりになりそうな事は何一つ思い出せない。本当に必要があって覚えてるのなら、もっとちゃんと、全部思い出せないのは何でなんだよっ」
八つ当たり気味に、僕はリビングテーブルに両手をついた。かちゃんと紅茶のカップがソーサとの間で音立てて揺れる。
「要らないからじゃないかしら」
しかし母は、それに怯えるでも怒るでもなく平然と、受け身で躱すように何気なく受け流してそう言った。勢いをあっさり殺がれた僕は拍子抜けして、憤った気持ちがどこかへ霧散する。
「……え。だ、だってそれじゃ確認のしようもない……」
「そんなもの要らないの。ねぇ、考えてみて。そもそも夢の女の子に逢えたとして、あなたは一体どうしたい? どうしてその子に逢いたいの? ただ理由もなく逢いたいだけなの?」
「理由――?」
逢いたい理由。気になり続けている理由。
作品名:【ジンユノ】花びら一枚の記憶 作家名:SORA