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【ジンユノ】花びら一枚の記憶

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 だがこれが事実起こったリアルな記憶に基づいた夢なんだとして。
 そもそもそれは、じゃあ一体いつの出来事なんだろうか。


 というのも、女の子は小柄で、背丈だけなら今の僕と同等の、小学校の高学年くらいにも思えたけれど、よくよく観察すると、どこかしらそれよりもっと大人びた印象を受けるのだ。中学生のお姉さん、そんな感じ。多分、そのくらい。そして彼女を抱えた僕自身、身体の大きさから考えても、多分それ以上の年なんだろうと推測される。つまり、夢を見ている子供の僕よりずっと大人かそれに近いと言う事になる。だったら今の僕の過去の記憶であるわけがない。

 ではこれは過去ではなく未来なんだろうか。今度はそう考えてみる。
 未来の記憶、つまり予知夢と言うやつだ。彼女を知っている、と過去完了形の感覚は、未来のデジャビュと捉えれば理由付けができなくもない。
 だとすれば、現代にはあり得なさげな未来的な状況にしても、僕自身の年齢にしても、とりあえず納得のいく説明にはなる。
 しかしだとしたら、つまり僕には予知能力でも備わってると、そういう事になる。超能力とか非科学的ではあるけれど、とりあえずそれには目を瞑りそういうものがあると仮定して、だけど僕はそんな予知など今まで一度もした事がない。あの夢以外でそれっぽいのを見た事もなければ、当てた事もない。あの夢だって、未来だとしてそれが本当に起きる、つまり予知したと言い切れるのか、そんな事さえ判らないし知りようもないのだ。
 未来予知。正直、そんな能力が備わってるとか実感も湧かないし、他の事象に説明がつくとしても、やっぱり感覚的にピンとこない。

 それにやはり僕は、あれはむしろ未来じゃなく過去である気がしてしょうがない。
 何故って未来なら変えられるけれど、過去はどうあがいても変えられない。変わらない。何度繰り返し見ても寸分たがわぬあの夢と同じに。

 あの夢には、悔いが付いて回るのだ。泣かせてしまった。哀しませてしまった。僕が一番望まなかった、そういう事態を齎した。理由は判らない。何故、どうして彼女を泣かせてしまったのか、そうなったいきさつも一切分からないし思い出せもしないのに、泣かせたと言う事実だけがどうしようもなく僕を苛む。
 後悔は過去の産物だ。だからこそ、僕はこれが過去なのだと推測する。
 ただ、あれが過去なら。
 夢見てる今の自分より、成長した姿でいるのはおかしい。ありえない。矛盾する。
 だけどその矛盾を打破出来る理由は既に見つけている。もうひとつの可能性。

 過去夢。この場合は、自身の体験によるそれじゃなく、俗に前世と呼ばれるもの、それの追体験。
 まぁ、生まれ変わりだの転生だの言うそれが、眉唾物な話なのは超能力と同等ではあるけれど、聞かない話じゃない。仏教的な思想としても、輪廻転生はあるとされる。だったらその過去の記憶の一部が微かに残って蘇っているのかもしれない。真偽のほどは置いておいて、転生前の記憶があると言う人の存在は幾人か記録にも出てくる。
 もし僕の夢が、過去に生きた、今生まれるより以前の僕の記憶なのなら、当時の僕が今の僕より大人であっても別におかしくはない。
 しかし今度は、あのSF紛いの装置の状況が説明つかない。現代技術でも怪しいような何ともしれぬ操縦席を擁する機械。そんなもの、今より過去にあったのだとか、考えにくい。


 結局思考は矛盾に陥る。あれは事実起きたことで、何時のものかはともかく明確な記憶なのだと自身の感覚は訴えるけれど、論理的に考えれば説明がつかない。
 そういえば、夢の中の言語もそうだ。会話はほとんどないし、聞こえるのはあの女の子が泣きながら訴える声と、あと、通信らしい他の数人の声。そのどれにも、言葉としての聞き覚えがない。日本語じゃないし、どうも英語でもなさそうだ。いくつかの言語を、ネットにアップされた海外動画などを駆使して聴き比べてみたが、耳触りにせよ単語にせよ、これという言語を見つけられていない。勿論、世界中に散らばる言語は無数にあるだろうし、単に僕が調べていないものなだけかもしれない、でも、とりあえずあまり普遍的ではない知らない言葉だ。
 過去にせよ、未来にせよ、本当にこの言葉はあるんだろうか。
 不意にそこから疑問が湧く。
 だが、意味は判るのだ。少なくとも、夢の僕が意識を向けている女の子の言ってる事は判る。言葉としては知らないけれど、頭の中で意味を為す。これは多分、夢の僕はこの言葉を知って使っていて、それにシンクロすることで僕にも意味が判ってるのだと、そう言う事じゃないのかと思う。
 でもそれが自分の想像だからではと、疑ってしまうと反論ができない。

 それともやっぱり兄達の言うように、あの女の子の夢はどこまでもただの夢で、僕の見聞きしたものから作り上げた幻でしかなく、知っていたはずというその掴みどころのない記憶めいたもの、それ自体さえ、脳が作りだした錯覚なんだろうか。

 ただただ夢見た感覚だけを信じ切れた幼少期と違い、成長に伴い様々に考え、分析するようになっていけばいくほど、疑念は大きくなる。矛盾だらけで信憑性も薄い夢についてなど、誰に相談する事もままならない。夢はただの夢ではないか。抱え込んだ矛盾に思考を費やす事に疲れて、時として、諦観にも似た感覚に僕は押し流されそうになる。もう気にしない方が、忘れた方がいいのじゃないのか。だが、疑う端から夢の回数は増え、その感覚の鮮明さにまた確信が甦る。繰り返すうちいつしか僕は、初等部を卒業しようとしていた。来月からは、兄達と同じ中等部だ。