【ジンユノ】花びら一枚の記憶
自宅まで戻るとその足で、父は名残惜しみながら仕事へ行った。僕の卒業式に出席する為だけに半休を取っていたらしい。たかが小学校の卒業式で、しっかりビデオカメラまで回してたとか、なんと言う親馬鹿。でも兄達の時も確かそうだったそう言えば。
普段仕事の鬼で、残業とかも当たり前な忙しい人のイメージがある割に、僕らの父は子供の行事に鬱陶しいくらいに顔を出す。小さい頃は素直に喜ばしかったんだけど、そろそろ子離れしてもいいんじゃないか? ま、今はまだ、他にも父親が来てる姿もみたけど、これが中学、高校となるとどうだろうか? すぐに中学の入学式だけど、絶対来るだろうあれは。というか車中で入学式の日も休みをねじ込んだとか言ってなかったか確か。もう来る気満々だ。
兄達の時も律儀に出てるから、僕のだけ出るなと言っても聞きゃしないだろうけど、もう子供じゃないんだから、ひとりだって平気な位なのに。
ことにうちの父は、ここぞとばかり張り切って、普段の厳粛な顔はどうしたと言いたくもなる妙なテンションを見せるから恥ずかしくもなる。頼むから、大の大人が感極まって涙ぐむとかだけはもうナシにして欲しい。他人のふりをしたくなる。
兄達は今日はまだ学校で二人とも不在だった。
家に入って母と二人きりになっても、なんとなく顔を合わせ辛く、帰るなり二階の自室に引きこもったのだが、悶々と考え込んでしまうばかりでゲームとかもする気になれない。夢の女の子の事ばかりでなく、無視するみたいに母さんに背を向けたせいで、傷付いたような顔させてしまった事も気になる。そっちだけでもやっぱり謝っておこうと部屋を出たところで、タイミング良く階段下から顔を覗かせていた母にかちあった。
「お茶を入れたの。おやつにしない? そっち、持って行きましょうか?」
「いいよ、僕が行く」
階段を下りて居間へ入ると、母が紅茶とケーキを持ってやってきた。
ソファに座る僕の前にそれを置いて、自分の分も対面側に置くと、僕に向き合う形で母も座る。
「ジンくん、さっきはごめんね。揶揄うつもりじゃなかったんだけど、余計な事言っちゃった?」
先に謝られてしまった。別に、母に対して怒ってる訳じゃなかったんだが。
「あ、いや、そういう訳じゃ……僕の方こそ、ごめん……」
もそもそと謝ると、途端ににっこり機嫌が良くなる。
「ジンはいい子ね」
そう言って、頭を撫でられた。この人、僕の事いくつだと思ってるんだろ。来月から中学生なんですけど。
そう思いつつも、手を払う気になれないのが、母さんのすごいところなのかもしれない。
「でもね、正直に言うとね、すごーく気になるの。だって、お兄ちゃん達と違って、ジンはうちにあんまり友達も連れてこないし、話もしないじゃない。ドライっていうか、昔からよね。ま、遊び相手はお兄ちゃん達の方が身近だったろうし、お兄ちゃんの友達とも付き合いあるし、心配してる訳じゃないんだけど、ジンだけの友達の事は、母さん達、ほとんど知らないんですもの。そこにもってきて、友達どころか女の子の話でしょ。だから余計気になっちゃって。ジンくんのお眼鏡に適うような女の子って、どんなだろうって。やっぱり知的な子なのかしら。それとも明るく活発なタイプ?」
結局めげずに好奇心いっぱいに訊いてくる。気のせいか、目が輝いてる。
「だからそんなんじゃないって。第一――夢、だし」
「夢?」
きょとん、と身体を乗り出したまま目を丸くする母の顔を見て、僕はしまったと思った。夢の話なんか、他者に理解される訳もないんだから、もう絶対人に話さないでいようと、そう思っていたのに。
「……なんでもないよ」
「何でもないって顔じゃないわよ? それとも人に聞かれたくない悪いこと?」
しまった、というのがもろに顔に出ていたらしい。それでなくても、母に隠し事を貫き通すのは、とてもとても難しいのだ。抜けてるようで察しがいいし、問いただされる代わりにじっとこちらを見て話しだすのを待ってくる。黙ったままでいると、哀しそうな顔つきになる。ほら今も。そして僕ら家族は一様に、母のこの「待ってます」攻撃に弱い。
この時の僕も例にもれず、結局根負けした。
「別に隠し事とかってわけじゃないし、悪い事してる訳じゃないから安心してよ。ただその、よく見る夢があって。その――夢に出てくるんだ、女の子が」
「夢の女の子? その子が、ひょっとしてジンが気になる子?」
話しながら自分で馬鹿みたいだと、そう思った。夢に出てくる女の子が現実のようで気になる、なんて、きっと笑われるだけ。そう思うと、自分から否定したくなる。
「だから……気になるとか、そんなんじゃないって何度も……っ」
吐き捨てるようにそういうのを気にも留めず、母は少し考えるように首を傾げて言った。
「その夢って、ひょっとするとジンがちっちゃい時に時々言ってたのと同じだったりするのかしら? 覚えてないかもだけど、ふたつかみっつくらいの時かな、起きぬけによく泣きだして、「あの子が泣いてるー」って。僕行かなきゃあって玄関先飛び出しては、どこに行きたかったのやら立ち往生して泣いてたり……」
吃驚した。覚えてたのか。というより、そのうんと昔の話を、今の僕の話に繋げる発想に驚いた。僕は自分の事だから当たり前のようにそれが同じ事実を指すと判るけど、打ち明けてる情報量の少なさからして普通は繋がらないと思うんだが。流石というか、母親の勘、みたいなものがあるのだろうか。
作品名:【ジンユノ】花びら一枚の記憶 作家名:SORA