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今吉探偵と伊月助手の華麗なる冒険。前篇。

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障子の向こうの暗闇には、戦慄っとするくらいうつくしく磨き上げられた包丁が転がってあった。
「仕込んどったん誉めてー。」
ぱちぱちと薙刀を折りたたんでいくひとは随分と楽しげだが。
「それで荷物重いんですよ、ばーか。」
あといれないってゆったのにいれたので誉めるのはなしです、とのそのそともう一つの布団を捲ってそのまま猫のように布団の中に丸くなって眠ってしまった。今吉は誰かがいたらしい空間を睨みつけながら、布団の内側に仕込んであった防弾シートや布団の端から柄がはみ出た十徳ナイフの回収を始めた。
障子と蚊帳の破損はとりあえず当たり障りなく取り繕って、朝は、足元がぬかるんでいた。疑問に思って空を見上げると、後ろから声がかかった。
「この村は山間にあるから、朝早くは靄がかかって地面が湿るんだ。」
丁度、十に差し掛かるかの少年の声に伊月は振り返り、おはよう、と笑う。
「おはよう、つきちゃん。俺の姉ちゃん見つけに来てくれたんだって聞いた。」
「うん。俺は助手だけどね。翔一さんはさっきから電話。こっちに来るはずだったもう一人が、トンネルの一部が破損してたとかで遅れそう。」
「もう一人?」
「うん、頼りになるんだけど凄い殴りたいひと。」
なにそれっ、と少年が笑ったので、伊月も笑っておいた。なんだか朝の空気が重い。また今日も始まってしまった、また誰か消えるのかも知れない、そんな不安に朝の空気がどこかこれも陰鬱だ。本格的に動き出すのは昼になるかもしれない。少年と話しながら、伊月はそんな事を考える。庭の片隅の井戸では女中が水を汲んでいる。
今日は村はずれに住む神隠しに遭った少女の唯一の肉親に会いに行くこころ積りであるのだが果たして。
「あっかんわー。まこっちゃん無理。」
後ろ頭を掻きながら今吉が電話の近い勝手口から出てきた。
「なんです?」
「なんや、前にも一回トンネルの中でおかしい事あったとか無かったとかで、そしたら今度は乗客が、トンネルの一部が崩れとるん見つけてな。ほれ、駐屯のお巡りや。で、暫くはこの線は休ませるらしいわ。」
「え、じゃあ俺たち帰れないんじゃ・・・。」
「そん時はそん時やな。復旧は急がせるけど利用者も少ないさかいなー。ってのがお上の判断や。」
ほな行こか、と中折れ帽を被った今吉は少年を見、伊月を見る。
「ね、姉ちゃん見つけて・・・ください。」
「お、まかしときや、少年。」
「君も気を付けて。」
日が昇るにつれて地面は乾いていき、今吉の足元もからんころんと下駄の音が軽くなる。革靴が泥を跳ね上げる心配もなくなったころに、あちこちから声をかけられつつ、やっとはずれの家まで来た。
「月ちゃん、しんどかったら言いや?」
「大丈夫です。まだ行けます。」
「月ちゃんのそういうまこっちゃんとは違うてズル出来へん所が好きや。」
「花宮さんの狡いところが好きなんですか。」
「まこっちゃんはからかい甲斐あるやろ。」
「俺をからかっても面白くないですか。」
「からかわれたいん?」
「本気が良いです。」
「ならワシの嫁になれ。」
「その切り返しは読めんかったです。」
「ヨメだけに。」
とまあ、こんな不毛な会話をしながらだ。これだけで二人の日常が垣間見えるというものだ。背戸すら上がっていないちいさな家の前に来て、どうしましょう、と視線で窺った伊月は唇を食われた。ぎゃあっばちーんなんて悲鳴と見事な平手の音に、引き戸ががたりと揺れた。
「あ。」
がたん、がたり、と揺れた引き戸がゆっくり開かれる。どうやら最初の揺れはつっかえ棒を外したのだろう、老婆は落ち窪んだ目元で二人を見やり、頷くように頭を下げた。
「あの、いいですか!お孫さんのことで!」
「ああ、聞いてある。・・・話すことは無い・・・あの子は死んだ。」
色の無い声で、老婆は告げた。
「え、待って、待ってください!そんな・・・っ!」
「・・・お前さん、おのこか。綺麗な子は狙われやすい。早くお帰り。」
閉まりかけた扉に革靴を挟み込んで堪えさせた伊月のうつくしい顔に、柔らかな、優しい吐息が掛かる。扉の動きに眉を寄せた彼の、美しい黒髪を皺だらけの痩せ細った手が撫ぜる。
「おばあ、さん?」
「あの子は死んだ。」
死んでしまった、とか細く続ける老婆は、目元を眇めてしっかり伊月の輪郭をとらえて、頬を慈しむように撫ぜて、唇を震わせる。彼女はどれほど泣いたのだろう、唯一の肉親がなんに前触れもなく消えて、それを受け入れられずに泣き、喉が潰れるほど叫び、呼んだだろう。ぼろりと大きな雫が伊月の眼から落ちた。
「月ちゃん。」
「なん・・・翔一、さん・・・。」
「ヒトが飲まず食わずで生きれる期間はどれくらいや。」
「え・・・水だけなら三か月は・・・!ッまさ、か。」
伊月はそこで言葉を無くす。最初に隠された女中の子供は半年前に、その直後にここの孫娘。年はいずれも十。伊月が持っている、『ヒトが水だけで生きられる期間』は成人男性のデータだ。つまり、十歳そこらの娘が、今吉の言うとおりに飲まず食わずだったとしたら、それはもう。
「・・・すいません、でした。」
そっと足を外して、頭を下げる。なんて酷いことをした。
「月ちゃん、ええ子。・・・なあ、おばあちゃん?その子がおらんなった状況だけでも教えてもらえるやろか?」
「・・・朝に家を出た。そのままいなくなった。」
「その日は晴れとった?」
「いい天気じゃった。」
「おおきに。」
「・・・見つけます。」
ぽつり、呟いた声はきっと、扉が閉まる音でかき消されたけれど、確かに彼はそう、決意したのだ。この瞬間に。本気で。
伊月俊は元々が優しい男だ。女系家族の中で育ったそれもあるだろう、厳しい曾祖父があったことも要因だろう。生き続ける限り、人間は何かと無関係ではいられない。学部は違うが同輩や後輩と籠球をして心身共に鍛練も欠かさない、イーグルアイを持つゆえに周囲を気に掛ける以外の選択肢がない。時には都合のいい友人であったりもしたことはある。恋人の座を欲しがる女も多い。殴り合える親友もある。今吉探偵事務所で働き始めて得たことは多いけれど、結局は雑務を多く請け負っただけの存在だ。
「翔一さん、行きますよ。」
先ほど思いっきり相手の頬を引っ叩いた手でその手を引いて。
「見つけますよ、子供たち!」
真夏の真っ青な空の下、黒い学生服を着崩せる器用さは持ち合わせていないけれど、きらきらと天使の輪色に輝く黒髪を靡かせ、黒曜石のような瞳が、白い肌に痛いくらいに映えた。
「・・・なんや複雑・・・。」
「行きますよ!難題なんだい?知るかばか!威嚇だって如何くばかりだ!」
「ちょ、文脈掴めーへんって月ちゃん!待って!翔一さんおっちゃんやからついてけらん!!」
幾分か慌ただしくその手入れされていない庭を去って、その日の収穫は、すべての子供が晴れた日に遊びに行ったまま帰ってこなかった、という同一の情報を手に入れた。そして、性別を問わず、可愛らしい顔立ちをしていたこと。
「写真が手に入らんのは痛いけど、よう頑張ったな、月ちゃん。あとは女中さんの娘さんや。」