ライフゴーズオン
ハズムリズム
「お嬢様、流子様、お茶でございます」
昼下がり、鬼龍院邸では執事の揃三蔵がティーセットを手にしていた。注がれた紅茶に口をつけ、皐月が微笑んだ。
「こうして揃の入れた茶を、二人で飲みたいと思っていたのだ」
流子も最初こそ慣れない場に居心地悪そうにしていたものの、紅茶のおかげか穏やかな表情をしていた。
「初めて会った時には、お前とこうして時間を過ごすことなど予想もしていなかったな」
「そりゃあこっちの台詞だよ。まさか上から目線のお嬢様を姉さんと呼ぶ日が来るなんてさ」
初邂逅時とは程遠い声音で話す二人をガラス越しの陽光が照らす。
「この屋敷には住まないのか、流子」
「こんなガラの悪いのがしょっちゅう出入りしてたら外聞悪いだろ? お嬢様ってのにはなれっこないのは自分でよく知ってるよ。もし面倒見てくれるってんなら、あの家を建て直しちゃくれないか。あそこは、私にとって特別なんだ」
未だ焼け跡のままの纏邸。二人の父が死んだ場所であり、流子が鮮血と出会った場所でもある。
「なくなったものが戻ってくるなんて思わない。でも私は、やっぱりあそこから始めなきゃいけないんだ。父さんをわかろうとしないまま死なれて、何もわからないまま鮮血を着て、母さんと戦って、母さんも鮮血も失って。だったらもう一度スタート地点に戻る。今はもう父さんも鮮血もいない、母さんもいない。でも私には姉さんがいる。一緒に住んでなくたって私たちが姉妹なのは変わらねえ。だからまずは一人で立ってみるよ。学校に通えるくらいの金は父さんの残した特許で賄えるって美木杉の野郎が言ってたし」
「ほう、後見人の言葉なら確実だろう」
「好きでなってもらったわけじゃねえけどな」
苦虫を噛み潰したような顔で流子はそっぽを向いた。前夜に元ヌーディストビーチの二人と会った時のことを流子は思い出していた。
「ふ、あの人らしい去り際だ。そして黄長瀬氏は大学院生だったか。ふむ」
流子から美木杉・黄長瀬との別れの話を聞いた皐月は、少し考えて揃に視線を向けた。
「彼がどこの学生なのか調べて、先に手を打っておけ。美木杉さんと一緒に大阪へ向かったのであれば、宝多と手を組む可能性もないとは言えないからな。生命戦維が消滅した今であってもREVOCS社のシェアはまだ大きい。みすみすあやつに渡してやるほど私は親切ではない」
「はっ」
揃が右手を上げると今までそこにいたことも感じさせなかった部下が姿を現し、また消えるようにいなくなった。
「さて流子、父の遺産もあるだろうが、せめてお前が学生であるうちは援助させてくれないか。人生何が起きるかはわからん。たった二人の姉妹(かぞく)だ、姉らしいことの一つもさせてくれ」
「姉らしいこと、ねえ。援助してもらえんのはありがたい。でも、してほしいことは他にいくらでも出てくるかもしれない。考えとくよ」
「そうか」
姉妹が微笑みあった間に突如小さくて大きい影が割り込んできた。
「そうだ! 皐月様も一緒にデートすればいいんですよ!」
「マコ!?」
「満艦飾?」
どこからともなく現れたのは満艦飾マコであった。
「流子ちゃんとデートするって約束だったでしょ? 皐月様も一緒になって、三人でデートするんです。街をぶらついて、ウィンドウショッピングして、甘いもの食べて、とにかくいーっぱい楽しいことするんです。二人でも楽しいけど三人いたら、きっともっともーっと楽しいですよ!」
身振り手振りを交えたマコの演説が終わったころ、息を切らしたメイド長が部屋に入ってきた。
「申し訳ありません皐月お嬢様、ご学友を名乗る不審な少女が入ってきて突破されました」
「よいのだ、彼女は本能字学園の生徒で戦友だ。学友には違いない。満艦飾、次からは取り次ぐよう申し付けておく」
「えーっ本当ですかー? マコ皐月様のおうちに顔パスで入れちゃう? すっごーいすごいよ流子ちゃん」
はしゃぐマコを制止しながらも、流子はどこか楽しげな表情を浮かべていた。
「姉さん、してほしいこと今できたよ。マコの言う通り、三人でデートしようぜ。卒業式が終わったらさ、春休みに」
「しましょうしましょう」
キラキラした4つの目を前にした皐月は少し間をおいて頷いた。
「そうだな、デートか。悪くない」
微笑んだ皐月は揃へと目を向けた。
「揃、満艦飾にもお茶を出してやってくれ」
「ええ、先程」
少女三人が話をしている間にマコの分もお茶を用意していた揃は有能な執事であった。しかし彼は満艦飾マコという人間をまだまだ知らなかった。先程皐月が揃に目をやったその瞬間に、マコは目の前の紅茶のみならずアフタヌーンティーセットをすべて平らげていた。
「皐月様、紅茶もお茶菓子もおいしいですねえ。私ちょー幸せです。あ、執事さんお茶おかわりくださーい」
揃は困惑した様子も見せず一礼し、マコのカップに紅茶を注いだ。
「うふー、執事さんのお茶もすっごくおいしいけど、流子ちゃんと皐月様とデートなんて今から全然想像できないほど楽しみだよー。楽しみすぎてなんだかお腹すいてきちゃったよ」
「まだ食うのかお前!」
あきれ顔の流子が怒鳴ってもマコはどこ吹く風の様子で自分のお腹を叩いていた。
「いいではないか。揃、スコーンを焼いてもらってくれ。その間この子に何か菓子を」
「かしこまりました」
一礼した揃は部屋を退出した。これから厨房が忙しくなることは揃にも予想できていたが、皐月が年相応の表情を見せられる同世代の友人の存在は彼女が幼い頃から仕えてきた揃にとって僅かな寂しさと大きな喜びをもたらし、厨房へ向かう足取りはいつもよりも軽くなっていた。