♯ pre
3
ようやく灼熱の期間が過ぎ、けれどもまだ夏の吐息がうっすらと残っている季節になった。
安息の時間である夜、ハルカは外にいた。
今夜は祭が開催されている。
ハルカの家にマコトとナギサが訪ねてきて、ハルカを祭でにぎわいでいる街中へと連れだした。
そして、待ち合わせ場所でリンと合流した。
リンはハルカやマコトと同じ学校で初等教育を受けている。
周囲の者たちは家庭教師をリンにつけるつもりでいたらしいが、リンがハルカたちと同じ学校に行きたいと強硬に主張したそうだ。
リンは学校にすっかりなじんでいる。王族ということは関係なしに人気者となっている。よく笑い、自分の意見は堂々と言い、やや自分勝手に感じるときもあるが、他の者たちを精神的に引っ張っていく力がある。
それに、臨時で国語を教えていた若い女の先生が学校をやめていくとき、リンは真っ先に泣いた。そのあと、リン本人が自分はこういう場面に弱いと認めている。要するに泣き虫らしい。
待ち合わせ場所には、リン以外に、リンの妹のゴウと、その女友達と、姫君を守る用心棒らしき大柄な男がいた。
ゴウは学校に通っておらず、家に招いた教師に勉強を教わっている。
この街に来たばかりのころ、ゴウは王宮での経験のせいで気持ちが内向きになっていて、外に出ることに消極的になっていたらしい。
ゴウは兄と違って運動があまり得意ではなく、泳ぐこともできないようだ。
だから、ハルカたちはゴウと海や学校で会うことはないのだが、リンの家に行った際に何度か顔を合わせている。初めてゴウと会ったときは、兄がいつもお世話になっています、と丁寧に言われた。
そんなゴウだが、今ではすっかり積極的になっているらしく、家の外へといろいろ出かけたり、近所に住む歳の近い少女たちと友達になったりしているそうだ。
ゴウはハルカたちが近くまで来ると、ニコッと笑って、挨拶をした。
ゴウは美少女だ。それから、ハルカよりもひとつ年下だが、衣装の胸のあたりが女性らしい曲線を描いている。ゴウの女友達の胸のあたりもそうだ。
なんとなく複雑な気分になりながらもハルカは無言でうなずき、マコトとナギサは声に出して挨拶を返した。
ナギサはいつもの天真爛漫な様子で続ける。
「ゴウちゃん、可愛いね!」
祭ということでいつもよりも着飾っているゴウを褒めた。さらっと明るい調子だったので、深い意味が無いのは感じられた。
けれどもリンの切れ長の眼がすっと鋭くなった。ナギサに向けられた眼は警戒対象に向けるもののようだ。
少しして、音楽が聞こえてきた。その音が近づいてくる。
楽器を持った男たちが演奏しながら誇らしげに石畳の道を行進している。
彼らのあとを、たくさんのひとがついていく。道沿いに建ち並ぶ日干し煉瓦や焼成煉瓦や石作りの家、その高い階あるいは屋上から見下ろしている者たちもいる。
ハルカたちも彼らのあとについていく。
すごいひとの数だ。
まるで、さからえない流れの中にいるようだ。
いつのまにか、ハルカやゴウやその女友達の周りを固めるようにリンたちが歩いていた。
守られているみたいだ。
そう感じ、ハルカの胸に少し反撥心がわいた。しかし、なぜか、それはマコトたちに対しては起こらず、リンだけに反撥している。
バカバカしい。くだらない。だいたい、面倒くさい。そう思って、ハルカは自分の胸から反撥心を消し去った。
やがて、ひとの流れは広場へとたどり着いた。
幾多もの明かり、祭の飾りつけがされ、広場は舞台となっている。
その舞台に、街一番の歌姫がいる。
行進の先頭にいた男たちの演奏が止まる。
始まりを待つように。
金糸銀糸で細やかな刺繍のされた絹の衣装に、宝石のきらめく装飾品、それらを引き立て役にして、歌姫は美しく微笑む。
「綺麗」
思わずといった様子で、ハルカの近くでゴウが小声でつぶやいたのが聞こえてきた。
そんな反応はゴウだけではない。
感動をあらわすような、ため息も聞こえてきた。
歌姫が口を開いた。
その細い喉から、美しい声が発せられる。
男たちの演奏が再開した。
その演奏を従え、この世のものとは思えない天上のもののような歌声があたりに広がっていく。
しばらくして、彼女の歌は終わった。
広場にわき起こる、拍手喝采。
歌姫はそれを悠然と受け止め、そして、去っていった。
今度は踊り子たちがあらわれる。
数人の女の踊り子たち。演奏に合わせて彼女たちが踊ると、袖についている長い布が、ひらひらと揺れる。また、手首と足首に鈴のついた装飾品をつけていて、それが鳴る。
それから、男たちも踊った。剣の舞だ。夜空に向かって白銀に光る刃を振り上げて、踊る。
耳から入ってきて身体の中へと流れていく演奏のリズム。つい身体が動きそうになる。基本は冷静なハルカも、踊りたくなってくる。
しかし、踊るなら、鈴を鳴らして踊るのではなく、剣の舞がいい。
時間がたつうちに広場からひとが減っていった。
家に帰った者もいるだろうが、大半は広場の外の夜店をのぞきに行ったりしているのだろう。
ハルカたちも広場から離れることにした。もちろん、まだ家には帰らない。
ゴウとその女友達とは別行動をすることになった。用心棒は彼女たちについていった。
ハルカとマコト、リン、ナギサの四人で道を歩く。
いつもと違う夜の道。いつもよりも明るくて、活気に満ちあふれている。
「ハル、大丈夫?」
マコトが話しかけてきた。
「ハルはひとが多いのがあまり好きじゃないよね」
気遣うような優しい眼差しがこちらに向けられている。
ハルカは静かな眼差しを返す。
「平気だ」
そう短く答えた。
そんなハルカをリンが硬い表情でチラと見ていたのだが、ハルカはそれに気づかなかった。
混雑する中、それでもナギサは好奇心のおもむくままに動いていた。気になる夜店があれば弾けるように進んでいき、また、路上で演奏に合わせて踊る踊り子たちに混じって踊ったりもした。ナギサは踊りがうまくて、踊り終わったあと、ナギサに向かって拍手する観客もいた。
夜店ではよく砂糖菓子が売られている。だが、残念ながらリンは甘い物が苦手らしく、マコトが自分の買ったものの中のひとつを勧めても断っていた。
それにしても、ひどいと言っていいぐらいの混雑ぶりだ。広場から離れるひとが多くなってきて、それがどんどん加わっているせいだろう。
「あれ」
ハルカのそばでリンが声をあげた。
「マコトとナギサは?」
それを聞いて、ハルカは周囲に眼をやった。見渡すのは難しいぐらい混んでいる。それでも確認した。マコトとナギサがいない。
「離されたか」
ひとりごとのようにリンが言った。
ハルカとリン、それから、マコトとナギサのあいだに、いつのまにか他人がたくさん入ってきていたらしい。ひとに押されて転ばないよう、あるいは、ひとを押さないよう、注意して歩いていて、マコトとナギサがいなくなっていることに今まで気づかなかった。
マコトとナギサが自分たちよりまえにいるのか、うしろにいるのかさえ、わからない。
やがて開けた場所に出た。
道の重なり合う中央に噴水がある場所だ。
密集状態であったのが、ひとがバラけて、ハルカはほっとひと息ついた。
「ここでちょっと待ってみるか?」
そうリンが提案してきた。