feel you
指で弾いて笑うとくるりと、
二人に背を向けて啓介はFDへ
向かって歩いていく。
手加減をしてくれたおかげで
あまり痛くはないおでこを澪は
さすりながら、その背中に声をかけた。
「ごめんね、…また今度!」
「おう」
啓介はチラッと振り向いて笑った。
啓介のFDがヘッドライトを灯して、
動き出した。
運転席の窓が下がって
窓の縁に肘を掛けた啓介が、
澪に笑いかける。
「じゃあな」
「気をつけてねーっ」
駐車場を出た啓介のFDが、
あっという間に消えてしまった。
「啓介の奴、張り切っていったな」
来たときよりもいっそう激しい
車の音に澪は不安げに眉を寄せる。
「…気をつけてって言ったのに」
「啓介の奴なら心配いらないさ。
ここをとことん知り尽くしているからな…」
それより… と、
繋いでいた手が少しだけ
強く握られて涼介がいつもより
低い声になる。
「知らなかったな…
啓介とはどこで知り合ったんだ?」
途端に不機嫌なオーラを纏った涼介が
怪訝そうに澪を見据えた。
そんな涼介に澪は目を見張る。
「…随分と親しそうにしていたじゃないか」
涼介のこんな姿を見たことが
なかった澪は、
涼介の突然の変化に戸惑う。
「涼介…? 別に……」
「俺には関係ない、か?」
何か探るような目で
涼介は驚きを隠せないでいる
澪の瞳を覗き込んだ。
「違うよっ… どうしたの、急に…」
涼介が不機嫌になってしまった
理由が澪にはわからなくて、
必死に涼介を見上げた。
涼介がハッとして、不安げに揺れる
澪の瞳から視線をそらした。
「……すまない。どうかしてたな」
顔を背けた涼介が、
掴んでいた澪の手を離す。
「遅くなったな。駅まで送るよ…
そろそろ時間だろ?」
澪に背を向けて、涼介は
FCに向かって歩き出した。
「……嫌、」
澪の拒絶の言葉を聞き、
涼介が立ち止まって振り返る。
「澪…」
「…嫌っ…… わたし…」
先程よりいくらか和らいだ
涼介の声が諭すように澪を呼ぶ。
背後にある街灯の光で、
涼介の表情は澪からはよく見えなかった。
(涼介、きっと困った顔してる…
それとも呆れられたかもしれない…)
だけど、このままじゃ
帰れない。
「涼介… なんで…?」
わからない…
涼介の気持ちって?
どうして離れていってしまうの?
それまで心に蓋をして
見なかったことにしていた
不安な気持ちが、
堰を切ったように
溢れてきてしまう。
堪えようとしたのに、
涙声になってしまった。
これでは呆れられても仕方ない…
泣いているところを見られたくなくて、
澪は後ろを向いた。
目線の先には先程、
凉介と二人で楽しく眺めていた
夜景が目映い光を放っていた。
(涼介に嫌われても仕方ないことを、
しちゃったんだ… きっと。
…さっきまで、あんなに
楽しそうにしていたのに…)
どうしよう…
わたし、、
澪の小さく震える肩を
大きな手のひらが包み込み、
背後から抱き締める。
「すまなかった… 泣かせるつもりは
なかったんだ…」
澪の頭上から静かに落とされる
償いの言葉に
大きく膨れた涙の粒が、
張力を失ってポタポタと
涼介の袖を濡らす。
「… 自分の弟に嫉妬したなんて、
…聞いて呆れるよな」
低く呟いて、涼介は嘆息した。
自嘲の笑みすら浮かべる余裕は
今の涼介にはなかった。
澪はそんな涼介の言葉を一つ残らず
聞きたくて息を詰めて耳を傾ける。
「俺は澪が知らないと思っていたから…」
「啓介くんのこと…?」
「…ああ。……俺の知らないところで
二人で会っていたりしたんじゃないか、
…なんて思ったりな」
「そんなことしてないっ…」
「…わかってる。…一瞬でもそんな想像を
した自分に嫌気がさしただけだ」
耳元を掠める切ない吐息に
澪はどうしようもなくなる。
「涼介…」
「啓介と話しているお前が
楽しそうで、…正直妬いたよ」
「涼介といるときだってわたし、
楽しいよ…?」
「…ああ。そうだな」
力なく笑う涼介に、
胸が熱くなって堪らない。
「本当だよ? 涼介、わたし…」
「……ストップ」
「……?」
「さっきは悪かった。…もう無理に連れて帰ろうとしないから、取り敢えず中に入らないか。
…氷みたいに冷たいぜ…?」
抱き締められたまま、
涙に濡れた頬を優しく拭かれて
澪は大人しく凉介の腕の中で頷いた。
⭐
二人は寄り添うように車へと戻った。
座席に座ると張り詰めていた気持ちが
解かれて、澪は急に肌寒いような
気がした。
5月と言えど、
群馬の山はまだ冬のように寒い。
今朝、家を出るときは暖かった為
薄手のワンピースできてしまった。
しかし、日が暮れた山頂が
暖かい筈もなく澪は小さく震えた。
「暖かくした方がいいな…
そこで飲み物を買ってくる。
何がいい?」
「……ココア…」
「わかった…、ここにいろよ?」
「……ん。」
素直に頷いた澪の頭を撫でて、
駐車場の入り口にあった
自動販売機まで涼介は飲み物を
買いに向かった。
少し離れた距離にある自動販売機に、
わざわざ歩いて向かったのは
涼介なりの気遣いだった。
ワガママなことを言ってしまったな…
それでも涼介と気持ちが
すれ違ったままにならずに
済んだことを澪は安堵した。
高崎と東京…
近いようで遠い。
あのまま、すれ違ったままで
離れてしまっていたら
もっと辛いことになっていたのかも
しれないと思うと、
これでよかったと思えなくもない…
しかし、実際のところ
二人は付き合っているわけではなかった。
澪は涼介からは未だに
肝心なことを聞かされていないのだ。
こういう機会はなかなか
訪れないかもしれない…
電話やメールよりも
直接、涼介の口から聞いてみたい。
「大丈夫か?」
ココアの缶を渡されて、澪は
冷えた頬にぴったり寄せて温まる。
「うん… ありがと」
少し泣いてスッキリした頭と
落ち着きを取り戻した心で、
ようやく笑みを浮かべることができた。
缶のふたを開け、熱々のココアを
口に含むと甘い香りと
温かい湯気が鼻をくすぐって
思わず澪の顔が綻ぶ…
「… あったかい…」
そんな澪に、
涼介もホッとした様子で
缶コーヒーを口にした。
「涼介… あのね、」
「……」
「聞いてもいい…?
レストランで言っていたこと…」
手に持ったココアの缶を握って
澪は意を決して切り出した。
あのとき、人がやってきて
話が途中になってしまったけど…
「あのとき、…涼介はなんて
言おうとしていたの?」
「……、」
「お願い… 言って…」
「………」
「……涼介、」
「俺は多分、こわいんだ…。
正直な気持ちを伝えたところで、
大切なものを失くしてしまったら…と」
それまで静かに澪の声に
耳を傾けていた涼介が重たい口を開いた。