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旅立ち集 ハイランダー編

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※※※※


ハイランドには平らな土地もあるが、基本的に起伏が激しい。牧草地の緑は点在するが、垂直の緑はほとんどない。

わずかに植林されたマツ林が広がるだけ。

西側は湿地帯に滝や渓谷が連なっている。

水源は豊かだが、地盤が緩くて定住には適さない土地だった。


北側は岩肌が続き、その果ては断崖絶壁。そこに住むのはあの老夫婦と、族長家族だけ。


人々が住むのは、ほとんどが南側の比較的緩やかなエリアだ。

坂の合間の平坦な地盤に、ひしめき合うように家が建っている。


木が育たないここでは、石造りの文化が浸透している。

家は石を粘土で接着させた造りで、暖炉の薪も土を乾燥させたものだ。

住居の連なる集落の光景はどの家も鈍色なので、もの淋しい景観に見える。


老夫婦の家から道也に進み、ウィルは集落を抜けたところだった。
彼の家は集落から少し外れた処にある。


デイジーやアイリスの花が群生する草道に沿って坂を下ると、やがて紺碧の湖が見える。


低所に溜まった湖を背後に、一軒の家があった。

それがウィルの家だ。

湖の対岸には堅牢なシルエットが見える。天候のせいでいつもより薄黒く見えるが、それはかつてハイランドを統治していた王族の古城で、今は無人である。


坂を下る途中、家の前で洗濯物を取り込む妹の姿が見えた。足りない身長を台座でおぎない、その上で飛び跳ねながら物干し竿の衣服をもぎ取っている。


「モリガンのやつ、危ないじゃないか……」


ウィルは坂を駆け下りると、妹を手伝った。

「あっ。おかえり兄貴」

「おかえりじゃないだろう。台座から落ちたらどうするんだ」

「ならもっと早く帰って来いよ」

「うるさいぞ。ほら。卵を代わりに持っていろ」


妹は卵を受け取っても、そのまま台座の上で腕を組み、頬を膨らませて兄を睨んでいた。

栗色の長髪を三つ編みに束ね、くりくりとした大きな目。先が少し破れたスカートに、シャツの上に格子柄のカーディガンと、着ている服は普通だが、手足には生傷が絶えない。まるで野生児のような雰囲気だ。


彼女はモリガン。兄を凌駕する力を持つ、ウィルのお転婆な妹である。

洗濯物を回収すると、ちょうど小雨が降り始めた。


「うわっ。降ってきた」

「急げよ兄貴。洗濯物が濡れるだろ」

「モリガン。転んで卵を割るなよ」

「わっちがそんなヘマするかよ」


ぴょんと、モリガンは台座から飛び降りると、卵の入ったバスケットを口にくわえ、両手で台座を持ち、家に駆け込んだ。

それに続き、洗濯物を抱えたウィルも帰宅する。


「ただいま母さん」

「母さん。くそ兄貴が帰ってきたよ」

「くそは余計……、だぁ!」

「痛ッ!」

ウィルのゲンコツがモリガンの頭頂に放たれる。

「こんのくそ兄貴ぃ! 幼児虐待で訴えるぞ!」

イーッと、歯をむき出すと、モリガンは卵を持って台所へ走り込んでしまった。

「なにが幼児だ。もう七歳だろ」

ウィルは部屋干ししながら、母の眠る寝室を見遣った。

そこからは返事もなければ動く様子もない。

どうやらまだ眠っているようだ。

部屋干しを終えるとウィルは玄関間に戻り、服掛けに剣を収めた革のベルトと、背中にまとった格子柄のプラッド(マントのような肩掛け)を吊した。

いつもなら帰宅時にするが、洗濯物が邪魔でできなかったのだ。


「モリガーン。何か手伝うか?」

台所を覗くと、台座に乗ったモリガンが朝食の準備をしていた。

モリガンは卵を割りながらこちらに振り向き、

「必要ねえよーだ。暇なら編み物でもしてろ」と言い、ぷいっと顔を背けてしまった。

「そーですか」

ウィルは居間に戻ると、何気なく木組みの窓から外を眺めた。


雨は強くなり、もはやどしゃ降りになっている。


ふと、ローランドにいる父は大丈夫かと、不安になる。

二日前に家を出た父は、今晩に戻ると言っていたが、この天気では遅くなるかもしれない。


だがハイランドの天候は変わりやすい。

今はどしゃ降りでも、一時間もしない間に青天が広がることだってある。

父が帰る頃には天気も落ち着いているかもしれない。


そうなれば心配なのは雨後の悪路だが、父の馬ならどんな険しい道でも走れるから大丈夫だろう。


そういえば、今日はまだ馬屋に行っていない。

餌やりも含めて馬の様子は毎日見ろと、父から言われている。

馬屋は家の隣に建っている。朝食が終わったら餌やりに行かなくてはならない。

しばらくするとモリガンの鼻歌と共に、ソーセージの焼ける香ばしい臭いが台所から漂ってきた。

もう一度調理場を覗くと、モリガンは手際よく料理を盛りつけていた。


「これを盛れば完成だ。できたら兄貴が持って行けよ」


最後にドロドロした液状のものを皿に盛り、それをトレイにのせる。

ドロドロしたものはポリッジという、オート麦を煮たハイランド独自のお粥だ。

ミルクや蜂蜜、産みたての卵を混ぜれば栄養は満点。トレイにはニシンの燻製とソーセージと野菜をそえた皿ものっている。

この二皿が、母の朝食メニューである。


「兄貴。転んで料理を落とすなよ」

「俺がそんなヘマするかよ」

ウィルがトレイを持ち、モリガンと共に母の寝室へ向かう。


「母さ~ん。朝だよ起きろぉ~」

とてとてとモリガンは枕元に駆け寄ると、小声で囁くように母に呼びかけた。

いつもならベッドに飛び乗って起こすが、ここ数ヶ月はそんな乱暴なことはしていない。


「う~ん」


と、母はゆっくりと目を覚ました。


「あら。おはよう二人と――」

「――あ、あー! 母さんは寝てなきゃ駄目だよ!」


身体を起こそうとする母を、モリガンは慌てて小さな両手で押し戻すように寝かしつける。


「ありがとう。でも身体を起こすぐらい平気よ」

「ダメったらダメ! ゆっくり寝てちゃんと食べなきゃ!」

モリガンはウィルからトレイをぶんどるように奪い取ると、それを母の前にそっと置いた。


「いつも豪華で気が引けるわね。卵はオーウェルさんから貰ったの、ウィル?」

「うん。でも、料理は全部モリガンが作ったよ」

「でしょうね。ウィルじゃこんな料理作れないもんね」

「わかっているけど、なんか傷つくな」

「雨の中じゃ、行くのも大変だったでしょ?」

寝室には窓がないが、雨音でわかるのだろう。

オーウェル夫婦の家まで距離は短いが、途中から坂道続きで道程は険しい。

「大丈夫。降り出したのはついさっきだから」

ウィルが笑みを浮かべて答えると、母は目を細めて頷いたが、モリガンからは睨まれた。


「雨だろうと槍が降ろうと行けよ。母さんは栄養つけなきゃいけないんだぞ」

「わ、わかっているよ」

「本当にわかってんのかよ。何か悪いことでも起こったらどうするんだよ」


その凄みのある物言いと態度に、ウィルは不覚にも怯みそうになる。

普通の口喧嘩では負けないが、これに関してのモリガンの言動は凄まじく、ウィルはただ言われるまま耐えるのが普通だった。


「安心しなさい。この子は無事に生まれるわ。さっきケルピーの夢を見ていたの」
作品名:旅立ち集 ハイランダー編 作家名:春夏