旅立ち集 ハイランダー編 No3
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ウィル達が古城を逃げ延びた後、数十人にも及ぶハイランダー部隊によって怪物は討伐された。
討伐といっても、ウォーレスの一撃とマクの弓によって怪物は弱り果て、大した技を出すこともなく包囲網を前に息絶えたのである。
絶命する直前、怪物は「歌わせて」と願うように呟いたらしいが、その真相も真意も定かではない。
そして不思議なことに、怪物の死体は眩い光りを発したと思うと死体は忽然と消え去り、そこにはうら若き女の無惨な遺体があったという。
ウィルとモリガンは帰宅するなり気を失い、自宅で長い眠りについている。その間に二人の母、エスリンは出産。男児だった。名前は父であるウォーレスが決めていたらしいが、エスリンはそれを聞きそびれていた。
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ウィルは夢を見ていた。
草に挟まれた、起伏のない一本道を歩いている。前途にはうっすらと漂う霧が浮かび、これまで辿った道程も同様だった。
霧向こうに人影が見えた。
自然と足を速めるが、いっこうに距離は縮まらない。
人影も自分に気付いているのだろう。
凹凸の見えない顔でこちらをじっと見つめている。
その人影が喋り始めた。
『君は不思議に思ったことはないかしら? 歌声を聞いただけで傷が癒えたり、筋力が増強されたり……』
何を言っているんだろう。
人影は言葉を切ると、口調を変えた。
『今から数千年も昔。神や神獣と呼称される異世界の住人が、人間と共存していた時代のこと――』
最初の台詞とはまるで違う。
まるで物語の一節を読み上げているような感じだった。
『人間と子を成す神や守神として崇められる神獣がいる一方、人を食う神獣もいれば、無意味に疫病を蔓延させる神もいた。そして妖鳥族もまた、人に害をあたえる海の神獣だった』
妖鳥族? 聞き慣れない単語が妙に気になる。そして海の神獣という言葉が、あの女を連想させる。
『妖艶な歌声で船乗りを岩礁に誘い込んでは、その臓物を食らう。たんに人間狩りを楽しみたいが為に。
そんな悪行を見かねた一人の女神が、歌声の競い合いを申し出る。
女神は妖鳥族に言った。
もしも妖鳥族が勝ったなら、私の臓物を食らってかまいません。ですが、私が勝ったなら貴女方の翼をもぎ取り、二度と空を飛べない身体にいたします、と。
競い合いは女神の勝利に終わった。
女神が銀の竪琴を奏でるや否や、妖鳥族はその美声に聞きぼれ、あっさりと負けを認めてしまったのだ。
妖鳥族は翼をもがれ、彼女達は地上におりるが、それまで積み上げた罪状から人々から迫害を受けた……』
霧はいっこうに晴れず、人影との距離も縮まらない。とうとうウィルは諦めて足を止め、ただ聞くことだけに集中した。
『鎖に繋がれて人間の玩具にされた先祖もいれば、海の神獣と血を交えた先祖、慈悲深い人間に救われた先祖もいた。運のよかった先祖には、自らの凶暴性を制御して人との共存を目指した者がいた。そして……』
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目覚めるとそこは自分のベッドだった。モリガンの眠る二段目を隔てる天井が真上を覆っている。
暖炉の薪石がよく燃え、壁窓から入り込む微風が部屋干しされるプラッドを揺らめかせている。
その手前に誰かが立っているが、目がかすんで人相までは見えなかった。
父かと一瞬思ったが、父よりも人影は高身長である。
「君は……」
「初めまして。私は ‘バード’ 。なりゆきであの女の保護者になった者よ」
「保護者?」
と、首を傾げるウィルだが、気になったのはその言葉だけではない。その人物の声がおかしいのだ。
その声は夢の中で自分に語りかけた声と同じである。それは間違いないが、夢の中では気付かなかった。
その声は、口調こそ女性らしいものの、声が男そのものなのだ。
「あの女は幼い頃両親に捨てられたの。誤解して母に怪我をさせた時、何気なく歌ったら傷が癒えてそれを気味悪がられて、見捨てられたんだって。悲し過ぎるわよね。目がウルウルしちゃう話よね……」
バードと名乗った人影は、少し内股で、それも妙に腰をくねらせてベッド側へ歩み寄ってくる。
「私もあの女と同じ。妖鳥族の血をひいているの」
バードが間近に迫ると、ついにその顔が露わになる。
やはり男だった。整った眉に高めの鼻。少し面長な顔は、さらさらと揺れる銀色の髪に包まれている。
ケープ状のマントに、純白の長ズボンに裾には三角形の刺繍がされ、それと同じデザインがシャツの裾にもみられる。手っ甲のされた両手には弦楽器が握られ、それを見てウィルはウクレレという楽器を思い出す。
身体を起こそうとすると激痛が走るので、ウィルはベッドに寝ているしかなかった。
「妖鳥族というより、セイレーン一族と言った方がわかりやすいかしら。夢で説明した通りよ」
バードと名乗った男も美声だった。彼は歌だけでなく、夢まで操れる力があるというのか。それだけでなく、なぜ男のくせに女性口調なのか?『おかま』という人格を知らないウィルには、とうてい理解できなかった。
バードはその口調のままで夢の続きを語った。
「人と交わるにつれて妖鳥族の血は薄まり、姿も人と瓜二つにもなったの。
だけど、ハーフの中には妖鳥族の血が濃い子が産まれることもある。劣勢遺伝が現出するみたいにね。それが歌声であったり、翼であったり、はたまた凶暴性であったり……。
私の場合は歌声だけだったけど、あの女は歌声に凶暴性に翼……。全て遺伝子の中に残していたわ。物を盗まれて執着するのは、翼をもがれた先祖達の憎しみが宿ったからかしら」
バードが説明する。口調はともかくとして、その言霊には感情や抑揚がないようにウィルには思えた。
目の前に被害者がいるというに淡々とし、同情や哀れみの欠片も感じない物言いなのだ。
「私は飼い主から逃げた彼女を偶然見つけ、無知だった彼女に一族のことを教えたの。変異のこともね」
「変異?」
「血の濃いハーフは人間の血が薄まると、最初に心臓が変異し、そのまま放っておくと忘我の怪物になるの。動物や人間の血を吸い取れば元に戻れるから、それであの女は牛や君の妹の血を飲もうとしたのよ」
ウィルは古城での女の異常行動を思い出す。腹が割けて肉塊が飛び出したが、あれが心臓だったのだろうか。
モリガンを傷つけたのは血を飲んで人で居続けたかったからなのだろうか。
事務的な語りに苛立ちながらも、バードの言葉を断片的に理解するだけで、ウィルの中にあった多くの謎が氷塊していく。
「怪物の姿で海を渡っていると捕鯨船に銛で突かれ、逃げた先が霧の孤島。しばらく兎や野鳥の血で理性を保っていたけど、それじゃ足りなくて牛を襲い――」
バードは女がここに来るまでの経緯を説明する。途中で言葉を切ると、額に包帯の巻かれたウィルをじっと見下ろし、
「――そして君に出会い、好意を抱いた」
と告げた。
「きっと、翼が綺麗って言ってくれた君が好きになったのね。私にはわかるは。あの女は恋する乙女の目をしていたもの……」
「…………」
作品名:旅立ち集 ハイランダー編 No3 作家名:春夏