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旅立ち集 ハイランダー編 No3

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※※※※


七年後。

のどかでまどろんだ春の空気に包まれるローランド。その緩やかなメーンストリートの両側には民家や商店が立ち並んでいる。


この日は薄曇りながら、たまに陽光が差し込み、思い出したように吹き付ける潮風が肌を心地よく刺激した。


メーンストリートの末端は鈍色の海が広がる港である。

そこにウィルの姿があった。


一定のリズムを刻む波音を聞きながら、彼は空を見上げる。午前中は冷たい小雨がぱらついていたが、午後はずっと晴れる。じきに垂れ込めた雲は強風で吹き飛ばされ、空は明るくなり霧も出ないだろう。

ウィルは巨大なバックパックを背負い、それには食糧やテントといった旅道具が詰め込まれている。

彼はこれから長い旅に出るのである。

船着き場には数人の水夫が立ち、その周囲には人だかりができている。乗船者の点呼をしているのだ。


「ウィル・ロイ・マクレガーさん!」


呼ばれ、ウィルは水夫の前に立つ。


「行き先はここから南東海域。目的地はエトリアですね。では緑の旗の船に乗って下さい。二十分後に出港です」


水夫がウィルの名を乗員名簿に書き込み、次の者を呼ぶ。ウィルは人だかりを離れ、船へと向かう。


「兄さん」


と言って、ウィルの隣に立ったのはモリガンである。

そして彼女が手を引くのは、マクレガー家の三男、ヴォルト・ロイ・マクレガーである。

父は三男の名を決めていたらしいが、母のエスリンは新たな大黒柱となるウィルに名を決めさせたのだ。


――父さんは、どんな名前にしたんだろう


と迷うウィルに、ローランドの出稼ぎに同行した男が歩み寄ったが、やはり教えるのは止めたらしい。

ウィルは父の名の頭文字に似せ、弟にヴォルトと名付けたのだった。


「もう行っちゃうんだね。なんか淋しくなっちゃな……」


モリガンが淋しげに笑う。あの頃よりも背は伸びたが、ウィルの方が成長したため相変わらず頭一つ小さい。

昔はお転婆な妹だったが、今では身体も性格の大人らしくなり、髪は美しく整え、歩く姿も優雅だった。


「私も一緒にエトリアに行ってマクさん直伝の弓を試す機会かな~、なんて」

「おい。あまり変なこと考えないでくれよ?」

「冗談だって。しょせん私の弓じゃ、兄さんの槍にはかなわないもん」


ウィルは剣を持っていなかった。

怪物との戦いで損失してからというもの、教会堂の廃墟にあった槍を武器に修行に励み、ハイランダーの技と槍術とを混ぜた我流の槍技を鍛え上げていたのだ。


「お前は母さんやヴォルトを守ってくれ。向こうについたら手紙を送るよ。俺がいない間、何かあったらオーウィルさんを頼るんだぞ」

「わかった。兄さんも身体を壊さないでね。迷宮って、入る人に比べて生還できる人が少ない処なんでしょ?」

「ああ」


行き先が行き先なだけに、母だけは最後まで反対し、見送りにも来ていなかった。


「ヴォルト。姉さんにわがまま言ったらダメだぞ。それから男なら夜は一人で寝ろよ」

「うん。任せろ。くそ兄貴もきばってこいよ」

「こら。兄さんにそんなこと言わないの。言葉遣いも汚いわよ」


モリガンがヴォルトの頭をぽんと叩いた。


「モリガン。今日の午後はハイランドにも霧が出ない。俺が出港したら、すぐに戻れるだろう」

「ありがとう。兄さんすごいね。ローランドからハイランドの天気がわかるなんて」

「お前が父さんを見習えって、昔言っただろ?」

「あはっ。そうだったね……」


表情を落とすモリガンの様子に、ウィル達も気付く。


「モリガン?」

「姉貴、どうしたの?」

「ううん。なんでもない」


モリガンは悲しみを払拭するように明るい声を上げた。


「そうだ! エトリアから帰ってきたら、いい男を紹介してよ!」

「はぁ?」

「冒険者って、すっごく強くて、不思議な術も使えるんでしょ? 近所の男よりも魅力的じゃない!」


子供時代が嘘のように美しく成長したモリガンに言い寄ってくる男は多い。

そうした連中はウィルと母で追い払って来たが、モリガン自身も取り巻く男達には興味がないらしい。


ちなみにウィルは、自分が離れても男達が妹に群がらないよう、出発前にハイランドの若者達を、族長に怒られない範囲で脅しておいた。


「私の好みは、元気で明るくて、私が作ったご飯全部食べてくれる人! 剣術なんて見飽きているから、不思議な術を使える人がいいな~。炎とか氷とか出せちゃったり。でもあんまり頭でっかちだと可愛くないから、適度にお馬鹿なところがある人がいいな。エトリアの冒険者にはそんな人だっているんでしょ?」

「さぁな」

「な~によ。そのそっけない態度」


モリガンがむっつりと言い返したのと出港の合図が下ったのは同時だった。

錨が上げられ、乗船者が左舷に設けられた渡し橋へと詰め寄っている。


「もう行くよ。元気でな」

「うん」

「じゃあな。くそ兄貴」


妹と弟に見送られ、ウィルは橋を渡り乗船した。


マストと帆桁を縛る縄がほどかれると真っ白なマストが下りる。甲板では水夫達が手縄を引いて、マストが風を受けられるように帆桁の向きを調節している。耳を叩くような音を響かせて、風をはらんだ真っ白な帆が膨らむ。

船が動き、ウィルは船縁により、そこから身を乗り出して船着き場に立つ妹達を見た。景色と共に彼女達が遠くなり、波の音が大きくなっていく。

ウィルが手を振ると妹達も手を振り返した。さらに大きく手を振れば、二人も大きく振り返す。

二人の姿が見えなくなっても、ウィルは船縁に立ったまま、なおもじっと港を見ていた。


※※※※

数日前。

ウィルは族長に呼び出された。


ハイランダーの中でも神聖とされる石崖の祠(ほこら)に来るように言われ、面会するなり一枚の書状を手渡された。


見出しから依頼書とわかったが、ウィルにはそれに描かれた大樹の君臨する都市の挿絵が気になった。どうやら異国からの書状らしい。


「ウィル・ロイ・マクレガー。お前にエトリアで起こる怪異の調査に旅立ってもらう」


突然の命令にウィルは戸惑った。訊きたいことは多々あったが、最初に訊いたのは、

「どうして僕なんですか?」

ということだった。


成人を迎えた若者はどこかの軍に入隊するか、ローランドで働くか、家業を継ぐかである。

確かにそのどれもウィルは決めかねていた。


「お前は怪物と戦える知恵と力を欲していないか?」


質問に質問で返されたが、族長に心中を見抜かれたウィルは、無言で頷いてしまった。


「怪物とは違うが、エトリアの迷宮には魔物という生物が営巣している。そこで戦えば、お前の望む力が手に入るだろう」


族長の線のように細い目が、ウィルを見る。


「鍛えた己の槍術を試す機会ではないか?」


白髭に隠れた口から発せられる言葉は、ウィルの心を鷲づかみにした。


父を殺されてから、ウィルは剣を捨てていた。怪物を招いた自分への戒めとして、彼は教会堂にあった銛を手に、それにさらなる改造を加えて完全な槍とし、それを武器にすることを決めたのだ。