旅立ち集 ハイランダー編 No3
※※※※
いつの間にかすっかり時間は流れ、金鹿の酒場も閉店間際の刻限になっていた。
ハイランダーは、否、ウィルは飲み干したマグをカウンターに置きツスクルへと振り返る。ツスクルも彼を見る。
「僕がエトリアに来た理由。わかってもらえましたか?」
「ええ。そのおかまと再会したくて、ここへ来たのね」
「そうです。あのおかまのバードさんとどうしても再会したくて…………。って違いますよ!」
思わず声を荒らげるウィル。その大声は酒場にいた客の視線を集め、店内にしばらく異様な沈黙が流れた。
「な、なにかあったの?」
「い、いえ。なんでもないです」
引きつった笑顔を浮かべる女将に、赤面しながらも必死で取り繕うウィル。ちらりと横目でツスクルを見ると、彼女はまるで他人事のように気にすることなく、こくこくと冷水を飲んでいる。
「ひどいじゃないですか、ツスクルさん」
ようやく場の空気が戻ると、ウィルは小声でツスクルへ言うが、彼女は悪びれた素振り一つ見せなかった。
「ねぇ」
「なんですか?」
ウィルはむっつり顔で問い返す。
「もしもまた、どこかで見知らぬ人と、それも相手が傷ついた女の子だったらどうする?」
「そんなことはありえないと思いますけど、介抱なんてぜったいしません。もしかしたら、その場で切るかも」
ウィルが毅然と言うも、ツスクルは首をゆっくりと振り言った。「そんなことできない」と。
「だって貴方、優し過ぎるもの」
「僕が……?」
仮にも冒険者の肩書きを持ったウィルには、それが褒め言葉には思えなかった。年下であろうツスクルに、未熟に思われているような気がしたが、言葉を返せなかった。
ツスクルは懐から数枚の札を取り出すとカウンターに置いた。
「貴方の話は面白かった。お礼におごるわ」
「えっ。そんな、いいですよ」
ウィルは財布を取り出そうとするも、女将がツスクルの札を受け取り、それで会計がすまされてしまった。
「すみません……」
「いいの。それに今の話は、私にとって役にも立つ」
「役に立つ?」
聞き返すハイランダーを無視するように、ツスクルは早々と酒場を出る。ウィルも外に出ると、ツスクルは入口の傍で夜空を見上げていた。
「綺麗な星空ですね」
「…………」
ツスクルは何も答えず歩き出した。ウィルもそれに続いた。肌寒い風が流れる。静寂に包まれる夜の街道は、歩いても歩いても誰の姿も見かけない。
新月で月明かりもない。どこからか犬の遠吠えが木霊する。エトリアに入り込んだ野犬だろうか。それともどこかの飼い犬だろうか。
「あのツスクルさん。さっきの役立つって、どういう意味なんですか?」
ツスクルは前を向いたまま答えた。
「人間に対しての呪術は、相手の内面や過去を知るほど威力が増す。今の話は、私が貴方と戦う時に役立つわ」
「僕がツスクルさんと?」
ありえない。なぜ樹海の中でツスクルと戦うのか。だが問い直してもツスクルは無言だった。
それからしばらく同じ帰路につくが、途中でツスクルは真っ暗な脇道の前で立ち止まった。
「送りますよ?」
「いいの。一人で帰れるから。……おやすみ」
「お、おやすみなさい」
小さな黒衣は、集合住宅に挟まれた小道の闇中へと溶けていった。
一人残ったウィルは宿へ戻った。思えば情報収集の為に酒場に入ったというに、ツスクルを相手に己の過去を語るだけになってしまった。それでも誰とも話せないよりもマシだったが。明日の準備を終えると、ウィルは灯りを消し、床についた。
明日はグラズヘイム探索の続きである。
※※※※
翌日。ウィルはグラズヘイムにいた。
そこは新緑の香り漂い、風が吹けば木漏れ日の揺れる樹海とはまるで違う。
明らかに人工的に造られたみえる一方、現在の文明力では遠く及ばないと思わせる外観と仕組みをもつ建築物。
床から天井の表面は白と青を基調としており、その殺風景な色合いとがらんどうとした内部は、ここが自然の営みや情感のかけ離れた処であると伝えてくれる。
自動的に開閉する扉や、各フロアを繋ぐ壁面には千紫万紅の光が点滅し、その合間には幅や長短に違いはあれど、血管のような管がはりめぐらされている。
マッピングをある程度進めると、グラズヘイムには樹海のように入り組んだ獣道はなく、四角く区分された部屋を基本にそれぞれを繋ぐ道が無駄なく配列されていると思える。
「お、お前は……」
「…………」
そしてグラズヘイムのある区画の深部へと辿り着いたウィルの前に、一人の少女が現れた。
もこもこと膨らんだ分厚い長衣を着てはいるが、その小柄で幼い顔を見れば、相手が自分よりも遙か年下の少女だとわかる。
(――いったい何者だ?)
怪我か病でも患っているのか、両手を床についたまま気怠そうに辺りを見回している。そして立ち上がろうとするが膝に力が入らないのか、「ああっ!」と、少女は転んでしまった。
ウィルは思わず彼女に駆け寄り、手をかそうとしてしまう。
だが。
(――騙されるな!)
誰かの声がウィルを止める。
そうだ。ここは前人未踏といえる建物内。住んでいるのは魔物だけ。普通の人間がいるわけがない。
この少女自身、ウィルが訳もわからず操作をして動かした瓶に似た巨大な入れ物から出てきたのだ。可愛らしい外見でも油断できない。
もしそうすれば、またも同じ過ちを繰り返すことになりかねないのだ。
「お、お前は何者だ?」
ウィルは倒れた少女に槍を構え問う。聞こえないのか。少女は息を荒らげたまま床を見下ろしているだけだった。
「答えろ!」
と、ウィルが少女の金髪の頭頂に槍を突きつけたのと、轟音とともに天井が砕け散ったのは同時だった。
地割れだった。
グラズヘイムの一部は地下に位置しており、天井、つまり地面が砕け陥没したのだ。
ウィルは無意識のうちに少女を抱き、瓦礫を避けるため壁側へと駆けた。ウィルのいた処へ無数の瓦礫が落下し、無惨に砕けちったそれらが粉塵を巻き上げる。
間一髪だった。
そして落下物の中に、瓦礫とは別の影が二つあった。一つは身体が大きく、茶色い体表と馬に似た体格を持つ魔物だった。そしてもう一つは人影だった。
「いってぇ! 地面の瓦礫がダイレクトにぃ!」
尻を押さえてひーひーと悶絶する赤い衣を纏った金髪の少年。そして彼の仲間と思われる人達が、地上の割れ目からこちらをのぞき込み、彼の安否を気遣っていた。
「大丈夫か、アーサー?」
呼ばれ、少年も地上を見上げる。
「こ、これくらいへっちゃらだぜサイモン! 尻だけとんでもなく痛いけど……」
「え? なに? なんか最後にぼそっと変なこと呟かなかった?」
頭上から聞こえるのは落ち着いた男の声と、それとは対称的な明るく高い女の声だ。
陽光が逆光となっているので、姿まではわからないが、男は軽装で女の方が重装備であるように見えた。
唸り声とともに魔物が起きあがると、少年のもとにその二人も舞い降りてくる。
作品名:旅立ち集 ハイランダー編 No3 作家名:春夏