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No.017
No.017
novelistID. 5253
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砂時計

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「そんなとき風の噂を耳にしました。黒い森の主に頼めば過去を変えられるって、黒い森の主は時を渡る力があるんだって…」

 そこまでごく小さな震えた声でなく語ると胸がいっぱいになった。
 黙ったと思った瞬間、叫んだ。

「過去を変えたいんです!」

 また沈黙が訪れた。
 何度かつの影の間を風が走り抜けたのち、小さな影は語り始めた。

『かつてまだこの言い伝えを信じる人々がたくさんいた時代……私の元には過去を変えたいと願う人がたくさん訪れました』

それは遠い昔を懐かしむような口調であった。

『私は…その人たちが幸せになれるならと何度も何度も時を渡ったものです。たくさんの人間が時を渡って自らの過去を変えました』

 小さな影はそう言うと、しばらくの間黙って対峙する影に問うた。

『……過去を変えたすべての人間が幸せになれたと思いますか?』

 突然、大きな風が吹き抜けて草むらとその上に根を下ろした巨木の葉たちがざわっと騒いだ。
 まるで小さな影にあわせるかのように。

「でも…」
『私にあるのは時を渡る力だけであって過去を変える力も、人を幸せにする力もないのです』

 暗くてよくは見えなかった。
 けれどその小さな影の表情がとても暗い影を落としているように見えた。

『人間は過去に干渉するようにはつくられていません。たいていの生物はそうですが…。今になって考えれば、そうつくられていない生物が本来ではないことをしてうまくいく道理はなかったのです』
「でも、可能性があるなら…!」

 なんとか願いを叶えてもらおうと必死だった。頭の中にあるのはあの日のことばかりだ。あのことさえ、あのことさえなければ……
 だが、相手方の返事は快いものではなかった。

『私はもう疲れました。もう、時を渡るのはやめようと思った。同時に時が流れ、気がつくと言い伝えを信じる人はいなくなりました。はからずともここには誰も来なくなったのです』

 それはそのことに安堵していたかのようにも聞こえたが、また寂しそうにも聞こえたのだった。

『けれど、あなたが現れた』

 小さな影がそう言うとそれに対峙する影の目の前に光が溢れた。ちょうど小さな影が、セレビィが現れたときのように。
 その光は集まってだんだんと形をつくると、ぱっと消えて少し大きな影の、少年の手のひらの上に落ちた。

『あなたの願いを叶えることはできない。そのかわりそれをもっていきなさい』

 手のひらの上に落ちたものを見る。
 手のひらの上にあったのは砂時計だった。







手のひらの上におちた砂時計を持ち上げると
最初の一粒が落ちるのが見えた。

セレビィがつづけた。

『人は生まれたときから、砂を落とし始めます。生きるほどにその砂は積もってゆくのです。時に人は積もった中のたった一粒が気になってそれをどうにかしたいと悩みます。でも人は砂を落とすことはできても積もった砂を取り除くことはできません』

 そう、過ぎ去ってしまった過去には干渉できない。
 過去を変える方法はたったひとつ。

『だから私の力を借りて、砂時計を逆さにしようと考えるのです』

 セレビィは少年の手から砂時計を取り上げると、
 それを逆さにして、ふたたび少年の手へと戻した。

『砂時計を逆にすると砂が逆流します。でも逆さにしたとき最初に逆流するのは最後に落ちた砂とは限らない』

 そう言って、もう一度同じ動作を繰り返した。

『もう一度砂時計を逆にすると、また砂は落ち始めます。しかしそれは前に落ちた砂と同じというわけにはいかないでしょう』
 
 そして強い口調で一気につづけた。

『積もった砂の一粒、それもどれも同じように見える砂粒の一つをどうにかするために砂時計を逆にする。逆流するのは取り除きたかった砂だけではありません。たった一粒を積もった砂の山からなくそうとすると、中に積もり続けたあらゆる砂を巻き込んで逆流するのです。砂はどんどん混じって、ついにはわけがわからなくなって、でも二度と元には戻らない』

 そしてこう言い聞かせた。

『過去を変えるとはそういうことなのです』

 いままでで一番重い口調。
セレビィに”ときわたり”の意思がないのは明白だった。唯一見えていた道が、見えなくなった。出口のない森の中で迷子になってしまったように。

「わからない……言ってること全然わからないよ」

 もう過去を変えることはできないのだろうか。
 少年はうつむいていた。すがるように砂時計をぎゅっと握り締めて。目から砂時計の砂のように涙が落ちた。

「やっとの思いでここまでたどり着いたのに… 願いを叶える気がないのならどうしてぼくの前に現れたりした?」

 セレビィは黙っていた。
 まだ、言い伝えが信じられていた時代、自分を頼ってたくさんの人間がここに訪れた。それが嬉しかった。

「答えてよ!」

 けれど過去を変えてすべての人が幸せになったわけではなかった。それが悲しかった。

「どうしたらいい? これからどうしたら…?」

やがて時は移って言い伝えを信じる人間はいなくなった。それが寂しかった。

 ここは丘の上のはずなのに、あの行き先の見えない真っ暗な森の中にいるような気分だった。
 月はあいかわらず雲の上にあって、その下にある雲がぼうっと光っていた。先が見えない、どうすればいいのかもわからない。
 できることといったら悲しみにまかせてあたりちらすくらいで。

「…もういい、消えてくれよ」

 まだ、言い伝えが信じられていた時代、自分を頼ってたくさんの人間がここに訪れた。それが嬉しかった。
 けれど過去を変えてすべての人が幸せになったわけではなかった。それが悲しかった。
 やがて時は移って言い伝えを信じる人間はいなくなった。それが寂しかった。

「消えてくれよ! ぼくの目の前から!!」

 セレビィの体が光り始めた。現れたときとは逆に光の輪郭が崩れ始めた。
 少年の目の前から消えかけながらセレビィは最後にこう言った。

『その砂時計が計る時間は一年。すべての砂が落ちるのに一年かかります。もし、すべての砂が落ちたとき、それでもあなたの願いがかわらなかったら、もう一度ここへいらっしゃい』

 輪郭は完全に崩れて、光は消えかかっていた。

『そのときはあなたのその願い、叶えましょう』

 できることなら一年の間に過去を乗り越えて欲しい。
 けれどそれでも行き先が見えなくて、どうしていいのかわからないのなら、その願いを叶えましょう。
 もう信じるものなどいないと思っていた。けれどあなたは来てくれたから ――

 わずかにのこっていた最後の光も消滅した。目の前は涙のためかよく見えなかった。ただ風の吹き抜ける音と虫の音だけが耳に残った。


 そのあと、どうやって家路についたのか…覚えていない。







――あれからちょうど一年が過ぎた。


 黒い森の中に地面を蹴る音とその動作に伴う呼吸音が聞こえる。あのときの少年は森の中を走っていた。
作品名:砂時計 作家名:No.017