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賢い鳥1

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 監督はそう言ったけれど、監督自身が傑を強く意識しているのは明らかだった。享は瑛の家で何度も傑の出場した試合の録画を見た。自宅では親の目が気になって出来なかったからだ。
 鎌学との試合というより逢沢傑への挑戦だった。
 ところが、当日鎌学イレブンと顔を合わせてみたら10番の姿がない。ヨーロッパ遠征していた日本代表チームが帰ってくるその日だった。練習試合の会場に来るかどうかも分からないと説明された監督は「はぁ」と間抜けな声を出した。
「逢沢がいないなら余計に負けられる相手じゃない」
「ああ」
 監督がベンチを離れている間、享は肩透かしをくらって士気の下がったメンバーの肩を叩いて回った。中には逆にホッとしている選手もいる。そういう仲間には言葉を変えて。
 注目の的だった逢沢傑抜きで始まった試合は横浜の1点リードでハーフタイムを迎えた。鎌学は10番が不在でも決して弱くはなかったが横浜は強かった。
 享が反復練習で裏打ちされた安定感のある動きで巧みにボールを奪い、前線では瑛が肉食獣のような獰猛さとボディバランスでゴールに喰らいつく。ふたりともこれまでで一番の仕事ができている手応えがあった。
 後半五分過ぎた頃に追加点。それからも横浜の優勢で後半を折り返し、そのまま勝ちが見えた気さえした。
 そこに新鮮な緊張感が加わったのは残り十五分を過ぎた頃だった。
 逢沢傑が現れた。鎌学選手がベンチを気にするので見ると、逢沢傑と向こうの監督が交渉しているところだった。こんな半端な時間に到着したということは空港から直行してきたのだろう。まさか出場するとは思わなかった。
 しかし、選手交代で10番がコールされた。
 残り十分。移動の疲れも残っているはずだ。いくら天才といえどひっくり返せるわけがない。この日のために重ねた研究や練習や、その時まで上手く行き過ぎていたプレイが驕りを招いた。
 いや、油断なんかしなくても結果は同じだったかも知れない。その十分はそれまでの時間を全て忘れさせるほど鮮やかで、強烈で、そして鋭く頭の奥深くを貫いた。
 ほぼ一人で持ち込んでのゴールから始まり、一人で2得点、1アシスト。何度もビデオで見て対策を練ったからこそわかる。逢沢傑はただの天才じゃない。重ねてきた努力や度胸も自分とは比べものにならない。
 すぐには敗北を悔しいと思えなかった。呆然と背の低い背中に大きく書かれた「10」の文字を見つめていた。
 その日の終わりのミーティングでは負け試合だというのに妙に興奮した空気が漂っていた。
 解散後。いつもどおり瑛が親の迎えで帰るのを見たが、今日は乗って行けと誘われなかった。それどころかほとんど何も話さないままだった。
(わかるよ)
 興奮と、じわじわ沸き上がってきた悔しさともどかしさが言葉を食い散らかしてしまう。何か叫びたいのに上手くまとまらず口をつぐんだ。逢沢傑はかっこ良かった。
(あんな風になれたら)
(参考書も問題集も全部捨ててサッカーボールだけ残せたら)
 その夜は次の日の予習も何も手につかず、何度か携帯の電話帳から呼び出した瑛の名前を見て、何もしないまま遅くに眠りについた。
作品名:賢い鳥1 作家名:3丁目