賢い鳥2
あてこすりが思いの外鋭くつき刺さった。言葉を詰まらせると厳しかった瑛の表情が僅かに緩む。
付き合いが長かったり親しかったりするのは不便なこともある。突かれて嫌な部分を的確に刺激される。特に、瑛には誰にも見せなかった内面までさらけ出している。一方的に親友みたいにも思っていた。
「タカはいつもそうだな。こっちのこともよく知らないのに好き勝手言って」
出会った頃もそうだった。問題を起こさないように慎重に行動していても、親切にしても瑛だけには裏目にでる。相性が悪いとしか思えない。でも不思議と離れていかない。瑛は喧嘩することに躊躇いがない。
「何で些細だとか馬鹿馬鹿しいだとか言えるのかさっぱりわかんねーよ」
「な、」
じゃあどうしろっていうんだ。頭の奥がチリっと熱くなるのを慌てて踏みつぶして打ち消した。
まともに考え込んだらいけない気がする。
「そうやって笑っとけばなんとでもなると思いやがって。お前の本性なんかとっくに分かってんだからな」
もうとっくに愛想なんか丸めて放り投げている。
「わかってるからタカに愛想振りまいたりしてないだろうが」
「さっきしただろ」
「そんな……仲直りしようとしただけじゃないか」
冷たい指先で重い額を押さえた。
話せばわかると思っていたのが間違いだった。昔から話が合わないことはいくらでもあった。
何か言うタイミングを見計らって、顎をそらしてほんの少し上から見下ろす目の前に指を揃えた片手を上げる。声と一緒に怒りを吐き出そうとしたのを挫かれて変な顔をした。
「つまり、タカ相手にヘラヘラするなってことか」
「あ?」
いきなりなんだと顔を顰めたが、アの口のまま少し考えて曖昧に頷いた。
「……ああ、まあな」
「じゃあもうしない」
言い切ってやった。
瑛は眉根を寄せたり首を傾げてみたり。怒りの矛先が迷子になっている。もしここで癇癪を起こしたら本物の子供だ。
怒り始めた原因なんかつまらないことで、感情が盛り上がって原因そっちのけになる。冷静に問題が解決されても一度沸騰した頭が疼いて収まりがつかず、すぐには素直になれない。
拗ねて突き出した下唇が子供っぽくて本当に懐かしくなった。人と揉めるのは馴れないしなるべく避けて通りたいけれど、瑛との喧嘩は嫌いじゃないかもしれない。
喧嘩になるのはお互いに関心があって遠慮のない証拠だ。レベルの違う者同士では喧嘩にならないとも聞いたことがある。
急に瑛に対して感じていた距離を意識した。
一年前の、瑛が代表初招集から帰ったあの日。間違いなく不満を感じていた。先を行かれた悔しさだけじゃなく面白くなくて気を惹きたくて仕方なかったのに、遠慮した。この合宿所に来てからだって。
わざと神経を逆なでする言葉を選ぶ。怒らせたくて人を怒らせることなんて滅多にない。
「今更タカに変に気を使った俺が馬鹿だったよ」
「ひっかかる言い方すんな」
あっさり挑発を受けて噛み付いてくるのがおかしかった。
「それで、あとは何が気に入らないって?」
「何って……」
一瞬虚をつかれた瑛はまた渋面で押し黙った。怒りを引きずってるんじゃない。不味いものを口に溜め込んで吐くことも許されないみたいな顔で視線を外した。
「忘れた」
いがみ合って昔に戻った気でいたのに。その一分後にはまた突き放される。
何でも打ち明けて欲しいなんて言わない。でも、ズルイと思う。
他人行儀を嫌がったのはそっちなのに。
土曜から始まった合宿は金曜の昼に解散した。
それぞれ「またな」を交わしてバラバラになっていくが、この内何人かとはもう会えないかもしれない。
部活の終わりよりも重くて、過ごした時間の長さだけ卒業よりもこざっぱりした別れだ。もちろん、みんなまた再会するつもりで帰っていく。それぞれのホームグラウンドへ。
同じ電車で帰路についた傑は湘南に帰るために乗換駅で下車した。続いて鬼丸が足取り軽く降りていくと瑛と享だけが残された。隣に座っていた老人が鬼丸と一緒に下車したので、シートひとり分享から離れる。広く使いたいのだというポーズのために足を広げて座った。空いているので誰に咎められるわけでもない。
少しうとうとしている享を目だけで確かめた。初招集で身も心も疲れたんだろう。練習中はあまり露骨にバテた顔を見せず、鬼丸が隣に座っている間も背筋を伸ばしていた。やっと取り憑いた優等生がほどけた。
眠そうに揺れる頭に肩を貸してやりたい。きっと拒まれない。だけど駄目だ。
欲しいのに手に入らない物に対して「目に毒」だなんて言うが、半端に触れ合うのは肌に毒だ。
体温が伝わるところから染みこんで血管を巡って心臓をじんわり絞り上げる。
一週間の合宿は長かった。
三日目の朝に喧嘩らしい喧嘩と和解のようなものをした後、享からあれこれ声をかけられるようになった。といっても、元々の友人なら不自然でない程度のことだ。それまでの二日間はまったく避けられていたようなもので、それに比べれば態度が急変したと言えなくもない。
まるで中学の頃に戻ったような気安さで気づくと側にいて当たり前の顔をしている。元々親しかったのだからおかしい事は何もない。おかしいのは自分自身だ。
丸二年も友達だった。同じ風呂にも入ったし同じベッドで寝たこともある。それなのに今頃になって享を強烈に意識している。ライバル心等ではないのはすぐに分かった。
人を好きになる気持ちがこんなに分かりやすいものだとは思わなかった。中学の頃に付き合った少女たちにもこんな風にはならなかった。なりゆきと芽生え立ての欲求に従っただけだったかもしれない。
最低だと思うのに女に感じるような引力を享にも感じた。何かの勘違いかもしれないという疑いは身体が否定した。最低だ。
中三の春に家出した享を迎えに行ったことがある。夜中の公園を指定されたのに、行ってみたら近くのコンビニに入っていた。
公園のベンチにいたところを変な男に声をかけられたらしい。詳しくは話したがらなかったが様子から察するに援助交際でも持ちかけられたんだろう。世の中には家出中で行き場のない女子中高生をひっかけて家に連れ込む大人もいる。
当時の享は改まって逞しいと評されるほどではなかったが、女子と見間違えて声をかけられる容姿でもなかった。モノ好きがいるものだと思ったもんだが、今では自分がそのモノ好きだ。
細い腕を抱いて嫌悪や恐怖を隠しきれないでいる姿が脳裏を焼く。あの日怖がっていた、世にも恐ろしい変態野郎と同じになってしまった。
恋愛のふわふわした幸福感なんてこれっぽっちもない。
でも、
「本当言うとタカがいてくれて少し心強いんだ」
どうしようもなく落ち着かなくて、ついどういうつもりか尋ねてしまった。
「初日はそんな素振り見せなかったじゃねえか」
「俺にも意地ってものがあるんだよ」
内心を窺わせないポーカーフェイスでしれっと答える。心強いなんて可愛いことを言うが、心細そうにしていたことなんてないんじゃないか。さっさと打ち解けて、相変わらずの品行方正、真面目な態度で年上からの覚えもめでたく心配することなど何もなかった。