賢い鳥2
年上ばかりの中でエースを張る彼が思いの外可愛がられているのが意外だった。ポジション争いをしている選手には当然厳しい目で見られているようだが、実力だけでなく練習態度や素直さにやられて、妬みよりもついつい認めてしまう気持ちが勝るんだろう。
ずっと一方的にライバルのつもりで目標にしてきた享にもその気持がわかる。
この代表チームの誰より若いのに落ち着いていて、かと思えばサッカーを覚えたての小学生みたいに好奇心旺盛に技術や戦術を学ぼうとする。少し、眩しいぐらいに。
「そういえば、今日の練習で当たりましたよね」
何の話かはすぐにわかった。ミニゲーム形式の練習で傑にやり込められた話だ。
ジュニアユース時代の練習試合以来だった。紅白戦ですらないけれど、成長を自分自身で確かめるつもりで挑んだ。それがどうだ。シンプルなフェイントであっさり抜き去られた。
苦笑いで頷く。
「あれ、実はタネがあるんですよ」
遠慮がちに、少し声を落として上目遣いする。
「タネ?」
「一発で抜けたの、鷹匠さんのお陰なんス。飛鳥さんのクセを聞いてたから……」
「クセ……」
ほぼ反射的にあの時の動きを細かく思い出そうとした。それを遮るみたいに傑が話を変える。
いや、変わっていない。傑は話しかけてきたその時から同じ話をしていたのだ。
「鷹匠さん、飛鳥さんのことよく見てますよね」
「……どうかな」
「何があったかは教えてくれないんですけど、今日、ずっと気にしてましたよ」
「何のことかな」
「鷹匠さんも同じこと言ってはぐらかすンすよね」
笑う傑とは対照的に享は作り笑いを引っ込める。素がちらりと覗いた顔を傑はどこか面白そうに眺めた。
「鷹匠さん何度もシカトされてるし」
「それは、気のせいだと思うけど……仲直りしろって言いに来たのか」
「いや、そこまでお節介じゃないッスよ。鷹匠さんがあんな風にグダグダしてるの珍しいから面白いんですよね」
素直な子どもみたいだと思った矢先にこれだ。遠まわしな気の遣い方で年上のフォローに回る。
ひたむきで憎めないと思っていたけれど、やっぱり鼻につくかもしれない。どんなに無邪気に見えても何度も世界の芝を踏んでいる不動のエースなのだ。
サッカーの実力ではまだ敵わないと分かっていても、こうしてプライベートでまで負けた気分になるのは予定外だった。
スッと肩の力を抜く。まだ瑛に対する苛立ちや落ち着かない気持ちの整理はついていないけれど。ピッチの上では勿論、それ以外でも第三者に変に思われないよう気をつけて避けていたつもりだった。見破られているなんて思っても見なかった。
「……わかったよ。元々大した理由じゃないんだ。普通にするよ。きみに心配させるのも悪いしな」
ちょっとした悪戯をいつまでも根に持つのも大人げない。
そういう応えを求めて来たんだろうに、傑はキョトンとした。本当に仲直りさせようなんて思ってなかったみたいに。
そうなるといよいよ意図が読めなくて、迷ってこっそり瑛に目を向けた。その途端、またこちらを見ていたらしい彼とばっちり目が合ってしまった。慌てて目を伏せた。
携帯のアラームが鳴る前に目が覚めた。ルームメイトがまだ寝ているのを確認して起こさないよう部屋を出る。
まだ他の部屋も静かだった。人の気配すらない廊下を足音に気を使って歩いて洗面所に来た。
一番乗りかと思ったら先客が顔を洗っていた。
後頭部では誰だかわからなくて、少し考えてから丁寧にあいさつした。今回のメンバーの半分以上が年上だ。
「おはようございます」
先客が水から顔を上げる。瑛だった。
「なんだ、タカか」
「……わりぃかよ」
両手で前髪を掻き上げる。享は隣りの蛇口を捻った。
ゆっくり手に水を溜めて顔を浸す動作ごとに気が紛れた。狼狽えたのを知られなくない。いつもより念入りに顔を洗って、普段なら雑に拭き上げるタオルもそっと押し当てた。従姉に「顔はこするもんじゃない」と教えられたことがあるが、女の子ほど肌にこだわりはないしニキビ体質でもなかったから、普段なら時間のかかりそうなやり方はしない。
(……部屋に戻れよ)
どれだけ時間をかけたって顔を洗いに来ただけだ。すぐにやることが終わってしまった。
その間、瑛は黙って待っていた。何か言うのかと思って顔を向けても今更目を逸らされる。珍しくて面白いどころじゃない。居心地が悪いのはこちらだ。いっそ腹が立ってくる。
話がないならこのまま振り切って部屋に戻ろうかと考えたが、昨夜の傑を思い出して頭を振った。
「これからすぐ部屋に戻るのか?」
他の誰かに話しかけるようにさりげなさを装った。
「え……ああ、いや。ちょっと走ってこようかと思ってる」
待っていたくせに、話しかけられたのがよっぽど意外だったらしい。
「じゃあ一緒に行くよ。支度してくるから」
意識的に目と口元を柔らかい笑みの形にする。子供とか、接客してくれた店員だとか、笑顔を向けると釣られて笑顔になる人は多い。程々の笑顔は人とコミュニケーションを取るときにかなりの武器になる。昔から愛想笑いは得意な可愛くない子供だったけれど、ハッキリそう思ったのはつい最近のことだ。
同じサッカー部の真屋は大抵ニコニコしていて敵らしい敵を作らない。享のような計算というより本能的に使いこなしているように見えるが。見習うところは大きい。
しかし、狙いに反して瑛は同調してくれなかった。
「…………」
「ダメなのか?」
「そういうわけじゃねえけど」
仲直りのポーズがわからない瑛ではない。やたらめったら周りに気を回すことはしないが、人の顔色ぐらい読める。
「……昨日、傑になんか言われたのか?」
「大したことは話してないよ。タカがずっと俺を気にしてるとは聞いたけど、仲直りさせたいわけじゃないとも言ってた」
「アイツ……変な世話焼きやがって」
「そう言ってやるなよ。心配してくれたんじゃないのか」
「それはねーな。面白がってンだ」
断言した。傑と再会して日の浅い享には素直に納得していいものかもわからない。平気で悪態が吐ける親しさがかいま見えた。
「逢沢のことを抜きにしても、つまらない喧嘩を引きずるのも馬鹿馬鹿しいだろ。水に流そう」
瑛のスット伸びた眉尻が跳ね上がる。
「馬鹿馬鹿しい?」
「だろ?昔にも些細なことで喧嘩して怒鳴り合ったけど、もうそういう年じゃない」
「……些細なこと、か」
「そうだよ。俺達も成長しないよな」
「…………」
「だから俺も態度が悪かったのは謝るし…」
「……気に入らねえ」
「え?」
シャツの胸ぐらを掴まれた。引き寄せられたわけじゃないのにあの夜のことを思い出して無意識に仰け反る。
そのまま何もされないのでそっと手を引き剥がした。ここは合宿所だ。本気の暴力が出るわけがない。
それでもさすがに笑顔は引っ込んだ。
「何が気に入らないんだよ」
「ヘラヘラ笑って何でも上手くいくと思ってんじゃねーよ、外ヅラ野郎が」
あまり手を入れていない割にきれいな弓形を描く眉が不愉快に歪む。
「そこまで言われる謂れはない。大体、そんな風に言うのはお前ぐらいだろ」
「そうかよ、俺から見たら自分で思ってるほど器用でも何でもねえ」