賢い鳥2
「遠まわしにハズさせたってことに違いねえだろ」
「監督に訊かれたことに答えただけで決断されるのは監督です」
「なんだと?」
GKと一緒にベッドに座っていた一人が立ち上がりかけるのをGKが制した。一瞬ひやりとしたが、紛いなりにも名門校だ。問題になるようなことはお互い避けたい。
享の顔を盗み見た。上手いこと言って切り抜けられそうな余裕は感じられない。仕方ない。
「あのぉ、まだ“検討”って話なんスよね?」
「だったらなんだよ」
「今日のところは保留して決定してからまたヤキ…いや、ミーティングしませんか」
「部外者は黙ってろよ」
「いや、一応同じサッカー部ッスから。それに、そろそろ登校準備しねえと。今日コイツ日直なんスよ」
最後のは方便だ。名前の五十音順に回ってくるので、出席簿で一番目の飛鳥享はとっくに順番を終えて二周目はまだこない。
まだ渋りそうな先輩に勢い良く頭を下げて、享の頭も下げさせて大声を出した。
「今日のところはすんませんっ!」
相手が怯んでいる間に「失礼します!」と続けて叫んで部屋を飛び出した。何も決まっていない今、こんなところで決定権を持たない者同士がぐずぐずしゃべっているなんて不毛だ。
部屋を出てしまえばこっちのもん。のんびり自室へ向かいながら享の脇腹をつついた。
「やっかみなんかマジにとるなよ。大人相手だってもうちょっと上手くあしらってんじゃねえか」
「真屋が思ってるほど器用じゃないさ」
「まあ、同じチームで二年間も一緒にやる目上が相手となると簡単じゃねえか」
真屋は飛び抜けて監督から目をかけられているわけでもなく、余計な嫉妬や恨みを買う理由がない。それに、親しみやすくてこざっぱりした性格が受け入れられて上級生とも上手くいっているように見えた。そこにも見た目以上の苦労があるのかもしれない。
「しっかし、監督もメンドクセーことするよな。入部したばっかりで今後のチームづくりに意見なんか求めたら、そりゃ上級生からしたら面白くねえさ。なあ?」
半歩遅れて歩く享を振り返った。リノリウムの床を辿るように俯かせていた顔をゆっくり上げる。
「でも、必ず強くするよ」
「はぁ?」
何を言い出すんだ。怪訝な顔をした真屋を通り越した遠くを見据えて享は言った。大真面目な顔で。
「俺が、葉蔭をもっと強くする。そして決勝まで行ってみせる」
「決勝まで、ね。確かにここ数年はベスト4止まりも多いけど、こちとら名門の葉蔭だぜ?全国制覇って言えよな」
わざとらしいウィンクをきめて背中を叩く少しだけ背の高い真屋を見上げる。そして、夢を見ていたようなぼんやり顔で瞬きして、おっとり笑った。
「そうだな。一緒に全国だ」
こんな柔らかい笑顔をまともに見るのは初めてだった。享は愛想は悪くない。むしろ人間関係を円滑にするための愛想笑いは惜しまない。シャープな作りの顔はどちらかというときつい印象を与えるのを良くわかっていた。ヘラヘラするわけではないが、目が合えば優しげな顔を見せる。
でも。
(普段のやつは営業用か)
ごく自然に和らいだ目元や薄い唇が今まで目にしてきた笑顔とまるきり違う。少しは親しくなれたということだろうか。誰にでも向ける隙のない顔じゃなく、どこか幼い空気を含む笑顔だった。
女の子だったら母性本能をくすぐられることだろう。生憎と真屋は客観的にそう思っただけだったけれど。
「お前さ、困ったときはそうやってた方がいいよ」
「困ったとき?」
「さっきみたいのだよ。あっちだってお前が凹んでるの見て喜ぶわけじゃねえし、逆にキツイこと言って怒らせるのも損だろ。だから、適当に上手いこと言ってニコッとやっとけ」
「簡単に言うけどそう上手くあしらえないよ」
「そうやって完璧にかわそうとするのが先輩方にはダメなんだって。甘え上手な可愛い後輩目指せってこと」
そう言う真屋は失敗しても「しょうがねえな」で片付く方だ。即座に大声で謝って笑うだけでその件を流してもらえる。勿論、日頃の行いがあってこそだと思うのだが、享には自分よりもよっぽど器用に見えた。
無意識に足が止まった享の一歩先で真屋も足をとめる。あまり深く考えて言ったわけではないのに立ち止まるほど真剣に考えてもらえるとは。
(真面目すぎるんだよな。こんないい加減な提案も腕組みで検討してくれるんだから)
「分かった。試してみる」
新しい勉強法でも教わったみたいに真顔で頷くので思わず噴きだしてしまった。
「笑うなよ。……もしかして、冗談だったのか」
「いいや、本気本気。女は愛嬌、男も愛嬌ってな」
何がそんなにツボに入ったのか、笑いが収まらないらしい。乱暴に叩かれる背中が痛い。
真剣に相談に乗ってもらっていたつもりなのに笑われて心外とばかりに口を尖らせていた享も大笑いする真屋がおかしくって思わず破顔した。
「あ、飛鳥!真屋も。先輩に呼び出しくらったって聞いたよ。……なのに、なんで笑ってるわけ?」
部屋の前まで来ると、心配してそこで待っていてくれたらしい同じ新入生の白鳥が怪訝な顔をした。