賢い鳥2
ヒドイ目と言い切った。耳障りいい言葉で丸め込むのが上手い永瀬とは正反対に傑は潔くて容赦がない。
「飛鳥さんって人当たりいい分ガード堅そうだし、しっかり歓迎会しとかないと」
「ガード、な」
防護壁というよりも、誰とでも上手くやりすぎる違和感。広くて深そうに見える懐に潜り込もうとしても底が見えない。
その理由を知っている。父親にサッカーを続けることを認めさせるためだ。
享の父親は以前プロチームのチームドクターをやっていたという。その経験から息子がプロ選手に向かないと判断してプロとしてやっていけるわけがないと思っている。挫折が眼に見えている夢よりも堅実に医者の勉強をして跡を継いで欲しいのだろう。息子が求めているのとは別の期待をかけている。
親の期待を無下にしてサッカーばかりやれるほどワガママではなく、親に従ってサッカーを諦めきれるわけではなく。勉強の方でもサッカー部としても名門の葉蔭学院で文武両道を体現している。もっとも、勉強を疎かにしないのはサッカーをやるのを認めてもらうためでしかないようだが。
サッカーのために疎かにしないのは勉強だけではない。礼儀正しく人当たり良く、間違っても問題なんか起こさない。この上ない自慢の息子でいる。中学の頃からだ。昔は確かに優等生を演じていたと思ったが、今となっては癖づいてほとんど地なのではないかと思う。
数カ月ぶりに会って初対面ばかりの中でも上手く立ちまわる姿を見たが、出会った頃よりも自然にそれをこなしているように見えた。それを「ガードが堅い」なんて感じる傑は鋭い。しかし、今更子供じみた悪戯で剥がれる仮面ではない。
「傑が心配するようなもんじゃねえよ。確かに外面野郎だけど、サッカーに感しちゃ頑固で物怖じしねえんだ」
「…………」
「それに、悪戯にひっかかっても何にも変わらねーだろうよ」
「そッスか。……つまんねえな」
独り言みたいなトーンで呟くのがおかしかった。あけらかんとした顔も目に浮かぶ。
「だからどうしてもやりてえんなら、あんまり盛り上がるのを期待しないで適当にやっちまえよ」
「はーい」
それから永瀬に戻される前に電話を切った。
夕飯は全員で畳敷きの広間で食べる。席は指定されていないのでこれまた部屋割りとも違うメンバーで固まっていることが多い。
瑛は大抵同学年の誰かか傑の隣を確保していた。傑の近くにいると自然と人が集まってくる。その輪に入るでもなくとりとめもない話を聞いているのが面白い。どちらかといえば口数は少ない方の瑛にはそれがちょうどよかった。
食器が粗方空になった頃、グラス片手に永瀬がやってきて傑との間に割り込んだ。小声で話しかけてくるので仕方なく顔を寄せてやる。
「歓迎会の件、作戦Fっつーことで」
「俺を巻き込むなって言っただろうが」
「つれねえなあ。ホントはタカにオトリを頼むつもりだったのによう」
「はぁ?」
「予想外に勝田がいい仕事してくれて助かったわ」
言われて勝田と享が並んで座る席を盗み見た。何やら二人で話し込んでいる。驚くことに、気難しいとばかり思っていた勝田がはにかんだ笑顔まで見せていた。
(外面にまんまと騙されてやがる)
それが享の処世術であり、チームをひっぱる際の武器だというのもよく知ってるが、惜しみなく振舞われるあの笑顔が好きじゃなかった。ああいう風になりたいわけではないから妬ましいのとは違う。本当は見た目ほどの余裕があるわけでもないくせに器用ぶるのが気に入らない。
背後を通りざまに背中を蹴られたようで「わるい」とか「大丈夫」とかいうやりとりで勝田から気が逸れると、すぐに肘をつつかれて勝田に引き戻された。よっぽど気に入られたようだ。
「よく手懐けてんなー。ムツゴウロウさんじゃん飛鳥くん」
傑の頭をライオンのたてがみに見立てて両手で掻き回しながら「よぉしよしよしよし、いい子ですねぇ」なんて似ていないモノマネをやってみせる。苦笑いで済ませてやる傑は心が広い。
「勝田さん浮きやすいからな。嬉しいんじゃないッスか?」
「ポジションもDF同士だしちょうどいいじゃねーか」
「喜んでやるならもうちょっと優しい顔しようぜ。み・け・ん」
ん、のところで眉間を人差し指で突かれてシワが寄っていたことを知った。
「優しい顔もクソもいつも大体こんな顔だ」
わざわざ横から覗き込もうとしていた無言の傑の額をゲンコツで押しやる。
ニヤニヤしてからかい口調で「へー?」だの「ほー?」だの言っている永瀬の中では享に相手にされなくて寂しい嫉妬野郎にされているようだが、現実はそうじゃない。強いて言うならば猫っかぶりの享を元チームメイトとして(代表候補としては今もチームメイトだが)心配しているだけである。
たまにからかうネタを見つけて大喜びなのだろうが見当違いもいいところだ。小さな子供じゃあるまいし、新しい場所に来てまで付き合いの長い友人相手に得られるなまぬるい安心なんか求めない。お互いに特別声をかけ合おうとしないのも当たり前だと思っている。
勿論、同じチームメイトでポジションを考えてもコミュニケーションを図るべき相手と熱心に交流しているのは大正解だ。ずっと営業用の笑顔しか浮かべていないように見えたって。
「よし、そんじゃそろそろ作戦Fいきますか」
たちの悪い顔で笑って永瀬が動き出した。何をするのかと思えば、堂々と享の脇まで行って話しかける。身長の話をしているらしい。享と勝田が立って一番小さい永瀬が頭の上で手を振って見せる。
それから、近くに座っていた長身GKを呼んで勝田と並べて何か笑っている。その途中でポケットから何かを落としてしゃがみこんだ。
「普通に喋ってるだけじゃねえか。作戦Fって何なんだ」
「鷹匠さん知らなかったっけ。FってフルチンのFッスよ」
「……小学生かよ」
「古典的ですよね」
グラスの烏龍茶を一口で飲み尽くす。
長身の二人を享が見上げている隙に永瀬がジャージの腰にそっと手を伸ばした。
ーーーーガシャーンッ
薄いガラスの割れる音に一瞬場が静まり返った。
「うっわ、鷹匠さん何してんスか!」
まとめて置いてあったグラスがなぎ払われて畳の床にガラスと残っていた液体をまき散らしている。
思い思いに騒いでいた連中の視線が現場に集中していた。その中で享と永瀬だけが、目をまん丸にしてお互いを見ている。
ウエストを数センチほどずり下げたところで永瀬の手を享が捕まえていた。永瀬が無言で笑うと享が手を開放し、永瀬もまたジャージからゆっくり手を離す。
「悪い、傑は怪我ねえか?」
「こっちまで飛んできませんよ。鷹匠さんこそ大丈夫ッスか?」
「ああ。手ぇ滑った」
グラスの中身も少なかったお陰で座布団や服にも染みていない。傑が手近にあったおしぼりで欠片を集めようとしたのを止めた。
「危ねえから掃除道具借りてくるわ。触らずに待ってろよ」
片付けに取り掛かったのを見届けた少年たちはまた元の会話に戻って賑やかさを取り戻した。
自分のグラスが割れてしまった傑はデーブルに乗った誰のものかわからないそれをとって、一口飲みながらまた永瀬たちの様子に目をやった。
「飛鳥くん、えーっと、あのねえ……」