賢い鳥3
冬の間スケジュールのなかった代表活動が再開した三月。
顔見知りばかり十八人集まったグラウンドで、ふとしたタイミングで瑛が視線を上げた。
集団の端から端まで見る前に阿呆みたいに口を開けて、また視線を落とす。
そんな様子を観察していたら、4ヶ月という月日の短さが身にしみた。
前回の招集で当たり前に肩を並べていた逢沢傑がこの世を去ったのが十一月。
毎日の生活からいなくなったことには多少慣れても、こんなとき。傑が景色の一部だった代表チームに戻ってくると、本来ならいるはずだった人間がいない違和感に後頭部をがつんと殴られる。
このチームの中で日常的に傑と会っていたのは瑛だけだった。同じ神奈川にいてもほとんど会うことのなかった自分には分からないことがきっとある。
この春から瑛は高校で10番を背負っている。逢沢傑に用意されていた背番号だ。
監督が言い出したのか、瑛自身が申し出たことなのかは尋ねていない。どのみちすすんで背負ったに違いない。
そのことを知った時、
(やっぱり)
と思った。それと同時に、
(ちっとも似合わない)
そんな重たいユニフォームを着てこの一年を走り抜くのか。
背中に10番を背負って全国制覇をすれば気持ちに決着がつくのか。
会わなかった数カ月の間ろくに散髪をしていないらしく不格好に髪が伸びた監督が集まったメンバーを前に「みんなもう知っていると思うが」と前置きして傑の話をした。
「惜しい人材を、なんてよく言うが、逢沢傑は本当にどこまででも行けるはずの男だった。まだ戸惑っているものも多いと思うが――」
じっと話を聞く横顔を盗み見ても視線を落とさないままだった。監督より向こうのどこかに向かって顔を上げ続けていた。
国立競技場じゃなく、海の向こうまで見ようとするみたいに。
座っているだけで汗ばむ気温が二年前のようだ。
久しぶりに見た荒木竜一は伸びた髪を一つに括っていて印象が違った。
聞けば少し前まではずいぶん太っていたらしい。
瑛なら「やっぱりふざけている」なんて怒るかもしれないが、スタミナ不足の改善は急激な減量が影響しているのかもしれない。だとすれば馬鹿にしたものでもない。
実際、周囲と喧嘩を繰り返し、すぐに息切れを起こしていた合宿から見違えるような活躍をしている。
監督と合わず代表チームを離れたのを致命的なわがままと言う者も多いが、江ノ島の若き監督は確かに荒木を使いこなしていた。
キックオフ直後のドリブル突破から始まりゴールを直接狙ったコーナーキック。
派手なパフォーマンスで鉄壁の守備を誇る湘南大付属の選手たちの脳裏にキツく刻み込ませたのは監督の指示だろうか。アイディアが監督のものでもやってのける荒木の技術は表舞台から身を潜めていた間にしっかり進歩している。
でも、驚きはしない。逢沢傑があんなに期待していた男だ。
(それに、)
怪我をしたらしい選手と交代でピッチに出た小柄な少年の一挙手一投足に目を向ける。
背番号は20番。見た目もあまり兄とは似ていない。中学の間は目立った活躍のなかった選手だ。
でも、逢沢傑が誰より期待をかけていた弟、駆。
交代して間もなく駆にチャンスが訪れた。
荒木からのダイレクトパス。絶好のボールを受けにゴール前に飛び込んだその時。
追いすがって潰しにかかったDFを前に、一瞬気持ちが退いた。
離れた席で同じようにチームメイトと観戦している瑛が厳しい目を向けたのが手に取るように分かる。
同じFWだ。尚更だろう。
荒木竜一と逢沢駆。傑が才能を見出していた無冠の二人のプレイヤーが揃ったチームについつい期待をしていた。
ただの活躍ではなくて、何か、傑の死から引きずり続けている気持ちにケリをつけさせる何かを。
でも、そんなものは存在しないのかもしれない。
江ノ島DFのファウルで湘南大付属にフリーキックのチャンスが渡った。
逢沢駆を含む壁の前に進み出たのは少し前に駆と競り合った大柄な一年生DFだ。
遠目に見ても強烈なボールが駆を吹き飛ばす。小さな人形が指で弾かれたみたいに。そして頭から芝に落ちた。
しばらく起き上がれないほどダメージを受け、ようやく起き上がって、GKからのフィードに備え人の波が上がっていく間もぼんやりと自陣ゴール前にいた。
「あんなところで何やってるすかね?」
ゴール前で味方GKからボールを貰いドリブルを始めたのを訝しむ鬼丸に応えないまま違和感のある駆を目で追う。
今までの駆のことは贔屓目込みの傑の話でしか知らなかった。それでも違和感がある。
それまで頼りなかった背中が伸びてひとまわり大きく見えた。
動きから焦りや落ち着きのなさが消えた。
視野の広いパス。きれいな勢いに乗ったドリブル。
ここまで競り負けてきた敵DFとの競り合いでも冷静なフェイント。思い切りの良いミドルシュート。
別人とまでは言わない。でも、例えるなら、いきなり何ヶ月もの時を超えて成長した彼を見せられているような。
計算が合わない違和感。
どんなにデータを集めてシミュレーションを重ねても想定通りに物事が運ぶとは限らない。
でも、逢沢駆の変化はそういう“想定外”の中でも別格だった。
湘南大附属との試合を勝ち抜いた江ノ島との試合の最中に目の前でソレは起こった。
湘南大附属との試合で見たのが急成長なら目の前で“起こった”のは別人化だ。
本来の駆が持っているとは思えない技術、動き、表情も。
オカルトに興味はないが、傑が乗り移ったみたいだった。それならつじつまが合うような気がして。
でもすぐに打ち消した。
別人のような駆は長く持たず、突然電池が切れたように意識を失って運び出された。以前の事故の後遺症ではなかと聞いた。
夏の大会。葉蔭学院は決勝で鎌倉学館に負け準優勝で終わった。
長期休暇でも補習や夏期講習、部活で人口密度が高かった構内も盆を前に夏休みらしくなっている。
実家が遠方の生徒がほとんどの学生寮も大部分が帰省していった。
いつもならポータブルプレイヤーにイヤホンで見ているDVDを談話室の共用テレビで再生しても文句は言われないだろう。誰も居ないのだから。
そう思ってソファに沈み込んでいると、老朽化で立て付けが悪くなって音の立つドアを開けて汗だくの真屋が顔を出した。
「涼しーっ!ほとんど人が残ってねえからってあっちこっちの空調切られてて暑いのなんの」
「お疲れ」
「飛鳥が個室にいたらここも蒸し風呂だったな」
「自分の部屋のエアコンつけたらいいだろ」
「帰ってきてすぐつけたけど俺の部屋のヤツはオンボロだからなかなか冷えないんだよ」
飲みかけのペットボトル片手に別のソファに陣取って、ローテーブルに置いてある空のDVDケースを勝手にうちわにしてふと手を止める。
「なんだ、また見てんのか?江ノ島の試合」
赤いユニフォームと白地に青のユニフォームが散らばる画面をつまらなさそうに見た。何しろ享に付き合って何度も見ている。その上、
「研究熱心なのは知ってるけどよ、普通こういうのって勝った試合より負けた決勝の方を見直すもんじゃねえの?」