ピジョンエクスプレス
「してないな」
「してませんねぇ」
背の高い男と小さな男が相槌を打った。そう言われてみればそうだ。いい加減な鉄道会社だなぁ…と、カケルは思った。
「いいんじゃないの。なくて途中下車でも乗ってる連中は困るまい」
「それもそうですね」
「いざとなったら窓から降りたっていいんだしな」
「…それはちょっと危ないんじゃあ」
ちょっとどころじゃないだろう…とカケルは思ったが、口には出さないことにした。
「なぁに、この程度のスピードなら」
背の高い男は車窓の外を仰ぎながら自分ならできるとばかりに言った。
一方で眼鏡の男の関心は通路を挟んだ反対側の席に移された。
「三つ子たち、切符はちゃんと持っていますね?」
「持ってるよ」
「持ってる」
「持ってるに決まってるだろ!」
三つ子がいっせいにこっちを向いて即答したので、眼鏡の男は遅れてきた男に声をかける。
「あなたは大丈夫でしょうね?」
「……」
「…大丈夫でしょうね?」
「………」
「やっぱりいいです」
眼鏡の男はあきらめて、また読書へと戻っていった。そして、「ま、いざとなったら窓から下車してもらいますから」と、付け加えた。
また窓から下車? きっとこの人達共通の冗談みたいなものだと思うが、この人も何を考えているのかわからない。
遅れてきた男の様子も見てみたが聞いちゃいないという感じだった。
「やあやあみなさん、お待たせしました」
そうこうしているうちにまた車掌がやってきた。アナウンスしたり、食事を運んだりこの列車の車掌は忙しいようだ。
「それでは切符を拝見いたします」
車掌がそう言うと、各々が切符を取り出した。車掌は順番に切符に目を通す。三つ子がピンク色の切符を取り出して見せ、車掌は「確かに」と言った。
車掌が遅れてきた男を見ると男の膝にいつのまにかピンク色の切符が置かれていた。眼鏡の男が持っていた本の一番最後のページを開くとそこにはピンク色の切符が挟まっていた。背の高い男も上着の内ポケットに手をつっこんで、「あいよ」とピンク色の切符を取り出した。
「あなたは?」
車掌がカケルを見て言った。カケルもポケットからピンク色の切符を取り出して見せる。
「確かに。さて最後はあなたです」
カケルの切符を確認すると、車掌は小さな男に言った。小さな男も切符を取り出し車掌に見せた。
「確かに」
見ると、小さな男の手には茶色い切符が握られていた。
「…きみのだけ茶色い切符?」
思わずカケルは口を開いた。
「ピンク色と茶色では行ける距離が違うのです」
と、車掌が答えた。同乗している七人中六人はカケルと同じピンク色の切符だ。小さな男の切符だけ特別なのか。
「この茶色い切符は特別なのですか」
「いいえ、むしろ特別なのはピンク色のほうです。この列車でピンク色の切符を持っているのはあなたたちだけです」
そう言って車掌は列車の後方を仰いだ。後方の席ではその他大勢の乗客たちがしゃべったり、ぼうっとしたり、昼寝したりして思い思いの時間を過ごしている。そして、この乗客たちはみんな茶色い切符ということらしい。いったいこれはどういうことだろう。
カケルはもっていたピンクの切符をポケットにしまうと、仕切りなおした。
「ねえ、どうしてきみのだけ切符が違うの?」
カケルが小さな男に聞いたそのときだった。
突然ガタっと車両が進行方向前のめりに傾いて、カケルはあやうく向かいの眼鏡の男にとっしんしそうになった。直後、体がふわっと浮かんだような感覚にとらわれた。
同時に車内からわあっと歓声が起こる。
「すっげー!」
「飛んだ!」
「飛びやがった!」
三つ子も歓声をあげた。彼らの視線は窓の外、しかも列車の後方に注がれている。見ると、背の高い男、小さな男、眼鏡の男までが窓の外に注目している。
みんな何をそんなに興奮しているんだろう。カケルは体勢を立て直して「ふうっ」と座席に腰を下ろした。
すると、背の高い男がこっちを向いて叫んだ。
「おい、お前」
「はい?」
「はいじゃない! お前気がついてないだろ」
「何がです?」
「何がですって、飛んでるんだぞ」
「それがどうかしたんですか」
「どうかしたって、普通なんかこう反応ってもんがあるだろ」
やっぱりわけのわからない人だ、とカケルは思った。
切符が無い奴は窓から途中下車とか言ったあげく、ついには列車が飛んでいるとまで言い出すか。やれやれ…カケルはため息をついた。
が、次の瞬間、カケルはその考えが"おかしい"ことに気がついてしまった。それに気がついたとき、カケルはもう窓の外に身を乗り出していた。
「………、……」
カケルは絶句した。
びゅうびゅうと上向きの風が通り過ぎて、カケルの前髪をかきあげる。列車後方に広がる風景は、キラキラと輝く青い海だった。そして、その海上に列車の走る鉄橋があるのだが、その鉄橋は途中でぷっつりと切れているではないか。
今乗っているこの列車はまるでその切れた鉄橋から空に向かって伸びる線路の続きがあるかのように宙を走っている。
「えー、アナウンスが遅れましたことをお詫び申し上げます。当列車はただいま離陸いたしました」
カケルのとなりでマイクを持った車掌は平然とアナウンスした。
ああ、あのさっきの体の浮き上がるような感覚は離陸時のものか。カケルはそこまで理解するとふらふらと自分の席に舞い戻った。それに気がついた車掌はカケルと目を合わせるとにっこりと微笑んだ。
「当列車の名物、離陸は楽しんでいただけたでしょうか」
「…なんというか、びっくりしています。状況を受け入れるまでもう少し時間がかかりそうです」
「あなたのような方はよくそう言われます」
「は、はぁ…」
あなたのような方ってどんな方だろう、とカケルは思ったが聞かないでおくことにした。
「まぁ、何かありましたら遠慮なくおっしゃってください。私は常に巡回しておりますので」
営業スマイルで車掌が続けた。
「じゃあ一つ聞いてもよろしいですか」
「何でしょう」
「さっきから疑問に思っていたことがあるのです」
「何でもどうぞ」
「西コガネを出発してからずいぶん経ちますけど、次の駅へはいつ到着するのですか」
カケルはさっきまで口にできなかった疑問をやっとすることができた。
「はい、次の駅へは雲を抜けたころに到着いたします」
車掌はそう言うと再びにっこりと微笑えんだ。
9.飛ぶ力
リニアは磁力を利用し推進力を得るという。 N極とS極が引き合う力と、N極とN極、S極とS極が反発する力により車両が前進するのだ。ようするに磁石がひっついたり、ひっつくのを拒否する力、あれのでっかくしたバージョンだ。ちょっと正確ではないかもしれないがカケルはそのように理解している。
それにくらべるとこの空飛ぶ列車は非常に不可解である。一体どうやって飛んでいるのか。旧世代の乗り物だと思っていたのにとんだどんでん返しをくらったものだ。カケルはふたたび窓に身を乗り出して、鳥ポケモンの視点を味わった。海と陸、陸の上には森や山、草原、そして町が点々と見えた。
作品名:ピジョンエクスプレス 作家名:No.017